愛してるなら跪け

@tobita_toy

愛してるなら跪け


 大学の社会学部で刑事事件のプロファイリング研究として教鞭を握っている宇田川椎名(うだがわ しいな)は、研究室で机に腰を下ろす行儀の悪い格好で本を読んでいた。

 ほぼシルバーに近いほど色を抜いた金髪と眼鏡姿。ジャケットは椅子に掛けてあるが、ネクタイ、ベスト、スラックスにぴかぴかに磨かれた革靴と、英国紳士のような出で立ちをしていた。端正な横顔と透けるように白い肌、ページを捲る指先が特に美しかった。神経質そうな線の細い顔立ちだったが、その視線だけはひどく饒舌そうに見え、感情を隠しきれない雰囲気を醸し出している。

 古い学舎に似つかわしい楡の木の重い扉をノックする音に、本から顔を上げないままに『どうぞ』と椎名は透明感のある声音で告げた。


「先日、とある連続事件のことで先生の話を伺いたいとアポイントと取らせていただいた、○○署の佐野と申しますが、お邪魔してよろしいでしょうか」

「アポイント取ってるんだからいいに決まってる。なんのためのアポイント?」


 椎名の容姿が彼の年齢を不詳にさせているが、三十前後だろうと佐野は踏んだ。どんなに若作りしようが、老けて見せようが、そこは刑事の勘である。

 彼は比較的老けて見られることを望んでいるようだが、佐野の姿にやや好戦的な視線とマウントを取ろうとする言葉使いに三十路の男だと踏んだのだった。部屋にうっすらと感じる煙草の残り香。机の上にはストレートで酒を嗜むグラス、壁という壁に並べられた本は秩序的で神経質さを思わせるが、机の周りは本と書類で雑然としていた。


「では、遠慮なく。そこのソファに座っても?」

「いいよ、勝手に座れば。それで聞きたい事件っていうのは?」

「最近というよりも、十年以上は続いている──」

「ああ、幼児連続殺人だね。犯人でも見つかったのかい?」

「大衆紙で報道というか噂として書かれていますが、重要参考人は数人目星が上がっています」

「堅苦しいから敬語はやめて欲しいな。見つかったんならいいじゃないか」

「では、普通の口調で。それですが、私個人の勘として彼らではないような気がするので、先生のご意見を聞いてみたいと思って」

「ふぅん。重要参考人の資料ってある?」

「外部秘だけれど、持ってきてます」


 佐野勇人(さの ゆうと)は持っていた鞄から書類の束を取り出すと、ソファの前にあるテーブルにそれを置いた。もう何年も続けられた幼児誘拐及び殺害事件だ。資料の量は本来ならこれだけではないだろう。これだけ持ち出すのにも苦労したはずだ。椎名はやっと机から降りて佐野の前のソファに腰掛けた。

 資料を手にしながらチラリと佐野を一瞥したあと、『なるほどね』と呟いてから早い速度で用紙の何枚を読んだ後、顔を上げた。


「佐野……えっと、佐野でいいか。この事件が最後に起きたのは三年前。亡くなった児童は四歳から八歳までの五人。男女問わずの犯行。断定的な証拠もなく、犯人の形跡をほぼ見当たらない状況で迷宮入りと噂されていた。簡単に言えばこんな感じだよね」

「ええ、そうですね。私はこの事件が起きた頃は刑事ではなく警察官をやっていたので、深い関わりはなかったんですが……」

「でも刑事になったいま、秘密裏でも調べたいと。ま、理由はどうでもいいけど、一番疑いの高い犯人もどきは誰?」

「この高橋正信(たかはし まさのぶ)という男の有力説が高いです」


 高橋の詳細なプロフィールを一読してから、椎名はあっさりと『こいつじゃないよ』と肩を竦めた。


「これだから警察は七年も犯人を野放しにしてたんだよ、どう見てもこいつじゃあない」

「そう……思いますか」

「口調が堅い。そんな言葉遣い慣れてないでしょ。あんたは三十五歳前後、柔道もやってたっぽいけど剣道のほうが得意。未婚で、兄弟……上に姉か兄がいる。厳格な家庭に育ったけどグレる訳でもなく真面目に暮らしてた。恋人はしばらくいない感じだし、好意を持たれても無視するか気付かないふりする嫌な男。一人暮らしは長いね、でも部屋はきれいだし整理整頓も好き。……どう? 当たった?」

「驚いた。下調べを……いや、これがプロファイリング?」

「まあ、推測と事実。説明すると長くなるから、事件の話を進めようよ。つか、どうして恋人作んないの。モテるでしょ」

「どうして高橋が違うのかという話を聞きたい。仕事が忙しいので決まった相手を作る気がないからだ」

「まずこの高橋ってのは恵まれた環境で育ってないし、学も無い。証拠を残さずに犯行するほどのことは出来ないだろうね。一人暮らしの理由は、親が結婚話でも持ち出しはじめてきたから?」

「なるほど。そこは警察側としても皆が感じている。狡猾な男だが、感情が先に走るタイプだ。──年齢も年齢だ、親元にいつまでも世話になる訳にはいかない」


「児童へ対しての性的悪戯はないし、死因は絞殺ばかり。ただ殺すことを楽しんでるふうでもない。あまりにも事務的。真犯人は別の目的を持って彼らを殺している。ああ、軽く酒でも飲むかい? いいウイスキーを取り寄せてあるんだけど。安酒ばかりじゃ身体に悪いよ?」


 椎名はソファから立ち上がり、キャビネットからグラス二つと年代物のウイスキーを取り出すと、ワンフィンガーほど注いでから片方を佐野に差し出した。

 佐野は黙ってそれを受け取り、香りを楽しんでから僅かに口に含んでそれを飲み下した。勤務中という背徳感もあるが、それ以上に美味い酒だった。いつも仕事帰りの寄る居酒屋の名もない焼酎とはまるで違う。

 椎名の喋りかたは軽やかだが的確だった。犯人のことを告げながら、同時に佐野の身辺を言い当てる術もある。敵に回したくないタイプだと、感情が出ないように表情を崩さないまま佐野はグラスの酒でもう少し喉を潤わせた。


「真犯人は知能が高く、恵まれた環境に育ち、安定した職に就いてる。穏やかで一見は人を……ましてや子供を悪戯に殺すようなタイプじゃない。ここに数人の重要参考人が載ってるけどどれもハズレ。最後の事件が三年前。もう安心していいよ、事件は起きない。犯人もいまはすっかり安心して高級ブランデーかワインでも飲んでるだろうね、恋人や嫁と一緒に。佐野ってゲイでしょ。上手く隠してるね」

「なぜ判るんだと聞きたいところだが、推測と事実だと言うんだろう。後でその理由を聞かせて貰いたい。気になるのが事件はもう起きないと断定したことなんだが。──それは憶測だ。私が結婚をしていないからか」

「最初に言ったろ、連続幼児殺害が目的じゃないって。本当に殺したいのはこの中の一人、木を隠すなら森の中って言うだろ。殺された児童の中で近親者が死んだ子はいない? そんな陳腐な言い訳だとつまんないな。警察が犯人が見つかったって言ってるのに、一人で資料まで持ち出して真犯人をさがしてる理由はそこでしょう。大切な人が誰かに殺されたとか、事件に関係してるとか?」

「……四人目の田端孝(たばた たかし)少年の母親が自殺している。だが、少年が殺されたことでメンタルが不安定になって病院に通っていた事実もあるし、ビルからの飛び降り自殺だ。捜査もされたが不審な点はなく自殺だと断定されている。目的を達したならなぜ五人目を? ──俺のプライベートなことはどうでもいいだろう」

「はい、ビンゴ。犯人はその母親と関係のあった男だね。これは推測だけど、孝君の実の父親ってあたりかな。それで母親から金でもせびられてたんだろう。DNA鑑定なんかされたら、孝君の父親が誰かなんてすぐに判る時代だしね。母親が逃げも抵抗もせずに犯人に付いて行ったのは顔見知りだったから。復縁しようとかなんとか言われて、まあ、突き落とされたって感じかもね。五人目は孝君を本命だと思わせない為のブラフ。……そっか、じゃあ俺と寝てみる?」

「どうしてそういう話になるんだ」

「うん? 犯人のこと? 俺と寝ること?」

「──後者だ」


 椎名はテーブルの上でグラスを強く掴んだままの佐野の手に、手を重ねて不敵に微笑んだ。髪の色さえ違えば、学生時代に付き合っていた、本気で好きだった相手に椎名はよく似ていた。こんなに意地の悪い性格ではなかったが、微笑むとまたその面影がそっくりだった。


「佐野、俺と寝てみたいでしょ」

「だから俺はもう──」

「亡くなった人間は返ってこない。俺はその死人や死人に関係する誰かさんの代わりになるつもりはないけど、佐野は俺のタイプ。彼とは寝てないね。俺が手に触れたとき、泣きそうな顔してた」

「一番最初に殺された子が、彼の娘だ。いまは彼の配偶者とあの事件を乗り越えようとしている」

「む。さすがにそこまでは当てられなかったな。いまでも好きなんだ。でも今度は俺を好きになりなよ。俺ってなかなか死にそうにないだろ」

「確かに椎名は殺しても死ななさそうだ」

「それに嫁を娶る心配もない」


 椎名の笑顔は優しく、無邪気だった。椎名は立ち上がり、元座っていた机の側によると再びそこに腰掛ける。大きな窓から差す逆行を背に受けて微笑む姿と、その髪がさらさらと光るのが美しい。改めて見つめると彼とはまったく似ていない。椎名は椎名だ。


 ──恋に堕ちてしまったことを、佐野は認めざるを得なかった。


重ねられた手の温もり、身を乗り出したときの香水の混じる煙草の匂い。きっちりと釦の閉められたシャツと丁寧に結ばれたネクタイを外してしまいたいと思わせるにはじゅうぶんな色気を兼ね備えている。昔の彼とはまるで違う。彼は彼であって、椎名ではない。椎名という男をもっと知りたいと佐野は思ってしまったのだ。


「一夜の遊びも悪くないけど、佐野、俺の側にいたいでしょ。そんなに欲望に満ちた視線で見られるとその気になりそう」

「さっきまではその気じゃなかったのか」

「いまはもういいよ。佐野が俺に惚れたのが判ったから」

「……なんでもお見通しだな」

「佐野、こっちに来て」


佐野はグラスを手放し、机に座る椎名の前に立つ。片手で抱けそうなほど細い身体。経験で判る、情交であられもなく乱れ、色気に満ちた声で鳴く。


「まだその彼を好きなら帰っていい。仕事の手伝いがまだ必要なら助けるけど、俺は俺を愛してくれる人しか好きじゃないんだ」


 惚れたというのは簡単だ。嘘をついても椎名は見破るだろうから隠すことも佐野は考えなかった。だが、癪に障る。これではいいように椎名の手の上で踊らされているようなものだった。

 しかし感謝もしていた。長い間わだかまっていた彼への思いが解けていくようだった。

 汚い考え方だったが、子供を失った彼が自分へ助けを求めてくれることが嬉しかった。ひょっとすればあの可愛い配偶者と別れることにならないかととまで考えたこともある。

 だが、すべてがこの数十分で塗り替えられてしまった。

 古い建物の奥に棲む、美しい悪魔のような男が佐野を試そうとしている。


「佐野」

「なんだ」

「俺のことを裏切らない?」

「好きになれば」

「好きになりなよ。っていうか、もう好きでしょう?」


 佐野は少し口元に笑みを浮かべて小さく頷いた。彼への想いと決別出来た。

 ぶらぶらと揺らしていた足を止め、椎名がゆっくりと脚を組んだ。


「俺を愛してるなら、跪いてそれを誓って。俺は事実しか信じない」


 ああ、だが癪に触る。佐野はそのまま素直に跪くような性格はしていない。遊びだったが何人もの男との一夜限りの遊びも体験してきていた。追いかけられる立場にはなるが、追いかけたことなどない。安易に崩れるプライドなど持ち合わせてはいなかった。


 佐野は椎名の足下に跪く。それから磨き抜かれた革靴の紐をそっと撫でる。


「──靴紐が緩んでいるよ、椎名」


 楽しそうに、嬉しそうに、椎名が子供のように声を上げて笑った。

 飛び跳ねるように机から飛び降りて椎名が佐野に抱きつき、唇を重ね合わせるまで十秒にも満たなかった。


《おしまい》

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