第15話



「和臣の幼馴染なんだ、これ書いたの。高校に入った頃からよく相談乗ってて、三年生のある時、ラブレター書くって聞いて。いつ渡すとか、全部一緒に考えてさ。でも最後に俺がこれを盗んで、ぶち壊した」


俺は抑揚のない声で、自分がどんな奴なのか貴之に分からせるつもりで話した。


貴之は俺の話を黙って聞いていた。

その間、一瞬も俺から目を逸らすことはなかった。


「ほんとに……最低な奴だよな」


俺はそう言って、はは、と笑う。

乾いた笑い声は、すぐに部屋の中の沈黙へと溶けていく。


貴之も俺も何も言わない。



「それが……みずきが自分を嫌な奴だと思う理由なのか?」


しばらくして、貴之が口を開いた。俺は首を横に振った。


「その時に始まったことじゃない。ずっとだよ。ずっと嫌な奴だった」


「俺はみずきのことを嫌な奴だと思わない」


貴之がそう言って立ち上がった。そして俺に近づいてくる。


「俺はみずきのこと、全部知ってるわけじゃないと思う。みずきが自分のことを嫌な奴だと思ってしまうのも、俺がどうこうできるわけじゃない。それでも、これだけは知っていてほしい」


俺の前で両手を広げてみせると、貴之はこう言った。



「俺は、みずきに救われている」



ん、と広げた両手を強調する貴之。俺はその意図が分からず貴之に聞く。


「えっと……何それ」


「だから、あまり自分のことを嫌な奴だと思わないでほしいというハグをしよう」


「しないし。なんだそれ……」


俺はなんだか力が抜けてしまい、笑いながら貴之の胸を軽く押す。

貴之はいたって真面目な顔で首を傾げていた。


「弟はこれで泣き止んだぞ」


「それ何歳の弟なんだよ。ていうか、俺は泣いてないし」


「俺が家に着いたときから、目が少し赤かった」


「だから……寝てたって言ったじゃん」


言いながら俺はパーカーの袖で目を擦った。袖口がほんのちょっとだけ濡れる。すん、と少し鼻をすすってから俺は言った。


「……変な話してごめんな、貴之」


貴之は両手を下ろして言った。


「別にいい。……そうだ、みずき」


「ん?」


自分から切り出したくせに、腕を組み、俯いて貴之が何か考えている。


ふいにぱっと顔をあげて、貴之が口を開いた。


「今度、俺とどこかに出かけよう」


「……は?何だよ急に。いいけど」


俺がそう言うと、貴之は目を瞬く。


「いいのか?」


「え、うん。いいけど……貴之が誘ったんだろ。どこに行くのか知らないけど」


「俺も考えてない」


「ますますよく分かんないな」


「うん、俺も分からん。だが、出かけよう。……たぶん、部屋で一人で寝てるよりは、楽しいと思う」


──楽しい。


それは少しの間、忘れていた感覚だった。


貴之は俺に背を向けて、テーブルに載った麦茶を一気に飲み干すと、コップを置いて「ごちそうさま」と言った。


「……そうだな」


俺がそう呟くと貴之が振り返った。


貴之は俺に救われていると言ってくれたが、救われているのは俺の方だ。


つくづく、俺は良い奴と友達なんだと思う。本当に。


そんな「良い奴」の貴之が言った。


「どこに行こう。……土手で凧揚げでもするか」


「……もうちょっと他になんか考えて」





電車で帰るという貴之を駅まで一緒に歩いて見送り、家に戻る。


いつの間にか日が沈み、あたりは暗くなっていた。


アパートの階段を上る途中、側に見慣れないワゴン車が一台停まっていることに気づく。ここの住人の車ではないと思う。

だが、俺はそれ以上気に留めず、部屋に戻ろうとした。


……したのだが。


「芦原みずきさん、ですか?」


すると、背後から声をかけられる。振り返るとそこにいたのは──。


「初めまして、ではないと思いますが。私、こういうものです」


その人は、スーツの懐から名刺を取り出すと、俺に渡してきた。


「え、あ……な……何で」


状況が飲み込めないまま、俺はその名刺を恐る恐る受け取る。


真っ白で余計な飾り等は一切ついていない、シンプルなその名刺にはこう書かれていた。



『Vine☆girl マネージャー 小牧 せつな』



「また会ったわね。みずき」


そう、そこにいたのは──思い出すまでもない。


今朝方まで一緒にいた、なこさんと。


──どういうわけか、和臣の「推し」・小牧さんがいた。






「では改めて。私、小牧と申します。Vine☆girlというアイドルグループで、マネージメントと、今はメンバーとしても活動しております。Vine☆girlのことは既にご存知ですね?」


「は、はい…」


二人に促されるまま、俺の隣の部屋──つまり、なこさんの部屋に通された俺は、居間の机を挟み、小牧さんと対峙する。


これから一体何が起ころうとしているのだろう。俺は全く見当もつかず、恐ろしかった。


ただでさえ、出会って一日も経ってない他人の家に通されて、緊張しているというのに。


そんな俺の緊張など全く気にしていないかのように、家主であるなこさんはキッチンでオムライスを作っていた。


卵を焼くじゅうじゅうという音が聞こえてくる。夕飯をごちそうしてくれるとのことだった。心遣いは嬉しいが、ありがたくない。

今は少しでも早く自分の家に戻りたかった。


それに、なこさんが席を外しているということは、俺は小牧さんと一対一で向きあうことになるのだ。


和臣でさえ、同じ空間でこんな近距離で……小牧さんと向き合ったことないだろうに。


何故、よりにもよって俺が。


──けど。


見れば見る程、小牧さんは美しい人だと思う。


背筋はぴんと伸びているし、髪もさらさらで艶がある。

そして、キッチンからただようチキンライスの匂いが、小牧さんの周辺で霧散しているんじゃないかと思うくらい、爽やかな良い香りを纏っている人だ。なこさんとはまた違う方向で、同じ男とは思えなかった。


和臣が夢中になるのも仕方ないかもしれない。


──そう思うと少し、胸がぴりっとするけど。


俺の視線を感じたのか、小牧さんはにこりと微笑むと言った。


「みずき君は私のことが好きですか?」


突然のその一言に衝撃を受けた。やはり小牧さんは自分とは全く違う人種なのだと思う。


俺はなんと言えばいいか分からず、とりあえずもごもごと口を動かす。


「いえ、あの……なんというか……」


「申し訳ありませんが、サインはあげられません」


「えっと、いらないです」


咄嗟にそう答えてしまったが、小牧さんは「そうですか」とあっさり受け入れている。

気分を害したような素振りは全く見せない。冗談で言っていただけなのだろうか。掴みどころがない。恐ろしい。


せめて、少しでも早くこの緊張感から解放されたい。俺はおそるおそる、小牧さんに聞いてみる。


「あの、どうして俺が、Vine☆girlを知ってるって…?」


「先日のイベント。そこにあなたが来ていたのは知っています」


俺は驚きのあまり「えっ」と声が出た。


「な、何でそんなことを……?」


「アイドルって凄いんですよ」


小牧さんがまたにこ、と微笑み、それに、と続けた。



「あなたくらい私に興味がない人も、他にいませんでしたから」



その瞬間、俺はとても恐ろしくなった。


こっそり側を通り抜けようとしていたところを、巨大な化け物に見つかったような気分だった。


やはりさっきの発言は冗談、いや、むしろ嫌味だったのかもしれない。


なんとかしてこの化け物をやり過ごせないか。俺が下を向いて黙っていると、小牧さんがさらに続ける。


「隠さずとも分かります、みずき君。あなたは私に嫉妬している。そうでしょう?」


嫉妬。その言葉に俺は思わず言い返す。


「し、してません。そもそも、アイドルなんて、嫉妬するような次元の人じゃないと思ってますし……」


「なるほど。底辺アイドルかぶれは羨むようなものではないと」


「そこまでは言ってないです」


「みずき君はアイドルに憧れているわけではなさそうですし、私自身に関心がある様子もありません。それは合っていますか?」


「まあ、その、そうですけど……」


「ではどうしてみずき君は私に嫉妬しているんですか?」


「だから、嫉妬なんてしてませんって」



「もしかして──私は、みずき君の好きな人でも取ってしまいました?」



「ち、違います!!」



気がつくと、自分でも驚く程大きな声でそう反論していた。

さすがの小牧さんも驚いたのか、目を少し見開いてぱちりと一回、ゆっくり瞬きした。


「何やってるのよあんた」


そんな小牧さんと俺のやりとりに見かねて、なこさんが割って入ってきた。


オムライスが盛り付けられた皿を三枚とスプーン三本を両手で器用に抱えている。

なこさんがテーブルに皿を並べると、小牧さんはなこさんに「ありがとうございます」と言った。なこさんがふん、と鼻を鳴らす。


「あんたがみずきに興味があるのは分かったけど。今日は他に大事な目的があるんでしょ?」


「ええ。ですから、まずはこうしてみずき君とコミュニケーションを取っているのですが」


「そのコミュニケーションが下手くそなのよ、あんた」


なこさんがため息をつき、腰を下ろす。

俺の隣でもなく、小牧さんの隣でもない。席次で言うとお誕生日席の位置になこさんは座った。


そして、仲介役を引き受けてくれるのか、なこさんは俺に話を振った。


「いきなり来てわけが分からないわよね?みずき」


まあ、それは昨晩のなこさんもそうでしたけど。


そこにはあえて触れず、俺は黙ってこくりと頷く。なこさんは「ほらね」と言って小牧さんを睨む。


しかし、小牧さんはまたも「そうですか」とあっさり流した。


──埒が明かない。


「あの……その、目的って何なんですか……?」


思い切って、俺は小牧さんに尋ねる。

すると、小牧さんが「はい」と頷いてから答えた。


「私は今日、みずき君にお願いしたいことがあって来ました」


「お願いですか?」


「ええ」


──一体、何だよ。


俺は緊張で、身を固くする。


勿体つけるような間が空いてから、小牧さんは、なこさんの顔をちらりと見て言った。


「なこは、ああ言いましたが……私は先程のみずき君とのやりとりでひとつの確信を得ています。その上でみずき君にまずひとつ、聞かせてください」


「は、はい……?」



小牧さんはひと呼吸置いて、俺にこう問いかけた。



「みずき君、『推しより好きと言ってほしい』と思いませんか?」

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