第14話


『それでは次の曲、聴いてください!』


テレビの画面に映し出されるカラフルな電飾の光が、カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、ちかちかと明滅する。


那須野さんこと、なこさんが出て行った後、俺は和臣から返してもらったアイドルのDVDの映像を床に転がってぼんやりと見ていた。



和臣にイベントに誘われなかったかもしれない。



なこさんとの何気ない会話で気づいたその可能性は、思いのほか俺にダメージを与えていた。


大学生にもなって友達に遊びに誘われなかったくらいで落ち込むなんて、自分でもくだらないと思う。


いや、和臣は俺にとって、ただの友達ではない。


好きな人なのだ。


好きな人に誘われなかったら悲しい。それは、いくつになっても、悲しいのだ。


まあ、そもそも和臣が今日のイベントに行っているとは限らないが。


俺は床に投げ出されていたスマホを拾い上げ、なんとなくSNSアプリを開く。


タイムラインには大学での知り合いの投稿が数件流れている。

特に興味もなく、適当に画面をスクロールさせていると、一番上に和臣の投稿があった。



『びねがのイベント来た』



「……」


俺はスマホをその辺に放り投げて、床に顔を伏せた。


え、なんで。


なんで誘わなかった?俺一回も断ったことないじゃん。全然予定とかないし。

和臣以外だと貴之くらいしか友達いないの明らかなんだからどうせ暇じゃん。俺暇なの分かるじゃん。


なんで誘わなかった?


『あの日の 君の表情かおの理由 教えてよ♪』


突然耳に入ってきたアイドルの歌に俺は飛び起きて、リモコンでテレビの電源を落としていた。


ぷつんと切れて真っ黒になった画面には、もうアイドルの姿も眩しい電飾も映らない。


壁に背中を預けて両足を投げ出すように座る。はあ、と溜息がでた。


正直なところ、和臣が俺を誘わなかった理由に、心当たりがないわけではなかった。


先日、和臣と一緒にVine☆girlのイベントに行った時のことだ。


俺はそのアイドルに心を奪われている和臣に対して、無性に苛立っていた。つい、態度に出してしまってもいた。


和臣はそんな俺の態度に気づいてないように見えたが、それはあえて触れないようにしていただけで、本当は不快にさせていたのかもしれない。


そんな人間と二度と一緒にイベントに行きたくないと思うのは当然だ。


というか、今までが不思議だった。趣味が合うわけでもない、オタクじゃない俺と、一緒にイベントに行っていたことが普通じゃないのだ。


ちょうどよかったのかもしれない。


どうしてあの日、あんなにも和臣に苛立っていたのかは、まだ分からないが、たとえ今回のことがなくても、和臣が俺を誘わなくなるのは時間の問題だったと思う。


「くだらな……」


俺は自分に言い聞かせるようにぼそりと呟いた。本当にくだらないことだ。


好きな人にちょっと誘われなかったってだけでへこんで、なんだか鼻水まで出てきた。


だけど実際悲しいのだから、やっぱり仕方ないのかもしれない。


俺はテーブルの上に置いてあるティッシュで鼻をかんだ。


その時だった。


ぴんぽーん、と軽快なチャイムが部屋に響いた。


俺は重い腰を上げ、鼻をかんだティッシュを丸めてゴミ箱に投げ入れ、玄関に向かう。


扉を開けるとそこには──。


「……!」


自分から訪問してきたくせに。


目を丸くして驚いている貴之がいた。





「カーテン閉まってたから、いないのかと思ってたぞ」


俺は貴之を部屋に上げ、「適当に座れよ」と言った。冷蔵庫から麦茶のペットボトルを出し、コップに注ぐ。テーブルにそれを運んでいくと、貴之がコンビニのビニール袋を持っていることに気づく。


「何それ」


「土産だ。いなかったらドアノブにでも提げとこうと思ったんだが」


貴之がその袋を俺に差し出してきたので受け取る。中を覗くと雑誌が入っていた。

嫌な予感がしたが取り出してみれば、それは『実録!芸能界マル秘事件簿!闇に消えた女たちの嘘と真実に迫る!』という、小さめの、いわゆるコンビニコミック的な……いかがわしい雑誌だった。


「気晴らしにいいかなと思って買ってきたんだが」


「ありがとう、今度使うな?」


「使う?」


古雑誌は生ごみの処理や窓掃除や梱包などに使えるからな。


俺はシンク下のスペースに雑誌をしまい、再びテーブルまで戻ってくる。

今度は貴之が俺に聞いてきた。


「みずきは何してたんだ?」


「え、うーん……まあ、寝てた」


「そうか」


貴之は下を向いて何か考えている。俺は麦茶を一口だけ飲んだ。妙に喉が渇いていた。

少ししてから、貴之が口を開く。


「……和臣と、出かけてるのかと思った」


俺はどう答えようか迷った。

貴之は、いつも俺が踏み込んでほしくないと思っていたところに、さらりと入ってくるから困る。


ひとまず、俺はこう答えた。


「……休みだからって、いつもそうなわけじゃないぞ。貴之こそ、何か俺に用があったのか?単に雑誌持ってきたわけじゃないんだろ」


「いや、雑誌を持ってきただけだ」


「じゃあ麦茶飲んだら帰れ」


「うっかりみずきに会えたのでラッキーだと思ってる」


「はいはい。俺はそんなに嬉しくないけど」


俺がそう言うと、貴之がわざと麦茶をちびちび飲みだしたので、俺もわざと舌打ちする。

それを見て、貴之がふっと笑ったので、俺もつい少し笑った。


笑ったらまた喉が渇いたので、俺も麦茶に口を付ける。


踏み込んでほしくない。

しかしそれは「誰かに聞いてほしい」と少し思っているようなことでもあって。


俺はとん、とコップをテーブルに置いてから、貴之に切り出した。


「ほんと言うとさ」


「……」


貴之が居住まいを正し、俺の方をじっと見てきた。

俺は小さく息を吸って吐いてから、言った。


「……和臣、今日Vine☆girlのイベント行ってるみたいなんだ」


「やっぱりそうなのか」


貴之がぼそっと言った。俺が「知ってたのか?」と聞くと、貴之は首を振って「なんとなくそう思っただけだ」と答えた。

俺は「そっか」と言って続ける。


「それで、その……俺は今日は別に誘われてないから、まあ家にいるんだけど」


言いながら、俺は恥ずかしくなってきた。


一体、何を言ってるんだろう。いくら貴之が俺の気持ちを知っているからと言って、別にこんなこと言わなくてよかったのだ。


この前は「別に気持ち悪いとは思わない」と貴之は言っていたが、さすがに気持ち悪くないだろうか。


ただ誘われなかったというだけで、こんなに拗ねているなんて。


「いや、ごめん。別にこれ、そんなに気にしてるとかじゃないし。何でもないっていうか──」


「みずき」


俺が慌てて弁明しようとすると、貴之は俺をじっと見据えて言った。


「気にしてもいいと、俺は思う」


貴之はさらに言う。


「みずきが気にしているなら、俺も気にする。俺に、何かできるなら、したいと思う」


「……」


俺はテーブルの木目をじっと見ながら、しばらく黙っていた。

貴之は俺が何か言うのを待ってくれていると思う。そのうち、俺はぽつりと言った。


「俺、めちゃくちゃ嫌な奴なんだ」


「……そうなのか?」


「うん。この前和臣と出かけた時も、何もないって言ったけど……アイドルに夢中になってる和臣見て、なんか勝手に苛ついて、和臣にちょっと当たって、家でこうやっていじけて貴之巻き込んでる。めっちゃ嫌な奴」


下を向きながらはは、と笑う。貴之は何も言わなかった。


「だからさ、こうやって、和臣に誘われないほうが当たり前なんだ。今まで連れてってくれてたのが、不思議なくらい。ほんとは貴之みたいなオタクの奴と一緒に行ったほうがいいのにな」


「俺はドルオタは嫌いなんだ」


今まで聞いたことがないような貴之のその声色に、俺は思わず顔を上げる。


貴之の顔はいつもと変わらず感情に乏しい。

それなのに、目の奥ではどこか怒っているように見えた。しかし、貴之はすぐに首を振ってこう言った。


「……いや、和臣が嫌いということじゃない。ドルオタであることは和臣の全てじゃないからな。単にドルオタが嫌いというだけだ。今回のことも、別に和臣は悪くないと思う」


俺はそれを聞いて少しほっとしていた。貴之に和臣を悪く思ってほしくなかったのだ。


悪いのも、嫌な奴も俺だけで──。


「だからと言って、みずきが嫌な奴だなんてことは、絶対ない」


そう言って、貴之はかなり大げさに首をぶんぶんと振ってみせる。

俺はそんな貴之を見て、肩を揺らして笑いながら言った。


「なんだよ……それ。嫌な奴だよ、俺」


「絶対ない。みずきは良い奴だ。だから和臣みたいな良い奴が友達なんだ」


「和臣が騙されてるだけ……貴之も。大体勝手に好きになったくせに、嫉妬したり、いじけたり、こんな風にさ……めんどくさいしクソ迷惑じゃん」


「俺は迷惑だと思わない」


それに、と貴之は言った。



「迷惑だと思われる程、みずきのそういう気持ちは、和臣に伝わってない」



部屋が一瞬、しんと静まり返った。貴之の言葉に、頭が急速に冷えていくのを感じる。

俺は口を開いた。



「……伝わったら、本当にダメだからな。俺みたいな奴の、こんな気持ち」


「伝えるかどうかは自由だと思う。だが、ダメってことはないと思うが」


「ダメなんだよ」


「だが、伝えようとしたことだってあるんだろ──」


貴之は言ってから「しまった」という顔をした。


俺は貴之の「言いたいこと」が分かったので、首を横に振って「気にするな」と言った。


──もう、いいか。


俺は立ち上がると、押し入れからあの「日記」の束が入った段ボールをひっぱり出した。


俺が何をするのか、貴之が不思議そうに見ている。


十数冊重なった日記の束の、上から五冊目。


そのノートに挟まっていた「白い封筒」を俺は抜き取って、貴之に見せる。


「……貴之が言おうとしたのはこれのことだろ?」


「そうだが。でもそれは、みずきの──」



──『なんだ、和臣へのラブレターか?』


──『……まあ、そうだな』


──『渡さないのか?』





「これ、俺のじゃないんだ」




貴之が、俺が部屋から出てきた時よりももっと目を丸くしている。


俺は淡々と続けた。


「このラブレター、俺が書いたやつじゃないんだ。高三の時、和臣のことが好きだった奴が、和臣宛てに書いて、下駄箱に入れたやつ」


「……どうして、みずきが持ってるんだ?」


まっすぐに俺の目を見てそう問う貴之に、俺も貴之の目をまっすぐに見て言った。



「盗んだから」



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