第13話


ブラインドの隙間から朝陽が部屋に差し込む。

蛍光灯などは点けず、他に光のない薄暗いビルの一室で、小牧は目の前のノートパソコンの画面を睨んでいた。


ここは小牧がマネージャー兼『代打』を務めるアイドルグループ・Vine☆girlの事務所。

今日は昼頃から都内の小さなイベントスペースで定例ライブをする予定だが、メンバーの集合時間にはまだ早い。

よって、事務所には小牧しかいなかった。


ノートパソコンの画面には写真が映し出されている。

先日の定例ライブで、記録と宣伝用としてスタッフに撮ってもらった写真だ。ステージでパフォーマンスするアイドルの様子、それを見ているファンの様子、特典会の時の会場の様子。


プロのカメラマンではないが、ぶれも少なく素人にしてはよく撮れていると思う。思ったところで、バイト代をはずんであげられるような余裕はここにはないのだが。


「……」


しかし、先程から小牧が見ているのは、アイドルとしての自分の写真写りでも、他のメンバーのパフォーマンスの様子でも、会場内の様子でもない。


ファンだ。


小牧はあの日会場に来ていたファンを見ていた。

それもファン全体ではなく、あるファンを、『見ていた』というより、『探していた』。


──彼の存在が、必要になったから。


先日の定例ライブ──小牧は『アイドル』としてステージに立った後、特典会では会場スタッフとして誘導や案内の仕事をしていた。


しかし、その間ずっと妙な視線を感じていたのだ。

ただの視線ならいつも浴びているという自覚がある。だが、それは好意的なものなどではなく、どちらかと言えば、羨望や嫉妬のようなものだった気がする。


小牧は今の職に就いてから、そのような目で見られることはあまりなかった。

ファンも少なければ敵も少ないアマチュア地下アイドルグループである。


いくら自分が圧倒的な美人で、パフォーマンスも魅力的な上に、マネージャーとしても優秀とはいえ、この状況を羨んだり妬んだりする者は皆無だろう。


ところが、現にそんな珍しいファンがいたのだ。


いや、実際のところ、本当にファンなのかはわからない。


小牧の見立てでは、おそらくファンである友人に連れてこられた付き添いではないかと踏んでいる。


根拠としては、特典会のなこの列からも、ユキの列からもそのような視線は感じなかったこと。


視線の主は自分達にあまり好意的ではないと思われるが、特典会の間ずっと視線を感じていたことから、それだけ長く会場に留まっていたということがある。


しかし、ただ付き添いで来ているというだけで、何故あのような視線を小牧に向けるのだろうか。


必要性以上に、小牧は純粋に……彼に興味があった。


──あの日のうちに見つけだして、話しかけておくべきだったか。


そう思っても、仕方ない。


だが、幸い(と言ってはいけないのだが)、あの日会場に来ていたファンは少なかった。


特典会の間ずっと会場内にいたのなら、どこかに写っている可能性は高い。

もし視線の主らしき人物が写っていれば特定できるかもしれない。


それで、こんな朝早くから、熱心に小牧はパソコンの画面を見続けていたのだ。

──要するにまあ、今の小牧は暇だった。


しばらくの間、カチカチというクリック音だけが室内に響く。


やがて小牧は席を立ち、腰に手を当てて伸びをした。すると突然、蛍光灯がぱっと点いた。


「……ずいぶん早くから来てるのね」


背後からの声に小牧が振り返ると、そこにはVine☆girlのメンバー・なこがいた。


「貧乏暇なしと言いますから」


「嘘。大した用ないでしょ」


「まあそうですね」


なこはパーテーションで仕切られた小さな更衣スペースに入ると、「あ、やっぱりここだわ」と声を上げた。


「何かあったんですか、なこ」


自分のデスクの事務椅子に座りなおしてから小牧が訊くと、なこはピンクの毛玉のようなキーホルダーがついた鍵を、ご機嫌に片手でくるくると回しながら言った。


「昨日、事務所に家の鍵を置いてっちゃったの。締め出されて大変だったけど、見つかってよかったわね」


なこはさらりとそう言ったが、小牧はなこの発言に眉をピクリと反応させた。


「締め出されたって……じゃあどうやって一晩過ごしたんですか?」


「隣の部屋の人にたまたま会ったから泊めてもらったけど」


「知り合いなんですか?その隣の方」


「初対面ね」


小牧はなこの言っていることが理解できず、ぱちぱちと二度瞬きをした。

そしてふう、と軽く息を整えてから、なこに問いかけた。


「一応、聞きますが……何もなかったんですよね?」


「何もないわよ!お風呂借りて、一緒に酒飲んで、DVD見て、朝ごはん作ってあげただけ」


「本当に初対面なんですか?」


若い学生カップルのような『何もなかった』に、小牧はなこのことが分からなくなった。しかし、当の本人は上機嫌で話し続ける。


「なかなか可愛い子だったわ。でも私の勘だと、たぶんもう好きな人がいるわね。積極的なタイプではなさそうだけど、意外と執念深かったりして」


小牧ははあ、とため息をつくと、なこの話は聞き流しながら、再びパソコンでの作業に戻る。

これ以上付き合っていられない。暴力沙汰や性被害等にあったわけではないなら、もういいやと思っていた。


「あ、そうだ。その隣人、友達がVine☆girlのファンで、あんた推しなんだって」


なこがそう言った瞬間、小牧はパソコンから顔を上げてなこを見た。その真剣な表情になこは少し気圧される。


「ど、どうしたのよ」


「今、何と言いましたか」


「え?だから、その隣人……みずきっていうんだけど、みずきの友達がVine☆girlのファンであんた推しだって……あ」


「やっぱ、ファンの家とかに泊まるのはマズかった?」となこが今更なことを言う。

だが、小牧が反応したのは、そこじゃなかった。


それよりも。


小牧は顎に手を当てて考える。


友人がVine☆girlのファンで、自分……小牧推し。


それはまさしく小牧が想定している「視線の主」の人物像に近い。しかし、そんな偶然がありえるだろうか。

小牧がなこにもう少し詳しく聞こうとすると、いつの間にか小牧のデスクに回り込んでパソコンを覗いていたなこが「あっ」と呟く。


「今度は何ですか?」


「あんたが、見てる写真。これよ。これ、たぶんみずきだわ」


なこが指さす先にあったのは、写真の端に僅かに写っている10代後半くらいの青年。

会場の壁にもたれかかり、特典会の様子をつまらなそうに眺めている。


もしも彼があの視線の主だとするなら、その嫉妬や羨望の対象は本当に自分なのだろうか。


小牧はふと、そう考えた。


そして、しばし目を瞑って熟考する。

しかし、なこはそれを許さなかった。「ちょっと!」と小牧の肩をばしばしと叩く。


「なんで皆、急に静かになるわけ?」


「なこ」


小牧は思考を諦め、なこに向き直る。そしてこう言った。


「今日のイベントの後、少し時間を頂いてもいいですか?」


「別にいいけど。何があるのよ?」


小牧は、なこの耳に顔を寄せて、こそこそと何事か話した。


──別にこの二人しかいない事務所でそうする必要は全くないのだが。

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