第11話
「ぐう……」
DVDを再生し始めて十分。那須野さんは眠ってしまった。床には空になった酒の缶が二本転がっている。いつの間にか俺の分まで飲まれてしまったらしい。
しかし、困ったことは他にある。
那須野さんは、俺の膝の上に頭をのせて寝ているのだ。
俺は和臣以外にこんなことをされても特に嬉しくはないし、こういうハプニングはよそでやってほしい。
俺は体をずらして、那須野さんの頭を膝上から退かそうと試みる。
「いっ……!!」
しかし、足が痺れて上手く動けない。俺はその痺れに悶絶し、思わずのけ反った。そしてそのまま床に転がってしまった。
だが、その衝撃で那須野さんの頭は俺の膝上から離れて……。
「ぐえっ!?」
思い切り床に頭を打ち付けていた。目が覚めたようで良かったと思う。
那須野さんは頭を掻きながらおもむろに体を起こし、テレビの画面を見る。
画面の中では十人のアイドル達がステージに並び、一人ずつファンに向けて挨拶をしている。
「もうラストじゃない……私そんなに寝てたの?」
「いや、まだ十分くらいしか経ってないですけど」
「はあ?だってこれ一番最後のMCでしょ」
俺はパッケージを手に取り、中身を確認する。那須野さんが横から覗き見て言った。
「あんた、DISC2から入れたのね」
「……ごめんなさい」
俺は那須野さんに促され、DISC1と入れ替えようとレコーダーに近づく。丁度、ステージの中心に立っていたアイドルが挨拶を始めたところだった。
『好きという気持ちは人をどこかへ連れて行ってくれます』
その声が聞こえた時、俺は思わず画面を見上げていた。
十代半ばくらいのすらりと背の高い、黒髪のツインテールのアイドル。
──瞬間、俺は昔の記憶が蘇ってきた。
そうだ、姉の物だったこのDVD。十年程前、当時このアイドルグループが好きだった姉が、よく居間のテレビで見ていたのだ。
そして、姉が一番気に入っていたのがこの黒髪ツインテールのアイドルだった。
「……ちょっと待って」
振り返ると那須野さんも画面に映るそのアイドルに釘付けになっていた。
俺はディスクを入れ替える手を止め、彼女の挨拶を聞くことにした。
〇
『好きという気持ちは人をどこかへ連れて行ってくれる──これは……私が憧れていた、ある人に教えてもらったことです。
ですが、今、私はその意味をやっと……自分の手で理解できたのではないかと思います。いえ、正確には……今、ここにいる皆──ファンの皆さんも、メンバーも、スタッフさんも、皆。皆のおかげなんですけど。
私、アイドルが好きです。それでこうしてアイドルになって、メンバーに出会って、メンバーのことがアイドルとしても、仲間としても好きになって。それからファンの皆に出会って、応援してくれている皆のことが好きになって、こうして皆と一緒にいることができるこの場所が好きになりました。
皆は、私達のこと、好きですか?
……ふふ。好き?
ありがとうございます。……全部、伝わってます。
だって、私は、私達は……皆のその『好き』という気持ちで、今日、こんな大きなステージに立つことができましたから。
皆の『好き』が、ここに連れてきてくれたんです。ほんとに、ほんとにありがとうございます。
さっきも言いましたが、私も皆のことが好きで、この空間の全部が好きなんです。
なので今度は私の、私達の、『好き』で、これから皆をもっと先に連れて行きたいと思います。
だから皆も、これからも私達を『好き』で、いてくれますか?一緒に来てくれますか?
……ありがとうございます!
以上。十九歳、絶対センター、「せっちゃん」ことせつなでした。今日は本当に、ありがとうございました!』
彼女──「せつな」というそのアイドルは深々とお辞儀をしてから、一歩下がる。
彼女の挨拶が終わると、突然、ぷつんと画面が真っ暗になった。那須野さんがリモコンで停止ボタンを押したようだ。
「……那須野さん?」
「あしはらさん、もういいわ」
「いいって……どういうことですか?」
「DVD。見せてくれてありがとう」
那須野さんはこちらに近づいてくると、俺が持っていたDISC1を取り、ケースに戻した。俺はそんな那須野さんの様子が気になり、つい聞いてしまった。
「急にどうしたんですか?」
「うん……なんというか。色々思い出したの」
「色々?」
那須野さんは俺の方を振り返って聞いてきた。
「……あしはらさんってさ、ずっと好きなものってある?」
俺はどきりとした。そんなもの和臣以外ない。
那須野さんが聞いてるのはそういうことじゃないのかもしれないけれど。
俺は正直に答えた。
「あります」
「それ、これからも好きでいられるって思える?」
和臣をこれからも好きでいられると思えるかなんて。
俺は答えられなかった。質問の意味も、どう答えたいかも分かっているはずなのに、その答えを心から言える自信がなかった。
だから、言った。
「……分かりません」
「まあ、そうよね」
那須野さんは、その辺に置いてあったクッションに頭をのせて、横になる。そして言った。
「……さっき挨拶してたあのアイドル。私が一番憧れてたアイドルなの」
「那須野さんは、今も好きなんですか?そのアイドルが」
「あの子はもういないから」
「いない?」
「あの子どころかグループだってもうない。あそこにいたファンも、ああやって、あのグループの元に集まることは、もう二度とない」
「……じゃあ、那須野さんは、もう好きじゃないんですか?」
「さあね」
那須野さんはそう言うと、クッションに顔を埋める。
「例えいなくなっても、何があったとしてもずっと好きなんて、そうなる前はいくらでも言えるから」
那須野さんはそれきり黙ってしまった。もしかしたらまた寝てしまったのだろうか。俺は洗面所から適当なタオルケットを持ってきて、那須野さんにかけた。
俺は自分の分として敷いた布団の上に寝転がる。那須野さん用に一応、少し離れたところに客用布団を敷いておいたのだが、まあ、また目が覚めたら自分で移動してもらおう。
隣人との奇妙な一夜もこれで終わりだ。俺は電気を消して目を閉じる。
しかし、すぐに眠ることなどできず、つい那須野さんが言ったことを考えてしまう。
『何があったとしてもずっと好きなんて、そうなる前はいくらでも言える』
実際、そうだった。俺はそのことをよく知っているつもりだった。
『何があっても』のその『何が』を受け入れる準備なんて本当は全くできてないのだ。昔も、今も。
だからこそ、恐れている。
『何か』があって、自分の『好き』がなくなってしまうことを。
もう何も持っていなかった『つまらない』自分には戻りたくないから。
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