第9話
今日は天気が良い。
柄にもなくそんなことを考える程、俺は暇を持て余していた。
昼過ぎの大学の中庭テラスは、多くの学生で賑わっている。
空は晴れ、気温もほどよく暖かい。こんな日は誰もがテラスに出てみたくなるだろう。
今の俺みたいにテラスのテーブルに突っ伏して日向ぼっこなんてしていたら、気持ちよくてうっかり午後の講義をサボってしまいそうだ。
陽光が羽織っているカーディガン越しに背中に当たるのを感じる。ぽかぽかだ。ずっとこうしていたい。
どのくらいそうしていたのだろう。
突然、誰かに肩をポンと叩かれる。おもむろに顔を上げると、
「おつかれ、みずき」
「……おつかれ」
貴之が対面の椅子を引いて座る。俺はうんと伸びをしてから体を起こした。思わずふわあと欠伸が出る。
「眠そうだな」
「今日あったかいしな」
「昨日はどうだった?」
貴之が急に質問してきたので、俺はギクリとした。
この場合、貴之が言っている「昨日」とは「俺と和臣が二人でイベントに行った日」のことであり、「どうだった?」とは当然昨日の天気や気温のことを聞いているわけではないだろう。
考えないようにしていたことを突きつけられた。
……とりあえず。
「何のこと?」
「昨日和臣とデートに行ったことだ」
とぼけても無駄か。大した時間稼ぎにもならなかったし、これ以上は逃げられそうにない。
「あれはデートじゃないし、別に何もなかった」
ひとまず、俺は貴之の言ったことを否定する。貴之はじっと俺のことを見つめて言った。
「……何かあったのか?」
「いや、ほんとに何もないって」
貴之の追求から早く逃れたくて、つい食い気味に返事してしまう。こんなの、本当は何かあったなんて言ってしまったようなものだ。
まあ何かあったと言っても、本当に大したことじゃない。
和臣がアイドルに夢中になっていることを、ちょっとだけ、面白くなく思ってしまったというだけだ。
イベントの後、和臣と別れ、家に帰って一晩あの「ぴりぴり」とした感情に向きあった結果、俺はそう結論づけた。
正体が分かってみれば、それほど大したことじゃないのだ。
ただ、大したことじゃないと思えば思う程、何故そんなことで自分がぴりぴりしてしまうのか分からなくなる。
ぴりぴりしていると和臣にもつい強く当たってしまうし、昨日のことを思い返すと和臣への罪悪感で頭を掻きたくなってしまう。悪いことをしたと思う。
そんなことをぐるぐると考えていたら、なんだかもう何もかも放りだしたくなってしまい、こうしてテラスで突っ伏していたわけだ。
俺も貴之もしばらくの間、なんとなく黙っていた。
俺はどこか遠くを見ながら横目で貴之の出方を窺う。
貴之は腕を組んで、テーブルの上の一点を見つめている。貴之が今のやりとりで何を感じたのかは、分からない。
ふいに貴之が口を開いた。
「……みずきが何もないと言うならそれでいい、が」
「……?」
「もし、何かあったとしても、あまり思いつめないでほしい」
俺は驚いた。こんな風に貴之に心配されるとは思わなかったからだ。
俺は貴之に「ありがとう」と言った。
貴之はそれに、うん、と頷いてから言った。
「言いたくても言いづらかったら代わりにあの日記を見せてくれてもいいぞ」
「もうそれ忘れろよ。ていうかあの後恥ずかしくなってやめたわ」
急に二週間以上も前の話を持ち出されて俺は焦る。もう忘れたと思ってたのに。
日記をやめたと聞いて寂しそうな顔をしている貴之に呆れていると、背後に人が近づいてくる気配を感じた。
「おーす、おつかれ」
振り向くとそこには和臣が立っていた。
◯
「同窓会?」
おう、と和臣が頷く。
俺は和臣も席につくように促したが、首を振って「いい」と言った。どうやらどこかに用事がある途中で、俺達に会ったから声をかけただけのようだ。
和臣は話を続ける。
「この前、高校の奴らが言ってただろ。久しぶりに集まろうぜって。みずき、グループチャット見てないの?」
「俺たぶんそのグループ入ってないし」
「あ」
一瞬の沈黙。
和臣がこほん、とわざとらしい咳をしてから仕切り直す。
「と、とにかくさ、みんな来るし……みずきも誘えって言われてるから、同窓会来いよ」
グループに入ってない奴を誘えなんて言うわけないだろ。
喉まで出かかったが言わなかった。和臣は交友関係が広い。まさか同窓会の話題が出たグループチャットに俺が含まれてないとは思ってなかっただけなのだ。したがって彼は何も悪くない。突っ込むのは野暮だ。
だが、それと同窓会に行く・行かないは別だ。俺は正直、気が乗らなかった。
和臣の言う「高校の奴ら」の内訳は大体想像がつく。
その彼らと俺は、和臣を通してつるむことはあっても、じゃあこういう集まりに計画の段階から俺を入れるかと言われると微妙だ。いたら受け入れるが、いなくてもいい。それが彼らにとっての俺だ。その輪に入れてもらうのは、なんだか悪い気がしてしまう。
和臣の手前、どう断わろうか。俺は思案を巡らせる。
しかし、和臣は俺が参加を迷っていると思ったのか、これならどうだとばかりに言った。
「ひなたも来るぞ」
久しぶりに聞く、その人物の名前に、俺は体が強張るのを感じた。
そんな俺の様子を見た貴之が「新キャラか?」と小声で聞いてくる。うるさい。
どちらかといえば、俺の人生においては貴之の方が新キャラだ。
──
和臣の幼馴染で、俺にとってもまあ、かつての友人というか、親交のあった人間だ。
そして俺は、彼女の名前を一生忘れることはないだろう。
俺が彼女にしたことを思えば、当然だ。
「……結城に俺を呼ぶってこと言ったのか?」
俺は和臣に聞く。
「いや、まだ言ってないけど」
和臣の言葉に俺はつい、ほっとしてしまった。結城には俺のことを思い出してほしくなかったのだ。
結城が来るなら俺は尚更、同窓会には行けない。
……ますます、和臣になんて断ればいいのか分からなくなったけど。
「……まあさ、まだ予約とか何もしてないし、行く気になったらいつでも言えよ」
いつまでも返事をしない俺を見かねたのか、和臣がそう言った。俺はそれに小さく「ああ」と返す。
「じゃあ、俺行くとこあるから。あ、そうだこれ」
去り際に和臣が何やら、背負っていたリュックの中から何かを取り出した。
「これDVD、返すな。本当は昨日返そうと思ったんだけど、忘れちゃってさ」
和臣はそう言って俺に白い袋を渡してきた。中を覗くと確かにDVDらしきものが入っている。
「和臣にDVDなんか貸したっけ」
「高校んときにお宝交換って言ってさ、やったじゃん。その時のだと思うんだけど」
言われて、俺は思い出した。そうだ、そんなこともあった。
──×6年 ●月●日
『和臣と「お宝」を貸し合うことになった。(DVD?とかのことらしい。)
俺はDVDとか持ってないから、とりあえず姉ちゃんの部屋にあったDVD貸したんだけどあってたかな。
和臣に借りたやつはまだ開けてないけど、紙袋から和臣の家の匂いがする。
他人から借りたものってなんか独特な匂いするよな。どっちかといえばくさいっていうか。なんか変な匂いなんだけど、癖になってしまいしばらく嗅いでいた。好き。』
確かあの時、和臣に貸せるようなDVDを俺は持ってなくて、姉が持っていたDVDを勝手に貸したんだった。どんなDVDだったかは忘れたけど。
今度、実家に帰ったらこっそり姉の部屋に戻そう。バレたら殺される。
DVDが入った袋を大事にトートバッグの中にしまっていると、和臣が言った。
「それ、ありがとな。ずっと借りててごめん」
「ん?ああ、別にいいよ。和臣なら二年ぐらい忘れてても無理ないし。ていうか俺のじゃないし」
「え?あ、やっぱりそうなんだ」
その時、和臣が何か期待が外れたような表情をしたような、そんな気がした。
しかしそれはほんの一瞬だったから、俺の気のせいだったのかもしれないけど……。
「かず……」
「いや、なんでもない」
俺が呼ぶよりも早くそう言うと、和臣は「じゃあまたな」と手を振って去った。
和臣の背中が見えなくなった後、貴之は俺に言った。
「二年もののDVDが入った袋ってどんな匂いがするんだろうな」
「うるさい」
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