第3話
「……ふむ」
貴之が読み終えた十五冊目の日記を閉じる。
その顔は満足げで、まるで漫画を一気に読み終えた後のような達成感に満ちている。
本当に人の日記を何だと思っているんだ。
あの後、俺と貴之はひとまず俺の家に行くことになった。
貴之に日記を見られた恥ずかしさで泣いている俺への周囲の視線が刺さり、居たたまれなくなったからだ。
というか、俺は一人になりたかったので家に帰るつもりだったのだが、貴之が勝手に着いてきたのだ。
本当に馬鹿だと思う。
あまりにも貴之が馬鹿なので泣く気分じゃなくなった。
そして貴之は俺の家に着くなり、部屋に積んである日記の束を見つけて「読んでいいか?」と聞いてきた。
俺はもうどうでもよくなり「いいよ」と言った。
そして今に至る。
俺は貴之が日記を読んでいるところを、布団に転がってただ眺めていた。
気のない人間と寝ることになって、その相手に服を脱がされるとしたらこんな感じなんだろうか。
貴之が閉じた日記を束の一番上に戻す。すると、布団に転がって自分を見ている俺に気づいたのだろうか、こう言った。
「よかったぞ」
「感想を求めてるんじゃない」
〇
「ところで、ノートに挟まってたこれは何だ」
貴之が右手に持った封筒をひらりと俺に見せてくる。
瞬間、俺は体がカッと熱くなるのを感じる。
「それはだめだ!!」
我を忘れて貴之からその封筒を奪い取ろうとする。
と言っても、貴之は特に抵抗しなかったので、あっさり俺に封筒を返した。
俺は手にした封筒を確かめる。
糊で丁寧に綴じられた白い封筒。中身は見られていないだろう。
俺は、ふう、と息を吐く。
「なんだ、和臣へのラブレターか?」
「……まあ、そうだな」
「渡さないのか?」
突然、部屋からあらゆる音がなくなったみたいに、その問いだけが鮮明に聞こえた。
封筒を持つ指に力が入る。
何も答えない俺に貴之が気まずそうに言う。
「……すまん、嫌なこと聞いたか」
「いや、いいよ」
それだけ言ってしばらく黙っていると、貴之が「それにしても」と切り出してきた。
「みずきは本当に和臣が好きなんだな」
「は、はあ!?」
他人にこうもさらりと言われると余計に恥ずかしい。ぶわあっと頰が熱くなるのを感じる。
俺は貴之に「うるさい」と言って、枕に頭を埋めた。
貴之は何も言わず、俺も何も言わない。
しばしの沈黙。
「……気持ち悪いとか思わないの」
俺が本当にただ、何となく聞いてみる。
貴之は何でもないような顔で言った。
「俺が気持ち悪いって言ったらみずきは和臣を好きじゃなくなるのか?」
貴之の言ったことをよく考える。
頭の中で何回も質問を繰り返す。
胸に手を当ててみる。
「……ならないと思う」
「ならそれでいいんじゃないか」
貴之はまたそれ以上何も言ってこない。
俺は部屋の天井の一点をしばらく見つめていた。
「でも言われたらつらい」
俺はぽつりと言った。勝手に言葉が出てきたようだった。
「俺は別に気持ち悪いと思ってない」
ちらりと貴之に視線を移すと、貴之は俺の顔をまっすぐに見ていた。眉の寄った真剣な顔をしている。俺は貴之に悪いと思いながらも、少し笑ってしまう。
「知ってる」
「そうか」
「あんなに日記読んどいて今更キモいとか言わないだろ、さすがに」
「まあそうだな」
部屋はまた静かになった。
閉じたカーテンの隙間から漏れる、昼過ぎの外の光が顔に当たり、眩しい。
不思議だった。
七年近くこそこそと書いて自分だけのものにしていた「秘密」が、あまりにも馬鹿げたきっかけで人に見つかって、何もかもすっかり暴かれて丸裸になってしまった。
自分の中にだけずっとあったものが、他人にも共有されているという状況はあまりにも現実感がなく、信じがたい。
それも貴之に見つかるなんて。
貴之は大学に入ってから知り合った友人で、俺と同じ講義を受けていたのがきっかけでよくつるむようになった。
俺の友人は和臣を通して知り合った奴がほとんどなので、貴之のようなケースは珍しい。
だからなのか、俺は貴之との距離感は他の友人達とも、和臣とも違う気がしていた。
人間関係を陣営のように捉えるのはどうかとも思うが、あえて言うなら、貴之はより「自分の側にいる人間」であるような感じがする。
貴之が俺をどう思ってるのかは知らないが。
それでも昨日送られてきたメッセージを見れば、貴之なりに俺にどう伝えるか真剣に考えてくれていたんじゃないかと今は思えた。
「ところでみずきの部屋ってぬか床みたいな匂いがするな。腹減ってきた」
こんな奴だけど。
「…じゃあ、なんか食い行こ」
俺はむくりと体を起こす。貴之が無言で手を差し出してきたので、それを掴んで立ち上がる。
バレたのが貴之でよかった。
俺は少しだけそう思った。
「今日のこれも日記に書くのか?」
「…うるさい」
○
貴之と別れ、家に帰ってくる。
飯を食い、駄弁っていただけでも時間は過ぎていく。もうすっかり夜になっていた。
肩に提げていたバッグをその辺にぶん投げて、布団に横になる。
何気なく取り出したスマホを見るとメッセージが来ていた。
差出人は、和臣。
そういえば今日は和臣に会っていない。
俺と和臣は学部が違うので、意識して会おうとしない限りは会わない。
それでも、なんとなく一緒に帰ったり、昼飯を食べたりするのが普通になっていたので、こういうことは意外と珍しかったりする。
(今日は色々あったしな…)
その上、和臣に何も言わずに帰ってしまった。
俺は和臣から来たメッセージを開く。
『生きてる?』
俺は少しどきりとする。
ひょっとしてテラスで泣いていたのを誰かから聞いたのだろうか。
俺は何事もなかったふりをして『急に何?』と返信する。
するとすぐに和臣からメッセージが送られてきた。
『いや、なんとなく』
でた。和臣の「なんとなく」。
この「なんとなく」からは、理由を探ろうと追求しても何も出てこないのだ。
それも俺にとって大事な質問に限って、和臣はこの「なんとなく」を便利に使い、有耶無耶にしてしまう。
まあ、和臣にとっては、本当にこれといった理由がないので答えようがないというのが正直なところだろう。
『なんだそれ』
俺が諦めて適当に返すと、また和臣からメッセージがくる。
『そういえば今日会ってないなって思ったから』
──嫌でも、胸が高鳴るのが分かった。
この一文を何度も読み、頭の中で繰り返す。
俺はスマホを枕元に置き、目を閉じる。
抑えようとしても口元が緩んだ。
身体中がふわふわして、何て返信しようか考えられない。
貴之の言う通りだ。
俺はやっぱり和臣が好きだった。
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