第6話 もぎたて
マンションの隣りの一軒家に住むおじさんは、毎朝この時間に外に出て、庭先のリンゴの木の枝を、少しずつ剪定している。蜂さえも立ち寄らなくなった彼の庭では特に美味しく実がなる日も、来ないまま枝だけは、少しずつ切り落とされていく。
おじさんは都内にある、某貿易会社の専務まで昇りつめ、当時の汚職事件の関与が取り出され解雇。55歳で、再就職もせずに人生の殆んどを植木と過ごす選択をした。当時のこの界隈では、在らぬ噂が飛び交い、苦にした妻は青森の田舎に帰省、一人娘もこの家に姿を現すことはなくなっていた。
区議選でばらまかれたお金を調達していた会社の専務というだけで、美味しい汁を啜っていない人間が、美味しい味噌汁ですら啜れなくなる。
おじさんが毎日手入れをしている、植木達はきれいに剪定され、庭の芝生はドングリの背くらべのように、整えられていたが、どれも活気に満ちているようには思えなかった。植物は人間以上にその育ての親の心境に左右されるらしい。
それでも毎朝、同じ時間に起床し、同じ時間に水をやる。
毎朝家の前を通る人々は、習慣づいたように、おじさんを視界に入れず、一言の声も掛けないが、その環境に慣れ親しんでいるようにも感じていた。
おじさんの心は土の中に閉じ込められ、見えている姿は、植物の葉先だけなのかもしれない。
リンゴの木に傾けられた脚立から降りたおじさんが、必要以上に大きく育った、パキラの葉をむしりに向かう頃、僕は空のコップを机の上に置き、目前のグランドに目をやる。
この時間になると、近所の高校のサッカー部が朝錬を開始する。
強豪校でもなく、出れば2、3回戦までにはいくものの、全国大会に進むほどでも無く、夢を中途半端に広げている学生たちが、汗を流す。
ここで行われる朝錬は当初、夕方のグラウンド練習に立てない一年生達が自主的に行っていたが、黙認することが出来ない現在社会のなんたるかで、サッカー部全員と、顧問がやって来る。
学校のグランドで行う練習に、参加させてもらえない一年生達が、野望と共に始めたグランドでまたボールボーイをかってでる。思い描いていた希望は、いつの日か野望に変わり失望へ変わる慣習。
高校生活を、直径約30センチの丸い球に注ぎ、時に勝利し、時に負け、最後に自分の過ごした時間の意味に気づく者も少なくない。
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