第3話 右利きの彼

比較的込み合って来た車内には、隣町から乗った、例の彼もいた。


例の彼とは、以前必ずこの時間の各駅に乗っていた、おとなし目のスーツに身を包んだOLの、例の彼だ。


 おとなし目のスーツの女性を見かけ始めたのは、丁度今から5年前。

短大を卒業しているとすると、今現在、25歳になっているだろう。ここの駅の反対の降り口から自転車に乗って10分ほどの家に住んでいて、兄弟はなく、両親とおばあちゃんの4人家族。彼女が例の彼に出会ったのは、彼女が入社して2か月目の時であった。


リクルートスーツを纏った彼女を見たのは一回きりだったから、専門の短大を出てそのまま何駅か先のリハビリセンターに面接に行き一発で就職を決めたのだろう。

都内でもそこそこの大きさのリハビリセンターだから、はっきりとした彼女の判断は間違っていなかった。


おばあちゃんが階段で転んで骨折した時に優しく接してくれた、リハビリの先生が与えた影響が彼女には大きかった。

両親以上にずっと面倒を見てきてくれていたおばあちゃんの事だから、友達の少なかった彼女にはリハビリの先生が、骨折を治してくれた外科医の先生よりも暖かく感じたに違いない。


 そんな彼女が出会った例の彼は、現在28歳。独身で錦糸町の商社に勤めている。

流行に合わせた、ストライプ柄のスーツに大きめの襟のシャツ、先が尖った革靴にノートパソコンを入れるインナーケースバックを小脇に抱える。背丈は185センチ

ほどで、顔は今風の、細めでくっきりとした面持ち。高校の頃から急激に成長の始った彼の周りには、いつも何人もの女の子が寄っていっては離れて行った。


 彼女と出会ったとき、彼は人生の岐路に立たされていた。会社の中で相当な実績を積み上げ、会社の創業以来異常な早さ若さでの部長に抜擢、当時付き合っていた彼女も会社の専務のお嬢様。

 エリートで容姿端麗な彼に、彼女もご両親も当然結婚を申し出る。会社での出世、結婚。ただ今まで生きてきた道が、自ら選んだものだとの自負も無く、何かに縛られるのもあまり得意ではなく、わがまま放題と言うわけでもなく生きてきた彼の頭の中は若干戸惑っている様子だった。


彼の生まれた町は、ここから電車と船を乗り継いでも数日以上はかかってしまうところにある。小さな漁港から船に乗り、小さな島に降り立ちそこから軽トラで約15分。彼のご両親はその島で生まれた。夫婦共に島の小中学校を出て本土の高校に通い、卒業後島の神主様に祝詞を奏上していただき、島中をあげて結婚式を執り行った。そんなご両親の親戚が、東京の選挙に出馬することが決まったあたりから、彼の運命は小さな島で描いていたものとはだいぶ違う物になっていった。


彼が一歳半になる頃、ご両親が漁師の仕事を中断して親戚の選挙の手伝いをしに上京した。 親戚の叔父さんは、島の郵便局長の息子さんで、幼少期にお受験をして有名なエスカレーター制度のある幼稚園に入園した。東京に住んでいた局長の弟さん夫婦に育てられ、順調にエリート街道を上って行ったものだから、島の人間は全員が応援していたし、知らない人はいなかった。

そんなサクセスストーリーを描いている叔父さんの一つ下の親戚が、彼の父親だったから、叔父さんの雑用の為に東京に行くことを島の誰も止めなかった。

その後、党の応援もあり無事に区議に当選した叔父は、自分が勤めいた会社の社長に口利きをしてくれて、父親をその会社の課長に勤めさせてくれた。

そのこともあり、彼の祖父も祖母も跡継ぎがいなくなった事よりも、東京の一流企業に自分の息子が務められる事に大変喜んだ。

親戚の叔父さんがその後2期勤めたあとに、島の本土から衆議院議員に立候補したときには、局長さんもお亡くなりになっていたこともあってか、島をあげての応援はあまり無かったようで、そのまま島に戻り今でも郵便局長を務めてあげている。


彼にとっては、区議を務めた叔父さんの威光はかなり大きく、ご両親も東京に立派な家を建て、息子もエスカレーターの小学校に入れることが出来たものだから、鼻高々で島に里帰りする時には相当な数の東京ばな奈を買って帰っている。


そんな彼の幼少期は、体が小さく喘息気味で、エリートが通う小学校でも成績は中の下、運動もプールなどは休みがちで秀でた物は何一つ無かった。

ただ、年齢の成長と共に、島育ちのご両親の運動能力、彫りの深い顔立ちが東京で洗練され、高校に上がる頃には容姿端麗を欲しいままにしていった。


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