第15話 ブレッド・アンド・バター・プディング
「えぇっ?」
アイルランドで作りかたを習ってきたというお菓子といつものミルクティーを前に置いて、
「もしかして、どんな学校かぜんぜん知らずに行った?」
「はい」
とうなずくしかない。
居心地が悪い。
「ってことはぁ」
これって、食パンを卵とかミルクとかに浸して焼いて、フレンチトーストとどこが違うんですか、とつっこんで話をずらす決意もできないくらいに、居心地が悪い。
「
「あ」
舞子は小さくなる。
「はい……」
「じゃあ」
アイルランド帰りでごきげんな未亜先生はおもしろそうに身を乗り出した。
「もしかして、明珠女学館ってわたしの母校だってことも知らずに?」
「えっ」
殺される直前の動物のような地味な悲鳴が出てしまった。
もちろん、知らない。
「たしか、女子大の出身で、っていうのは、だいぶ前にききましたけど」
「うん♪」
音符と休符の絶妙の組み合わせで、未亜先生はあいづちを打つ。
「高校のときにィ、音楽の部活があってェ」
楽しそうにねちっこくお嬢様風にことばを延ばしながら、先生は続けた。
「それで音楽やることに自信を取り戻した、って言ったじゃない?」
うきうきと楽しそうだ。
舞子の発表会本番一週間前というのに、ずっとアイルランドの話をしていて、アイルランドで習ってきた曲を弾いて聴かせてくれて、それでろくに練習をつけてくれなかった未亜先生……。
「ってことは」
そのアイルランド風食パンのケーキを前にして、舞子は両手を両膝に置いた。
「わたしが明珠女に進学すると、わたしって先生の……後輩?」
「そうよォ」
またお嬢様風ねちっこさに戻る。先生は声がざらっとしていて、声質がその言いかたにマッチしていないところが、また迫力を生んでいる。
「高校でわたしの後輩になるの、いや?」
首を傾けて舞子に挑戦する。
「いやです」と答えたら、「じゃ、そういうことで」と、二度と教えてくれなくなるかも知れない。
でも、にこっと笑って「とっても嬉しいです!」とか言えば、かえって嘘っぽくなる。
「いや、その」
しかたがないので、ちょっとためらってから。
「ぜんぜん実感が湧かなくて」
正解だったようだ。先生は笑って、力を抜いた。
「さ、いただきましょ。自分で作ったのまだ二度めだから、うまく行ってるかどうかわからないけど」
「い……?」
まあ、いい。パンと牛乳とお砂糖とバターと卵で作ったお菓子ならば、味のバランスが崩れることはあっても、まずくなることはないだろう。
小ぶりのフレンチトーストのようなお菓子をフォークでさくっと刺して、口に運ぶ。
「うーん」
声が出てしまった。はしたない。
そういえば、感動するほどおいしくはない作り置きのパンケーキを口に入れて、前に見たアニメ映画のキャラみたいに「うんー、おいしーっ!」って言った、でぶっとした女がいたな。
いまごろ、どこでどうしているやら……。
だいたいわかってはいるが。
「どう?」
先生が心配そうに舞子の目を見てきく。今日の先生は、ピンクのノースリーブというシンプルな服なんだけど、襟のところのボウタイみたいなのの紐が微妙に絡み合って胸の下につながっていて、先がどうなっているか気になる。
「おいしいですー。さくっとしてて、シナモンとレーズンの味がすーっとじわーっと来て……うーん、幸せって感じで」
なんかボキャブラリーが追いついてないな。先生はえくぼを作ってにこっと笑った。
「成功みたいね。ありがと」
言って、自分でも一切れを口に運び、もぐもぐしてからミルクティーを飲んで、それから先生は言った。
「あの、発表会の曲なんだけどさ」
「あ、はい」
いきなり指導が来た! 舞子はどういう顔をしていいかわからない。
「曲で、ピアノのほうが主役になってるようなところ、あるじゃない?」
「ああ、はい」
なんとか先生の話について行く。
「あれ、さ」
先生はティーカップを持ったまま首をちょっと傾けた。その様子が、あの先生の母校のタマネギ頭の先生に似ている感じがする。
「はい」
「舞子ちゃん、ピアノに合わせなきゃ、って思うんでしょ? そこで急に消極的になって、遅れたり、不安定になったり、音が小さくなったりするのよね」
「ああ、はい」
そんなこと、一週間前に言わないで! そう思いながら、神妙に聴くことにする。
「曲の解釈としてはそういうのもあると思う。「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」なんだから、ピアノ主役でもいいでしょ、みたいな解釈ね。でも今度は最初から最後までヴァイオリンが主役だから。ピアノはヴァイオリンにきっちりついて行くから。だから、信頼して、自分の弾きたいように弾きなさい」
言って、また先生はえくぼを作って笑った。
「舞子ちゃんならできるでしょ?」
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