第12話 ロング・アンド・ワインディング・ロード

 稲子いねこはそのそこそこ巨体を止め、その飾りのついた扉の前に立っていた生徒に話しかけた。

 「いま、入っていいでしょうか?」

 うわ。稲子のくせに、ききかたがていねいだ。

 「もちろん入っていいですけど、演奏中なので、そっと入ってくださいね」

 高校生のお姉さんがかわいい声でそっと言って、扉を開けてくれた。とたんになかからは音楽があふれてくる。

 なかは明るいままだ。演奏会ではないから、それで当然なのだろう。

 そこはさっきの教室より広くて、天井も高い。壁も白いし天井も白い。前の教壇のところが広い。教壇が舞台になっていた、というより、最初からこれは舞台としてつくられたのだろう。

 いま演奏しているのは、サクソフォン三人とクラリネットとファゴットと、トランペット二人とホルン、それにコントラバスという組み合わせだ。ホルンがソロを吹き、同じ旋律を繰り返すところに、トランペットが高い音でハーモニーを重ねる。サクソフォンは詳しくないけれど、たぶんアルト二人とテナー一人だ。

 稲子と舞子まこは背をかがめて足音をさせないように教室に入った。なかは、机はなくて椅子だけで、椅子のいちばん後ろの列とその前の列は埋まっている。そこで、二人でちょろちょろと前のほうに入り込み、まわりが空いているところに二人並んで座った。結果的にまんなか近くに座れた。もっとも、ここの音響が、まんなかがいちばんいいようにセットされているかどうかはわからないけど。

 「「ロング・アンド・ワインディング・ロード」だね」

 舞子が声を潜めて言う。いまその間奏が終わったところだ。

 「うん」

 稲子も言って、舞子とは反対側の隣の椅子にカンバスの肩掛けバッグを置いた。

 そういえば忘れていた。こいつは椅子から両側に体がはみ出すのだ。舞子は間を空けずに隣に座ってしまったし、椅子は詰めて置いてあるので、舞子の空間の一部が稲子に取られている。

 まあ、いいか、と思った。ひそひそ話をするにはちょうどいい。

 旋律を取っているのはサクソフォンとクラリネットで、ホルンがオブリガートを吹き、トランペットがアクセントをつける。ファゴットとコントラバスで低音を支えている。編成としては何かバランスが悪いと思ったけど、演奏は巧い。クラリネットはきれいな音色を出していて、サクソフォンの音量に埋もれていない。ファゴットも正確に音を刻んでいる。ホルンは、大人の演奏家でもときどき失敗する難しい楽器なのに、きれいな安定した音を鳴らし続けていた。

 旋律をトランペットが引き継いで曲が盛り上がりを見せたところで、何の前触れもなく「ちーん」という音が鳴った。リズムにも合っていない。トランペットの生徒がぴくっと目を開いたが、そのまま演奏を続けた。

 時間が来て、催促のベルを鳴らされたらしい。

 そのまま後奏が続き、サクソフォンがやわらかい音で重奏で分散和音を奏でて、曲は最後の和音で優しく終わった。部員が前に並ぶ。お辞儀をすると、聴衆はいっせいに拍手した。舞子も拍手する。稲子も熱心に手を叩いていた。

 トランペットを吹いていたうちの一人が、立っているところの後ろの置き台に置いてあったマイクを持って、早口で言う。

 「えっと、こんな感じでやっています。吹奏楽部は、ここにいる以外、八人ぐらい部員がいて、活動しています。はい、そうです。人数不足です。吹奏楽部はいろいろと活動の厳しいところもあるけれど、ここの部はほんとうに仲よく、和気藹々わきあいあいとやっています。興味を持った方は、ぜひ活動をのぞいてみてください。それでは」

まで言ったところで、もう一回ベルが鳴った。そのトランペット担当の生徒は、あっ、と言って短く笑い、

「以上です。ありがとうございました!」

と言って締めくくった。もう一回、みんなで深くお辞儀をしてから、片づけにかかる。また拍手が集まる。

 「はい。吹奏楽部でした」

 司会らしい、ちょっとぽちゃっとした顔の丸い生徒が、マイクを持った手で軽く拍手しながら言った。

 「急がせちゃって悪いことしたかな、と思いますけど、本番五分という決まりなので」

 五分という時間制限は、音楽をやる部活にはちょっときついんじゃないか、と思う。後ろの部員たちは、コントラバス以外の奏者は舞台の横に下りて楽器をとりあえずケースに置いている。早めに戻って来た部員がコントラバスを運ぶのを手伝う。

 司会の生徒は話を続けていた。

 「この泉ヶ原には、吹奏楽で有名な高校が別にあって」

 右の窓際に立っている、白いポロシャツの二人組の一人が何か小声で言い、もう一人に脇腹を手で軽くぱしっと叩かれている。茶色っぽいふわっとした髪の子と、すらっと背が高い黒髪のロングヘアの子だ。茶色っぽい髪の子が何か言って、黒髪の子にぱしっとされた。年代はやっぱり高校生のおねえさんぐらいで、親はいっしょではない。あの青いラインの入った制服は着ていない。中学生相手の学校公開なのに、何をしに来たのだろう? それとも、大人びているけど、中学生?

 ところで、この教室、なんか親の比率が高いよ?

 子どもにオープンスクールを回らせて、親はここで音楽を聴いて休んでいる、ということ?

 司会の生徒が少しあいだを置いてから続ける。

 「それで、明珠女の吹奏楽部は存在が霞みがちなんですけど、この学校では重要な部活ですから、興味のあるひとはぜひ検討してみてください。ああ、はい。コントラバス、おっきいですねー」

 司会からつっこみが入ってしまった。舞台に残っているのがこの楽器だけだからだろう。

 このコントラバスを電気仕掛けにして小さくしたのが、さっきのバンド少女が言っていたエレキベースだ。あのバンド少女がここにいたら、この大きなコントラバスを見てどう思うだろう?

 たぶんいないと思うけれど。

 「時間があれば、この大きい楽器をどこからどうやって運んできたのか、これからどうやって楽器倉庫まで戻すのか、そんな話もきいてみたかったんですが。はい。これから学校のなかでこれを台車で運んでいるところとかに出会ったら、ぜひご協力くださいね。はい、それでは、吹奏楽部の時間が終わって、次は室内楽部です。準備に入ってください」

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