第11話 稲子が突進する!

 ところが、その稲子いねこは、脇目もふらず、ぱぱっとテーブルの上のいろんなものを片づけて、またカンバスの肩掛けバッグにしまっている。途中で使ったうちわもそのなかに入れている。前と同じで、いや前より手際がいい。

 何を急いでいるのだろう? さっきは、だらっとした、やる気のなさそうな答えで鋭い正解を連発していた稲子が。

 舞子まこも自分の資料を片づける。稲子が立ち上がって

「行こうか?」

と言ったときには、舞子も支度はできていた。

 文句なく巨体というほど大きくはないが、「そこそこ巨体」の稲子が、さっさっさっと効率よく移動していく。舞子が追いつけないほどではないが、気を抜くと離される。

 その早足ぶりは、稲子を怒らせたかな、と思ってしまうほどだった。べつに怒らせて惜しくなるほどの相手ではない。二人揃って明珠めいしゅ女学館じょがっかんに入学すると決めたわけでもない。二人揃ってここの生徒になるとしたら、高校生活のあいだに仲直りする機会はあるだろう。

 そのそこそこ巨体が階段のところでくるんと右九〇度回転して、階段を上り始める。そこそこ巨体だけにさすがに速さが落ちる。そこで小柄で軽快な舞子が追いついた。

 「ね? どこ行くの?」

 「あ、部活」

 階段を踏みしめて上りながら稲子は振り向いて短く言った。

 「授業のをちょっとのぞいたら部活紹介行こうって、駅からここに来るまでに言ってたじゃん」

 「ああ」

 そういえばそんな話をした。でも、それは、「本格的に暑いね」とか「この学校来れば毎日陸橋で線路越えないといけないのか!」とか、そういう話のついでだった。模擬授業も入試相談もいろいろあるね、といったなかで、じゃ、模擬授業に出たら次は部活公開、と決めた。決めた、というより、稲子がそう言って、舞子が反対しなかっただけだ。

 「えっと、まっすぐ行って、右に曲がって、その突き当たりだね」

 何が? わからないまま舞子はうなずく。

 「うん」

 脇目を振らず突進する稲子に対して、舞子はずっと脇目を振っていた。

 先週のあの新治にいはり附属のオープンスクールとはぜんぜん雰囲気が違う。新治附属では、生徒たちは、いることはいたが、黙って、自分の持ち場に立っているか座っているか、せいぜいたとえば「体験授業はこちらでございます」というような決まったことばを繰り返すかだった。見学に来た子や親が何時何分に何を見学するか、というのもきちんと決められていた。舞子と稲子はその途中で抜けてしまったわけだけど。

 ところが、ここでは、入り口で出迎えてくれたのも生徒だったし、先生に監督されながら資料とかを手渡すのも生徒だった。道案内も生徒がしてくれたし、模擬授業の司会も生徒がやっていた。あちこちに、その、ブルーのラインが袖に一本入ったシンプルな制服を着た明珠女一高の生徒たちがいて、動き回り、声を出していた。学校見学会というより、文化祭に来たみたいだ。

 だから部活紹介の階はもっと文化祭っぽい。呼び込みとかはないけれど、それぞれの教室の入り口に生徒が机を出して座っていて、教室の中では、書道部は書道の作品を、美術部は得体の知れない彫刻か何かの作品を、国際法研究部は得体の知れない文字ばっかりの何かを展示しているようだった。それで舞子は目移りしているのだが、稲子は目的地に急ぎたいらしく、そのそこそこ巨体で疲れも知らずに突進している。

 これぐらいで疲れていたら高校生活に差し支えるだろうけどね。

 右に曲がって突き当たりに行くことはわかっていたので、少し遅れて、それぞれの教室の入り口に座っているお姉さんたちに軽くお辞儀をして通り過ぎる。

 その突き当たりの教室は入り口の上に石の彫刻のような模様があった。入り口も、ほかの教室は普通の引き戸なのに、飾りのついた両開きの扉だった。何か特別な感じがある。

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