第7話 未亜先生の思い出
「先生はプロになろうと思ってずっと練習してきたんですよね?」
写真から現実の先生に目を戻しながら、
やっぱりいま目の前にいる先生のほうが美人で、かわいい。
たぶんこの写真が撮られたときにはまだ舞子はちっちゃい子どもだった。生まれていなかったかも知れない。それだけの時間が経っても、やっぱりいまの先生のほうがかわいい。
「ずっと、ではないわね」
先生はかちっと音を立ててカップを置いた。
「とくにね。舞子ちゃんとおんなじくらいの年頃のときは、もう次の発表会でやめよう、いや来週で必ずやめるんだ、とか、ずっと思ってた」
「え?」
舞子は顔を上げる。ケーキに伸ばしかけたフォークが止まった。
そこまで驚いたつもりではなかったけど。
でも、きく。
「どうしてですか?」
「知りたい?」
先生も、紅茶にもケーキにも手を伸ばさず、テーブルに肘をついて舞子に笑いかけた。
正面から、謎めかせた笑いだった。
「はい」
釣られて答える。たしかに興味はあった。
いまの自分と同じだから。
加速器に貼りついていてなかなか家に帰ってこない母親からも、受験勉強をやりながらでもヴァイオリンを続けるかどうか、ちゃんと考えなさいね、と言われている。
そして、親に言われてみると、自分はいつまでヴァイオリンを続けるんだろう、と、急に気もちが冷めてしまう。いつもではないが、ふと、そんなことを思って気もちが冷めることがある。
このレッスンだって、小学生のころは三人ひと組だったのだ。それが、歳上の生徒が抜け、あとから少し歳下の子が入って来て、その子もやめ、春の発表会でもう一人もやめて、いまは舞子一人だ。
先生のようにプロになれるわけでもない。いつかは、その子たちと同じようにやめることになるのだろうけど。
「それはね」
「ブスだったからよ」
「は?」
舞子は何を言われたのかわからなかった。先生は繰り返す。
「ブスだったから。自分がブスだって気がついたから」
「あ、え、いや」
それは絶対に違うと思う。第一に、写真に写っている先生も、いまの先生も美人だ。この先生に「ブス」の時期なんかあるはずがない。
それに……。
「それはないでしょう」
なんとか返す。
「それがあるのよ」
先生はもういちど笑顔になって、続けた。
「ま、そのころから、発表会ってビデオ撮ってたのよね」
「ああ、はい」
いまの舞子ももちろん撮られている。でも、そのビデオを見ているとき、自分が美人に見えるかブスに見えるかなんて考えている余裕はない。ヴァイオリンを弾いてるときの自分ってなんか暗い子だな、と思うのがやっとだ。
発表会の次の週、どうかするとその次の週まで、そのビデオを見ながら、いろいろとよくないところを先生から指摘される。いいところもいっぱい言ってもらえるのだけど、やっぱりよくないところを言われるほうが印象に残る。
「で、ま、中学三年生のときだったかな。そのビデオ見て、うわ、だれこのブスの子、って思ってショックを受けて。とても演奏のうまい下手まで意識できなくなってしまって。あれはいまでも見たくない」
先生は笑ったままだ。
「ま、わたしは、こんなふうにいまも甘いものが好きで」
と、テーブルに手を広げて見せた。
いや、ミルクティーにケーキひと切れでは、特別に「甘いものが好き」とはいわないだろう。女子ならこれぐらいあたりまえだ。
ふと、また、生クリームとつぶあんのパンケーキの女のことを思い出した。
いまはすぐ忘れることにする。
「中学生のころはもっとだったからね。太ってたのと、あと、その年ごろって顔立ちが変わるからね」
だったら、舞子も変わっているのだろうか?
自分ではわからない。
「じゃ」
言いかけて、また、言わないほうがよかったかな、と思う。
もうしかたがない。
「どうして、やめずに続けたんですか?」
先生は、また、ふふん、と笑った。お茶を一口飲む。お茶を喉を通してから、先生は答えた。
「高校でね」
怒っている様子ではなかったので、舞子はほっとする。
「ちょうど音楽の部活があったんだ。迷ったけど、その部に入ったら、楽しかった。やっぱり音楽って何人もで弾くものじゃない? それをやってみて、まあケンカとかもいろいろしたし、やめてやるってタンカ切ったこともあるけど、でも楽しかったんだよね、それも含めて。プロの道に進むとか、自分がブスに見えるとか、そういうのは気にならなくなって、それより、いまここにいる仲間といっしょに弾いていたい、次の曲もいっしょにやりたい、って思うようになって。大学でもおんなじような部に入って、で、大学を卒業してすぐが、その写真」
照れたのだろうか。先生はケーキを大きく切って、口をぱくぱくさせながら食べる。
舞子もあいまいに笑って、同じようにミルクティーを飲み、ケーキを食べた。
高校の話が出たところで、やっぱりいま言っておいたほうがいい、とふと思った。
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