第5話 約束
パンケーキを幸せにして、自分も幸せになった
「
肩のところに結んだ髪が引っかかっているのが中学生らしくて初々しい。
「ここの高校来る気ある?」
「ない」
正直に答えた。
「いや、今日、来たときには、
でも、稲子はどうなんだろう?
「稲子は?」
スーパーサイエンスハイスクールの紹介をきいているようでいて、最初からきいていなかったらしいけど。
「うーん」
少し噛んで、考えている。その口のなかに稲子はまた湿ったパンケーキを追加した。
また噛んで、また考える。
「うん。舞子が来ないなら、いいや」
「ちょっと待て」
声に出してしまった。しようがないのでわざと芝居かがった声で繰り返す。
「ちょっと待て!」
「うん?」
不意打ちされたみたいに顔を上げた。その反動で唇から生クリーム色のよだれが漏れる。注意しようかと思ったら、その前に自分で紙ナプキンで拭った。
まあ気がつくよね、普通。つまり、稲子はそれぐらいには普通ということで。
太ってるからそういうとこだらしないのかな、と思った自分にちょっと反省。
で、舞子は話を続ける。
「まだ名まえと家族のことしか知らない関係なのに、なんでそうなる?」
こう言って稲子が泣き出したりしたらどうしよう?
「いやぁ」
稲子の声が沈み気味になったので、舞子は身構えた。もしかして、稲子は舞子とはもっと親しい関係になったつもりでいたのか?
だとしたら、思いこみというものだと舞子は思うけど、それを説明するとしたらけっこう気まずい。
稲子は間を取るように水を飲んでいる。水で口のなかの甘い成分を流してのみ込んだのだろう。
言う。
「落第しそうになったとき、舞子のお母さんの准教授の先生に頼んで、高校にちょちょっと圧力かけてもらったら卒業できるかな、ってちょっと考えたんだけど」
「うっ」
よけいな心配をして損した!
「そんなのできるわけないでしょ? だいたい大学と高校ってぜんぜん別なのに」
「だよねえ」
稲子は緊張感なく言って笑っている。いまはそれほど目を細くしていない。
「親が高校の先生だったとしても無理だよね」
それはそうだ。
つまり、さっきの舞子の反論では、大学と高校が別でなければ親が圧力をかけられる、という意味にもなってしまうということだ。
もしかすると、見かけより理屈っぽいのかも知れない。
指摘されて、ちょっと、かちんとくる。
「じゃあ、なんでここのオープンスクール来たの?」
言いかたが険悪になってしまったかも知れないので、すぐに補った。
「いや、わたしは親についてきたんだけど、稲子は?」
稲子はべつに怒らなかった。
「担任の先生に学校見学行きなさいって言われてさ。なんか進学のことなんにも考えてないみたいに思われてるみたいで。親はカキ入れどきだからどっちも家にいないし、弟もなんとかキャンプとかに行っていないし、だったら、まあ学校見学行っとこうかな、って。新治附属行ったって言えば文句ないだろう、って、それで来た」
なんだそれは、と思う。でも、親にくっついてきただけの自分もひとのことは言えない。
「おんなじ学校からは来てないの? 友だちとか」
「友だちは来てないなぁ」
言って、くすんと笑った。あいかわらず目は細めない。
「
そういえば、さっきのスーパーサイエンスハイスクールの説明のところにも、稲子と同じ制服の子がいたような。ちゃんと見たわけじゃないけど。
白半袖のセーラー服の夏服で、セーラーカラーが紺色となると、区別つかないからね。
少しずつ食べて来た稲子のパンケーキもそろそろ終わりを迎えつつある。
舞子は無遠慮に時計を見た。「親との待ち合わせがある」というちゃんとした理由があるからいいだろうと思う。
たぶん、稲子のパンケーキがなくなればこのでぷっとした子ともお別れだ。WiSのアドレスとかメールアドレスとか交換するかも知れないけど、やがて両方からフェードアウトするだろう。
さっき、また会う機会はあるだろう、と思ったところなのに。
人の思いというのはこんなにも変わりやすい……。
「舞子こそ
舞子がそこまで考えを進めているのに……。
……いやっ!
ちょっと待て!
今度は声を出さなかったけど。
「そうだけど……なんでわかるの?」
「制服で」
こんどは目を細めた。それも超とても細めた。
「このへんでジャンスカの制服ってわりと珍しいから。高級感あるし、タイが感じよさげだよね」
そう……?
赤と赤茶色の縞に緑の縁と金色の星って、派手すぎて、あんまり好きなタイじゃないんだけど。
意地悪に言ってやる。
「だったら、新治附属ってベージュのジャンスカだよ? けっこう高級感あるかも」
「うん」
あ、認めた。
「それもあったんだ。ここのオープンスクール来たのって」
で、ていねいに、なのか、名残り惜しそうに、なのか、お皿に残ったつぶあんと混ざったクリームをスプーンでていねいにすくって、口に入れている。
「で、相談なんだけどさ」
目を普通に細くして、稲子は軽く身を乗り出して顔を近づけてきた。
親のコネでWiSの料金安くしろ、とかいうのなら乗らないぞ。
「来週の日曜、
「拒否」と、口が開きかけた。
名門なのはいいけど、舞子のレベルからするとちょっと物足りない。それに、
でも、ここでよそよそしく
「その日、用事あるから」
などと逃げるのも気が引けた。それに、新治附がイマイチならば、無理のないところなら県立箕部か
だったら、明珠女も選択肢に入れていい。いままでまったく考えてなかったけど、そんなに悪くもなさそうだ。
「じゃ、行こうか」
「うん」
稲子はとても嬉しそうで、舞子はなぜかほっとした。それで、稲子とWiSのアドレスを交換して別れたのだけど。
次の日曜日にほんとうに用事があることをすっかり忘れていた。それに気づいたのは、その日の夜も更けてからだった。
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