第19話 ミント油
「……あじぃ」
壁際の指定席、背もたれに溶けるようにして寄り掛かり、右手で団扇を仰ぎながら俺は呻いた。
「……あじぃな」
向かいに座るジャッドも呻く。
首にタオルを巻き、上はランニング、下はパンイチだ。
酷い格好だが、俺も同じだ。
他の冒険者もそうしている。
女冒険者だって関係ない。
黒い下着をつけたセリアンは大股を開いてデカ乳の裏を扇いでいる。
ウェイトレス達も同じだ。
店主のガブスからして裸エプロンなんだから――さっき下もマッパな事が判明した――文句を言う筋合いはない。
そもそも女の裸に文句を言うような馬鹿は一人だっていやしないが。
それに関してだけは夏の暑さに感謝しても良い。
窓も入口も全開だ。
通行人の視線が白いが、どうせ冒険者なんか野蛮人だと思われている。
この暑さでは、恥がどうとかお行儀の良い事は言ってられない。
クーラーが壊れ、頼みの綱の魔術士も使い物にならない――俺は頑張ったけどな――と知り、連中の心はあっさり折れてしまった。
こう暑くては働く気も起きない。
冷たいものが飲める事だけがせめてもの救いだ。
中には注文した大ジョッキを抱いている奴までいる。
あと一ヵ月、こんな生活が続くのだろうか。
考えたくもない。
「……あじぃ」
ただそれだけを言う肉塊に成り下がる。
「おはようございま――す!?」
律義に挨拶をして入ってくるような冒険者はマーブルだけだ。
最近色々あって親しくなった、どんくさそうなへちゃむくれの巨乳女で、植物や虫にやたらと詳しい。
ちょいと変な所もあるが、それを帳消しにしてお釣りが出るくらい気の良い奴だ。
マーブルは入口に突っ立って目を丸くした。
クーラーが壊れた事よりも、乱交パーティーさながらの光景に面を食らっているのだろう。
この暑さだ。
お行儀の良いマーブルだってしばらくすればこっちの仲間になるはずだ。
「クーラーがぶっ壊れやがった」
背もたれに溶けたまま、団扇を振って教えてやる。
「そうなんですか」
マーブルは全てを悟った顔をすると、半裸――半分以上だが――の連中を見渡し、喉を鳴らして頬を赤くした。
ムッツリスケベめ。
そして今更、私は見ていませんよと言いたげに顔を伏せこちらにやって来る。
「一緒に座ってもいいですか?」
「一々聞かなくていいって言ってんだろ」
マダムムーアヘッドの一件では色々と世話になった。
その後も何回か仕事をしている。
マーブルは立派な仲間だ。
「えへへへ~」
嬉しそうにはにかむと、マーブルは俺に近い椅子に腰かけ、ミルシャに冷えたお茶を頼んだ。
出てきたお茶をすすりながら、横目で俺の身体を盗み見る。
「なに見てんだよ」
「――ブフッ!? みみみみみ、見てませんけど!?」
「いや見てただろ」
別にいいけど。
隠すような事か?
「見てませんてば!?」
涙目になって否定する。
そこまで否定されると俺も意地になるが?
「イチャイチャすんなよ暑苦しい」
そんな俺達に、ジャッドが言う。
「別にイチャイチャなんかしてねぇし。なぁ?」
同意を求めると、マーブルは真っ赤になって首を縦に振る。
「ほら見ろ。てかマーブル、その恰好暑くないのか?」
外から入ってきたから当然なのだが、マーブルは普通に服を着ている。
枯草色のシャツと長ズボン、下はブーツで、頭には同じく枯草色の丸っこい帽子だ。
俺の質問に、マーブルは周囲の裸族を見渡し、真っ赤になって胸を抑えた。
「わ、私は大丈夫なので!?」
「いやまぁ、下着になれとは言わんけど。マジで暑いからよ。無理はすんなよ」
上着とブーツぐらいは脱いでもいいと思うが。
俺達は当然のように裸足で歩き回っている。
最初は抵抗があったが、ミルシャ達が毎日掃除をしてくれているお陰で思ったよりも汚くない。
「は、はひ!」
わかってるんだかいないんだか。
マーブルは上目遣いで俺や他の連中の裸を盗み見て、複雑な表情で自分の腹を抓んでいる。
どうやら太っている事を気にしているらしい。
確かに冒険者にしては丸いが、逆にそれが彼女の人気にもなっている。
本人は知らないだろうが。
「なに! マーブルは脱がないのか!?」
「ひぁ!?」
後ろから声をかけられてマーブルが悲鳴をあげる。
無駄に気配を殺してやってきたのはセリアンだ。
「マーブルの裸が見られると思って期待していたのにいいい!!」
でかいエロガキ女がペタペタと裸足で地団駄を踏む。
その度に黒いブラの中身が揺れ、俺達三人の目を釘付けにする。
「「「おぉ~」」」
普段は胸当てで隠れている。
それでもでかいのは知っていたが、こうして見ると本当にでかい。
「ふふん。どうだ、私の胸はすごいだろう? はっはっは!」
そんな俺達に気を良くし、セリアンがこれでもかと胸を張る。
堂々としすぎて色気もクソもないと言いたい所だが、そんな事とは関係なしに色気って奴はあるらしい。
「というか普通に暑いだろ! 我慢は良くないぞ! みんな脱いでるし、マーブルも脱いでしまえ!」
セリアンの言葉に、店のスケベ共がこちらを見た。
「強要すんなよ」
セリアンに釘を刺す。
「貴様はマーブルと寝たからそんな事を言えるんだ! 私だって彼女の裸を見たいんだ!」
「な、蒸し返すんじゃねぇよ!?」
思わぬ反撃を食らい、俺は慌てた。
「……本当に暑くないのか?」
俺達のやり取りを無視して、訝しむようにジャッドが聞く。
「暑くないわけじゃないですけど、耐えられない程では……」
「本当か? すごいなマーブルは! 私は暑いのはダメだ! 剣士は動き回るからすぐに暑くなってしまう! 鎧なんか、卵が焼けるくらい熱くなるし最悪だ!」
「暑い所の生まれなのか?」
気になって尋ねる。
冒険者の中には生まれを聞かれるのを嫌がる奴もいるが、その時は謝ればいい話だ。
「いえ。どちらかと言うと寒い所で、私も暑いのは苦手です」
はにかんで笑う。
ならなんで平気なんだ?
微妙に噛み合わない会話に、俺とセリアンは顔を見合わせた。
「俺が思うに、マーブルはなにか暑さが和らぐような事をやってるんじゃないか?」
ジャッドが興味深げに無精ひげを撫でる。
「この暑さなのにマーブルは汗一つかいてないぞ」
言われてみるとその通りだ。
俺達や店の連中は下着姿でも汗だくで顔を赤くしている。
それなのに、ちゃんと服を着た小太りのマーブルが汗をかいていないのはおかしい。
「そうなのか?」
興味津々俺は尋ねる。
この暑さをどうにかする方法があるなら是非教えて欲しいもんだ。
「そうですね。ミント油を垂らしたお風呂に入ってきたので、そのおかげだと思います」
「ミント油? ミントと言うのは、あのミントか?」
不思議そうにセリアンが尋ねた。
俺も同じ物を想像した。
酒や料理にちょこんとオマケでついている小さな葉っぱだ。
さっぱりした風味がある。
そいつを絞った油なら、確かに涼しそうだ。
「多分、皆さんが想像してるミントとは違うと思います。同じミントの仲間なんですけど、私が使っているのはアイスミントという品種で、普通のミントよりスースーする成分が多いんです。アイスミントから精製した油は涼しく感じさせてくれる効果があるんですよ」
「なるほどな。流石は植物博士のマーブルだ。そんなものがあるなんて初めて聞いたぞ」
感心してジャッドが言う。
世界中の植物や虫を観察する為に冒険者になるような変人だ。
その知識は凄まじく、下手な魔術よりもよっぽど役に立つ。
「い~な~い~な~。私にも使わせてくれないか?」
マーブルの丸っこい肩を揉んでセリアンがせがむ。
こんな時、素直に頼める奴が羨ましい。
「俺もいいか?」
さり気なくジャッドが相乗りする。
この流れなら言わなくても全員に使わせてくれるだろうが、それはちょっと情けない。
「お、俺も!」
と、言われる前に俺も意思を表明する。
「もちろんです!」
案の定、マーブルは快く了承した。
まったく気の良い奴だ。
そういう訳で、俺達はミント油を試す為風呂屋に向かった。
全員朝風呂を浴びている。
本日二度目の風呂になるが、構う事はない。
風呂なんて、何回入ったって気持ちいいからな。
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