真夏の夜の悪夢

第17話 猛暑

 夏の日の出は早い。

 早起きの蝉共が生き急ぐようにして鳴いている。


 みんみん、みんみん。

 じーじー、じーじー。

 ぎりぎり、ぎりぎり。


 頭がどうにかなりそうだった。


 その内の一匹は俺の借りている長期滞在の冒険者用アパートの窓にかかったぼろい網戸にグロテスクな腹を晒してくっついている。


 もう三度も追い払った。

 俺の事をセクシーな蝉だと思っているのか、奴はすぐに戻ってくる。


 殺してやろうかと思ったが、どの道短い蝉の命だ。

 うるさいからと潰すのは忍びない。

 俺にだって、その程度の慈悲はある。


 窓を締めれば少しはマシになるだろうが、そんな事をしたら今度はこちらが茹ってしまう。


 鶏の声が聞こえてそう時間は経っていないが、俺は起き出す事にした。


 どのみち、こう暑くちゃ眠れない。


 交易と冒険者の街エンデレロ。


 この街は今、百年に一度の猛暑に襲われていた。



 昨日の夜も蒸し暑く、まったく寝た気がしなかった。

 じっとりと染み込むような暑さに煮られながら、汗で不快に湿ったシーツの上で寝返りを打つ。


 暑い、暑い、暑い、暑い。


 羊を数えて寝返りを打ち、水を飲んで寝返りを打ち、トイレに立って寝返りを打ち、一肌よりも熱くなった強い酒を飲み寝返りを打ち、このまま永遠に眠れないのだろうかと思っている内に短い夜が明けた。


 夏の太陽は朝から無暗に元気で白すぎる陽光が目に痛い。

 熱を帯びた強い光が汗を乾かし、俺の肌はべたついた。


 それがまた不快だった。

 大量の寝汗で全身がべとつき、耳の裏が痒かった。

 顔には汚れが層を張ったような違和感がある。

 厚化粧をしたらこんな気分になるのだろうか。


 俺の足は風呂屋に向かった。

 昨日の夜にも入ったのだが、暑くなってからは寝汗が酷くて朝と夜の二回浴びている。


 言っておくが、こんなのは今年の夏が初めてだ。

 それくらい、今年の暑さは異常だった。


 みんな同じなのだろう。

 早朝だと言うのに、通りには眠そうな顔をした連中が大勢、ぐったりと背を丸めて歩いている。


 おぉ友よ。


 名も知らぬ友人達と道を歩き、行きつけの風呂屋に吸い込まれる。

 普段なら一番風呂でもおかしくない時間だが、中はほとんど満員だった。

 腫れぼったい瞼で空いている履物入れを探す。


 大勢の人間が発する体温と浴場から洩れる熱気で既に中は蒸し暑い。

 番台のねーちゃんに料金を払い男湯へと向かう。


 脱衣所はむさくるしい。

 俺と同じような汗だくの男達が玉袋を揺らしながら着たり脱いだりしている。

 重く湿った空気は汗臭い。

 こいつらの汗が溶けていると思うと、同じように汗臭い事を棚に上げて息を止めたくなる。


 着替え終わると、その辺に積んであるタオルと桶を小脇に抱え浴場へと向かう。


 当然中も混んでいる。

 タイル張りの床を滑らないように気をつけながら歩く。

 いきなり湯船に入るのはご法度だ。

 そんな事をしたら殴られても文句は言えない。


 まずは手前の洗い場に腰を落ち着け、小さな湯溜めからすくった湯をざぶんと被る。

 置いてある石鹸でタオルを泡立て全身を清める。


 それだけで俺は生き返った気がした。


 絞ったタオルを肩にかけると、右手の湯船に向かう。

 粋な冒険者は熱い湯を好む。

 俺がこの風呂屋に通うのは湯が熱いからだ。


 猛暑のせいか今日の湯は一段と熱く感じる。

 本音を言えばつま先からゆっくり行きたい所だが、そんな入り方は粋じゃない。

 他の客にも笑われる。

 男なら、涼しい顔でざぶんだ。


 刺すような熱さに歯を食いしばりながら、俺は壁際の定位置に背をもたれる。

 大きい湯船は女湯と繋がっていて、壁の下には四角い穴が空いている。

 壁の上の方も途中で途切れていた。


 こうしていると、女達の活気が聞こえてくる。

 反響で何を言っているのかは分からないが、それがいい。

 鳥のさえずりのように聞いているだけで心地よい気分になる。


 長湯は禁物だ。

 のぼせる前に湯船を出て、奥の水風呂へと向かう。


 こちらも一気に入るのが粋な冒険者だ。

 冷たさに身体が縮まり、俺はふぅ~!

 と息を吐く。


 最初は冷たいが、慣れれば気持ちいい。

 外の暑さを思えばずっと入っていたいが、そういうわけにもいかない。


 浴場は混む一方だ。

 遅れてきた連中に場所を空けてやらないとな。


 むさくるしい脱衣所に長居すると折角洗った身体が汚れる気がする。

 急いで着替えて外に出る。


 玄関と番台の間は休憩場になっており、売店やちょっとした遊具、昼寝が出来るようにマットが敷かれたりしている。


 俺は売店に寄り、良く冷えたレモネードを購入する。

 冒険者が熱い湯を好むのには理由がある。

 湯を熱くすればそれだけ薪代がかさむ。

 わざわざそんな事をする風呂屋はサービス精神が旺盛だ。

 飲み物を冷やす高価な機械も置いてあるというわけだ。


「くぅ~!」


 風呂上がりの身体に甘酸っぱいレモネードが染み渡る。

 さっきまでの寝不足はどこへやら、目の腫れぼったさは汗と一緒に流れた。

 俺はすっかり生まれ変わった気持ちで、今日は一仕事するか!

 とやる気になる。


 靴を履いて外に出ると、少し見ない間に凶暴になった太陽が俺を出迎える。

 じっとりと汗が滲み、俺のやる気は萎びて枯れた。


 暑すぎる。


 たいして歩きもしない内に、俺はすっかり汗だくになってしまった。


 冒険者の店はまだ遠い。


 ◆


 日陰を踏むように歩き、いきつけの冒険者の店、竜の尻尾亭に急ぐ。


 冒険者の店の格はそこに集まる冒険者の質で決まる。

 良い冒険者の店は冒険者を集める為に金をかける。


 スケベな制服、可愛いウェイトレス、酒を冷やす機械に、上手い飯と豊富なメニュ―。


 クーラーもその一つだ。


 魔導仕掛けの高価な機械で、個人で持っているのは金持ちぐらいのものだ。

 外はこの暑さだから、最近は朝から晩まで店にいる。


 近頃は涼を求めて他所の店の常連まで涼みに来ている。

 クーラーのある店は少ないとはいえ、普段使っている身からすると迷惑な話だ。

 

 席の取り合いで揉め、流血沙汰になる事もあった。

 ただでさえ短気な冒険者にこの暑さだ。

 みんなイラついている。


 ガブスは気のいい男だが、あまり問題が起こるようなら、常連以外の利用を暫く断るようになるかもしれない。

 それはそれで可哀想な気もするが、仕方ないと言えばそれまでの話だ。


 暑さのせいでいつもの道が遠く感じる。

 馬車馬を苦しそうで、舌を垂らしてヒーヒー言っている。


 昼はまだ遠いのに、焼けた地面は陽炎で揺らめいていた。

 この分じゃまだまだ暑くなりそうだ。


 あぁ、早く店に入りたい。


 クーラーの効いた店で飲む冷たいビールは格別だろう。


 ごくりと喉が鳴る。


 店はもう目の前だ。

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