第15話 小さな大物

「……マジかよ」


 苗の間の様子を見て、ジャッドが目を丸くする。

 禍々しく巨大化した十数匹の大蟻共は、みんな仲良く腹を上にしてくたばっていた。

 マーブル特製の殺虫剤が効いたのだ。

 僅かに薬が残っているのだろう、青臭い蔓の匂いに混じって、鼻の奥がむず痒くなるような甘い香りがした。

 色ボケ共のコントが終った後、早速俺達はマーブルの用意した殺虫剤を試した。

 俺とジャッドで顔を真っ赤にしながら屋敷の真ん中に薬の入った樽を運び、――左腕が折れてなきゃセリアンにやらせたんだが――蓋を空けてマーブルが別途用意した小瓶の中身を注ぐ。すると、樽の中の黄色い液体がひとりでにグツグツ煮立ち、煙になった殺虫剤が屋敷中に広がった。

 後は急いで外に出て煙が消えるまで待つだけだ。

 その間、俺は散々マーブルと寝た事で――というか、その事を覚えていない事で――からかわれ、マーブルはジャッド達と打ち解けた。

 ……まぁ、憶えてないのは俺が悪い。人見知りのマーブルとジャッド達が打ち解ける為のダシに使われるくらいは大目に見てやるさ。

 殺虫剤の煙は凄まじく、それだけ見ると火事のようだった。そのせいで勘違いしたマダムが消防隊を呼び、ちょっとした騒ぎになった。

 小一時間ほどで煙は消え、用心の為にもう一時間待ち、期待に胸を膨らませて結果を見に来たというわけだ。


「やったなマーブル、大手柄だぜ!」


 俺は最初からマーブルを信じていたが、だからと言って心配しなかったわけじゃない。上手くいってホッとしたし、自分の事のように誇らしい。

 ハイタッチのつもりで右手を挙げるが、マーブルは不思議そうな顔で首を傾け、鏡写しのように左手を上げる。仕方なく、俺はマーブルの手を掴んで自分の手とぶつけた。


「ハイタッチだ」


 一人だけ舞い上がっているみたいでちょっと恥ずかしい。


「あ、ありがとうございます!」


 初めてのハイタッチに困惑しつつ、マーブルも嬉しそうだ。


「私達が勝てないと諦めた相手をこうも簡単に倒されてしまうと少し悔しいがな」


 セリアンが苦笑いを浮かべる。その気持ちは分からなくもないが、だとしても、悪いのは実力不足の俺達だ。そんな事はセリアンだって分かっているだろうが。だからこそ悔しいのだろう。


「そ、そんな事ないですよ! 街の中で、材料を揃えられたから出来たんです! 屋外だったら薬が拡散してしまいますし! 色んな条件が重なって、たまたま上手くいっただけというか……」


 マーブルはセリアンの機嫌を損ねたと思ったのだろう。必死になって弁解する。

 そっちの方が余程セリアンの機嫌を損ねると思うが。

 案の定セリアンはムッとして、マーブルの両頬を引っ張った。


「たまたまだろうがなんだろうが私達に出来なかった事をやり遂げたんだ! 胸を張って威張れ! じゃないと、私達に失礼だぞ!」


 それについてはセリアンの言う通りだ。


「それ以前にたまたまじゃないしな。俺は虫や植物の事は詳しくないが、お前さんなりにしっかり考えて、この条件で上手くいくようにやったんだろ。セリアンの言う通り、妙な謙遜はしないで胸を張ったらいいぜ」


 すっかり感心してジャッドが言う。


「珍しいな。お前がそこまで人を褒めるのは」

「そりゃこんな芸当を見せられたらな。俺は自分の事をそこそこ賢くて頭の柔らかい奴だと思ってたが、殺虫剤なんて考えもしなかったぜ。魔物が相手だからって力技で解決する必要はない。今回の件は俺にとってもいい勉強になった。大した奴だぜお前は」


 ジャッドがマーブルの寝ぐせ頭を撫でる。マーブルは恐縮しつつも、気持ちよさそうに頭を撫でさせている。まるで犬か猫だ。


「あとはこいつが効けば全部解決だな」


 足元には重たい思いをして運んできた除草剤の入った樽が置いてある。

 殺虫剤の効き目を見た後だ。俺達三人は当然のように効くだろうと確信している。


「で、どうすりゃいい? 殺虫剤みたいに焚くのか?」


 マーブルに尋ねる。


「いえ。根元にかけるだけで大丈夫です」


 仰せのままに。

 ジャッドと二人で木の生えている台座状の花壇まで樽を引っ張っていく。

 育ちすぎて大木になった苗は花壇いっぱいに根を張り、それでも足りず、円形の台座を砕いて床下へと根を伸ばしている。

 俺とジャッドは樽を傾けながら根の周りを歩き、中に入っている透き通った緑色の除草剤を流し込む。


「終ったが、どれくらいで効いてくるんだ?」


 頭上に広がる蔓を見上げてジャッドが尋ねる。


「数時間もすれば薬が行き渡って蔓が枯れ始めると思います。明日の朝にはほとんど枯れているんじゃないかと」

「魔物はどうだ?」


 ジャッドが続ける。蔓が枯れても魔物が湧き続けるんじゃ意味がない。


「それも大丈夫だと思います。皆さんを待っている間に蔓や葉っぱに含まれている精気を調べたんですけど、かなり薄まっていたので。流石に根の周りはまだ濃いと思いますけど、そちらはこれから解決します」


 マーブルは言うと鞄の中から木の筒を取り出し、その中から薄汚く汚れてカビだらけになったタオルを取りだした。


「……あー、なんだ、そりゃ?」


 ジャッドが尋ねる。あまりの汚さにドン引きしている。俺やセリアンもそうだ。お世辞にも女の鞄から出てきていい物とは言えない。


「このタオルには人食い森に生息する特殊なキノコの菌が植え付けてあるんです。精気を吸って物凄い速さで成長して、宿主となる木の内側に根を張って食べ尽くしちゃうんです。これだけ大きいと一日じゃ無理かもしれませんけど、旦那さんが帰ってくるまでには間に合うんじゃないかと」


 説明しながら、マーブルはカビだらけのタオルを木の幹に巻きつけた。


「マジか!?」


 ジャッドが目を剥く。俺も驚きだ。そこまで来ると、俺の使う魔術なんかよりよっぽど魔術めいている。


「と、特に問題がなければ上手くいくと思うんですけど、絶対のお約束は出来ないと言うか……」


 ジャッドのマジか!? はすげぇな! くらいの意味でしかないのだが、マーブルは律義に額面通り受け取った。


「かまわんさ。虫共を始末してくれただけでもこっちは大助かりだ。駄目なら駄目で別の手を考えるが、多分その必要はないだろう」


 ジャッドが俺に視線を投げるので、俺は頷いて見せた。

 奴もマーブルの事がわかって来たらしい。

 マーブルだって自分の策に自信がないわけではない。むしろ、九十九パーセントは上手くいくと踏んでいる。それでも、予期しない理由で失敗する可能性はゼロではない。その程度の事を大袈裟に心配しているだけだ。

 そんな事は俺達だって分かっている。そもそも、こうして助けて貰っているだけで幸運だ。もし駄目でも責めたりはしない。


「それじゃ、マダムに報告をして帰るとするか」


 すっかり肩の荷が下りたつもりでジャッドは言う。

 俺はそれを責める気にはならない。

 マーブルの策なら上手く行くだろう。

 根拠はないが、俺達は確信していた。

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