第8話 やっちまった
やっちまった。
目を開けるまでもなく気づく。
他人の家の気配。
寝心地の違うベッド。
女の香り。
なにより、俺の身体にぴったりくっつく柔らかな温もり。
最悪なのは、それが誰なのかわからない事だ。
馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿大馬鹿野郎!
せめて憶えとけよ俺!
「起きてますね?」
おっとりした声はマーブルのものだった。
……わぉ。
……本当に憶えとけよ俺。
「お、おぅ」
大失態を悟られないように返事をする。
「……その感じだと、昨日の事も憶えてませんね」
「なっ!? わけねぇだろ! お、憶えてるさ! はは、昨日の夜は最高だったな!」
「……フーリオさん、脱ぐだけ脱いで寝ちゃいましたよ」
眼鏡の奥で、愛嬌のある丸い目が恨むように細まる。
……マジで俺、なにやってんだよ……。
「あー……すまねぇ。マジで、すまん」
憶えてないだけじゃ飽き足らず、女に恥をかかせるとは。
漢フーリオ、一生の不覚だ。
「ほら、やっぱり覚えてない」
一転、マーブルは悪戯っぽく笑ってみせた。
それまでに見せた事のない親し気な笑みは、お前そんなに可愛かったっけ?
と俺の胸をドキリとさせる。
「……てめぇ、カマかけやがったな」
「えへ。ごめんなさい。でも、フーリオさんが誤魔化すから悪いんですよ?」
無邪気な笑みでマーブルは言う。
「悪かったよ。てか、怒ってないのか?」
それを聞くのもどうかと思うが。
他の女なら今頃椅子で殴られ裸で放り出されている所だ。
「昨日のフーリオさん、べろべろでしたし。そうなるんじゃないかと思ってました。少し残念ですけど、私は楽しませて貰ったので」
マーブルがはにかむ。
布団の中で、大馬鹿野郎が未練がましく身動ぎをした。
ガキじゃあるまいに、俺はマーブルと寝たという事実にどぎまぎしていた。
冒険者の間じゃ、こんな事は茶飯事なんだが。
お堅い奴と決めつけていたマーブルだ。
普段は感じない奇妙な背徳感がある。
「そう言ってくれると助かる。まぁ、なんだ。次はこんなヘマしねぇよ」
考えなしと言うか、己の馬鹿さ加減を反省しての言葉だったのだが。
「次があるんですか?」
誘うようにマーブルは言った。
……どんな女も服の下には魔性を秘めている。
自分の唾に噎せながら、俺はどこかで聞いた名言を思い出した。
◆
マーブルのアパートを出ると、いつも通り冒険者の店に顔をだした。
言っておくが、同伴出勤じゃない。
彼女は足腰が立たないらしく、今日は休みにするそうだ。
……本当に、憶えていない事が悔やまれる。
俺の方はジャッドのお陰で随分と稼がせて貰った。
しばらくは遊んでいても平気なんだが、今の所は特にやりたい事もない。
暇ならとりあえず冒険者の店に行くのが冒険者という生き物の性質だ。
「フーリオ!? どこに隠れていやがった!」
店に入った途端、慌てた様子でジャッドが言った。
二日酔いなのだろう、顔色が悪い。
「聞いて驚け。マーブルの家だ」
声を潜めて教えてやる。
「マジかよ!? やりやがったな!」
なにか困りごとの様子だったが、そちらは一旦保留にして、讃えるようにして肘で脇腹を小突いてくる。
「あいつは俺も狙ってたんだが、先を越されちまったか。で、どうだったんだよ」
鼻の下を伸ばして聞いてくる。
「あー……それはだな……」
歯切れの悪くなった俺を見て、悪友的冒険者は全てを察した。
額に手を当てて呆れ果てる。
「マジかよ……お前なぁ、そいつは最低だぞ」
「わーってるよ! 俺だって悪いと思ってるんだ。あいつにはその内利子をつけて埋め合わせをするつもりだ」
「羨ましいやら勿体ないやら……って、それどころじゃねぇ! 大変なんだよ!」
と、本題を思い出して奴は言う。
「なにかあったのか?」
「マダムからクレームが入ったんだ! さっき使いのガキがやってきて、昨日売りつけた苗のせいでとんでもない事になってるとよ! 一人で行くのは嫌だからお前を探してたんだ」
……そんな事になってるならマーブルの家にいればよかった。
そんなのてめぇでなんとかしろよと思わないでもないが、俺とこいつの仲だ。
一緒に怒られてやる程度の義理はある。
「なんだよ、とんでもねぇ事って」
「わからん。とにかくヤバい事になってるらしい」
「なんだそりゃ」
詳しい事情を話したら俺らが逃げるとでも思ったのだろうか。
盛大に嫌な予感がするが、行かないわけにはいかなかった。
◆
「……こいつは確かにとんでもねぇな」
馬鹿みたいに大口を開けて俺は言った。
マダムムーアヘッドの大豪邸の前だった。
それとも、人食い森の出張所と呼んだ方がいいか?
マダムの屋敷は空色の蔓と葉に覆われてほとんど見えなくなっていた。
俺達の売りつけた苗のせいらしいが、昨日の今日でここまでデカくなるものか?
植物の神秘に俺は眩暈を覚える。
「朝起きたらこのありさまざます! 早くなんとかするざます!」
寝間着姿のマダムがジャッドに吠える。
俺は頼まれたから付いてきただけだ。
交渉役は引き続きジャッドが担当する。
「もちろんそのつもりですが。一晩でここまで大きくなるとは思えません。なにかマダムの方でお心当たりはありませんか?」
ジャッドが尋ねる。
貸衣装は着ていない。
いつも通り無精ひげを生やした狩人風の優男スタイルだ。
金を返せだの弁償しろだの言われると面倒なので、相手の非を探るつもりなのだろう。
「あるわけないざましょう!? 早くなんとかするざます!」
ざますは聞く耳持たずという感じだが。
さて、ジャッドはどう出るか。
俺の出番はまだ先だ。
高みの見物を決め込むとする。
「マダムを責めているわけではありません。なにやらお急ぎのご様子ですが、この事態を解決する為には、こうなってしまった原因を知る必要があります。無力な冒険者を助けると思って、お力を貸していただけないでしょうか」
これ以上ない程へりくだってジャッドは言う。
あんな真似は人質を取られたって俺には出来そうもない。
それはそれで、立派な才能だ。
ジャッドが見つめると、マダムは悩まし気な表情を浮かべ白状した。
「……実を言うと、一つだけ心当たりがあるざます。些細な事で、今回の件には全く関係ないと思うざますが……」
「もちろんそうでしょう。まったく関係ないとは思いますが、参考までに」
「……えぇ。ジャッドさんから頂いた苗があんまり素敵だったので、早くお友達に大きく育った姿を自慢――見せてさし上げたくて。少しばかり、栄養剤を与えすぎてしまったざます……」
栄養剤というのは、魔薬屋が売っている怪しい成長促進剤の事だろう。
「そのお気持ち、よくわかります。マダムの時間は貴重ですから。自然に育つまで悠長に待っているわけには行きません。第一、他の方々もやっている事。ところで、少しばかりとはどのくらいで?」
たっぷりと砂糖を振りかけてから、ジャッドが本題を尋ねる。
「……用量の百倍程」
それが原因だろ馬鹿野郎!
喉まで出かけた言葉をグッと堪える。
流石のジャッドも頬が引き攣っていた。
「な、なるほど……まぁ、その程度、誤差のようなものでしょう」
なんなら声も上擦っている。
「あぁ、ジャッドさん! わたくしが悪い事は分かっているざます。こんな事が夫にバレたら、怒られてしまうざますわ! 幸い夫はお仕事で出張中。帰ってくるのは五日後ざます。どうかそれまでに、あの忌々しい植物を駆除しては貰えないざますか!」
「マダムの為なら喜んで。ただ、これ程の規模の植物を駆除するとなると、色々と準備が必要になりますね」
内心で口笛を吹く。
まったくとんだ詐欺師だ。
良くて返金、最悪弁償かと思っていたが、上手く話をすり替えて、マダムからさらに金をふんだくろうとしている。
まぁ、これだけの事になっても怒るだけで済む相手が夫なのだ。
金は腐る程あるのだろう。
「えぇ、わかっていますわ。この問題を解決して貰えるなら、お金に糸目はつけないざます。必要な分は幾らでも請求して頂いて構いませんわ。とりあえず、手付はこれくらいで足りるざますか?」
マダムが指を鳴らすと、昨日と同じイケメン執事が金の入った袋を差し出す。
今回は中身を確認せずに受け取った。
どうせ後から好きなだけ請求出来るんだ。
わざわざ確認する必要はない。
「恐らくは。とりあえず、屋敷を確認してみます」
そんな感じでマダムとのやり取りは終わった。
屋敷の敷地には使用人用の別邸があり、事態が収束するまでマダムはそっちで暮らすらしい。
ウサギ小屋のような屋敷で恥ずかしいと言っていたが、アレがウサギ小屋なら俺の住んでるアパートはアリの巣だ。
「良い金づるなのは分かるが、安請け合いして大丈夫か? こいつを五日で片付けるのは骨が折れるぜ」
というか、旦那が帰ってくるまでに片付けるなら、実際に使える時間は今日も含めて四日だ。
これだけでかい屋敷が丸まるジャングルになっている。
どう考えても無理だと思うが。
「別に俺達が手を汚す必要はないだろ。危険がなけりゃ、街中の植木屋に声をかけて終いだ。一日もかからん。内装屋を呼んで手直ししてしてもう一日。都合二日でかたがつく。必要経費にちょいと上乗せして終わりの楽な仕事だ」
あっさりと言ってのける。
「……悪党かよ」
「商売上手と言ってくれ。マダムの手に余る仕事を肩代わりしてやってるんだ。手間賃を貰ったってバチは当たらないさ」
「そりゃそうだろうが……」
釈然としないのは俺がお人よしだからか?
「気後れするのはまだ早いぞ。この様子だ。中がどうなってるかわかったもんじゃない」
その通りだ。
肩をすくめると、俺達は玄関へと向かった。
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