第9話 桃尻女

 植物の蔓は庭先まで伸びていて、半裸のマダムが水瓶を担いだ悪趣味な噴水に触手のように絡みついている。先に進むにつれて足元の蔓は多くなり、程なくして地面が見えない程の空色の絨毯に変わった。

 玄関先にたどり着く。屋敷は長く放置された遺跡のようで、壁面はびっしりと蔓が覆っている。扉も同じだ。

 試しに蔓を引っ張ってみる。引き千切れない事はないが、思ったよりも力が要る。垂れ下がっているだけかと思ったが、顔を近づけて観察すると蔓からは吸盤のついた短い根のようなものが伸びており、それで壁面にくっついてるらしい。

 そちらは一旦保留にして扉を開けようと試みるが、びっしりと扉を覆う蔓が蓋になって開かない。無理をすれば取っ手がイカレそうだ。

 諦めて扉に絡みついた蔓を引き剥がす。最初はそれなりに上手くいっていたが、引き剥がす面積が増えるとそれに合わせて抵抗も大きくなり、扉に張りついた蔓を毟るだけでかなりの時間を取られた。

 しかも扉は開かなかった。

 先に気づくべきだったんだが、蔓は内側にも這っていて、そいつが邪魔しているのだろう。


「こいつは力仕事になるぜ」


 額の汗を拭いながらジャッドに言う。


「助っ人が要るな」


 ジャッドが肩をすくめた。



「なるほど。それで私に声をかけたわけか」

 

 頼られたのが嬉しいのだろう。クールぶっているが、口元がにやけていた。

 相手は女剣士のセリアンだ。

 金髪碧眼の良い女で、背が高く凛々しい顔立ちをしている。女のファンが多く、月に何度かは同性の相手に告白されている姿を見かける。

 高そうな白銀色の部分鎧を身に着け、腰には洒落た鞘の長剣、背には戦乙女の浮彫が施された盾を背負う洒落者だ。

 俺は魔術士でジャッドは弓使い。前衛が欲しい時によく声をかける相手だ。脳筋だが実力は確かで、精気を肉体に漲らせて筋力を強化する術も覚えている。今回のように腕力の必要になる仕事では頼りになる。


「お前たちの頼みだ。断るわけにはいかないな」


 フッと決め顔を作ってセリアンが席を立つ。そう言わせる程度には親しい仲だ。まぁ、店で駄弁っているくらいだからどうせ暇だったのだろうが。

 セリアンがつかまったら俺は屋敷に戻るつもりだったが、ジャッドはまだ用があるらしい。


「もう一人誘わないか?」


 と言い出した。


「別にいいけど、セリアンの他に必要か?」


 頭数を増やせば取り分が減る。当たり前の話だ。ケチな事を言いたいわけじゃないが、誘うだけ誘ってろくに出番がないとお互いに気まずい。


「植物絡みの仕事だからな。マーブルがいたら役に立つんじゃないか?」


 ジャッドの言いたい事は分かる。マーブルなら植物の知識も豊富だ。この仕事にはうってつけだろう。


「あー、今回はパスで……」


 視線を泳がせる俺を、ジャッドは呆れた目で見た。


「マーブルと寝たから気まずいってか?」

「なんだって!?」


 横で聞いていたセリアンが素っ頓狂な声を上げる。


「フーリオ! お前、マーブルと寝たのか!?」


 セリアンのクソデカ大声が店の外まで響き、俺は顔が熱くなった。


「声がでけぇんだよ……」


 呻くように文句を言う。


「す、すまない。だが……ぐぬぬ……彼女の事は私も狙っていたのに、まさかお前に先を越されるとは……」


 悔しそうにセリアンが歯噛みする。この女は両刀だ。まぁ、女冒険者には珍しくないが。


「……物の弾みだ」


 あまり掘り返されたくない話だ。俺の口は重くなる。


「この野郎、酔っぱらって憶えてないんだぜ」


 そんな俺の気も知らず、ジャッドが余計な事を言う。


「ジャッド!? てめぇ!」

「はぁ~!? フーリオ! 貴様ぁ! それでも男か!」


 セリアンが俺の胸倉を掴む。

 俺はその手を乱暴に振り払った。


「うるせぇ! 俺だって悪いと思ってるんだ!」


 逆ギレをして俺は言う。


「昨日の宴でマーブルが言ってたんだよ。考えなしに魔境から妙な植物を採ってきたらその内大変な事になるって。俺は心配ねぇと言ったんだが、この有様だ。みっともなくて頼れるかよ」


 それを聞いて、セリアンは呆れ半分で鼻を鳴らす。


「まぁ、気持ちは分からないでもない。一度寝た相手には無様な姿は見せたくないからな」


 同じように、ジャッドも鼻を鳴らす。


「そーいう事ならしゃーなしだ。とりあえずこの三人でやってみるか」

「恩に着るぜ」


 話はまとまり、俺達は屋敷に戻った。


 ◆


「……これは。思っていたよりすごいな」


 蔓塗れの屋敷を見てセリアンが目を丸くする。


「で、どうする? 入口は塞がってるが。ぶち破るか?」


 まとめ役のジャッドに聞く。

 俺の魔術でもいいし、セリアンの馬鹿力でもいい。なんにせよ、中に入らない事には始まらない。


「望遠鏡でマダムが見てる。手荒な真似はなしで行こう」


 振り返らず、ジャッドは背中越しに使用人の屋敷を指さした。

 ジャッド程目のよくない俺達には見えないが、ジャッドが言うならそうなのだろう。

 玄関が駄目なら窓から入ればいいじゃない。冒険者の常識だ。

 適当に入りやすそうな窓を探すと、来る途中で買っておいた作業用の皮手袋を装着する。


「むぅ……手袋は苦手だ。なんかこう、指がもわもわしないか?」


 その気持ちはわからなくもない。慣れないせいだろうが、痒いような気がしてしまう。


「我慢してくれ。これから山ほど草を毟るんだ。手袋なしじゃ手がボロボロになる。あと、さっき素手で毟ったらなんかちょっと痒くなったし」


 忌々しそうにジャッドが言う。

 かぶれたという程酷くはないが、俺の手も少し赤くなっていた。

 セリアンは不満そうに鼻を鳴らし、白い指先を手袋で覆う。

 窓にかかった蔓を剥ぎ取ると、俺は解錠の術で窓の鍵を開けた。仕掛けを理解している機械錠しか開けられないが、幸い窓の鍵は単純だった。防犯的にはどうかと思うが。

 向こう側にも蔓が張っていたが、さほど大きな窓でもない。セリアンがフン! と力を籠めるとあっさり千切れて窓は開いた。


「「お~」」


 と、俺とジャッドで拍手をする。


「この程度楽勝だな」


 気を良くしたセリアンが力こぶを作ってみせた。腕相撲じゃ、両手を使ったって勝てそうにない。

 言い出しっぺのジャッドが先に入った。次に俺、最後にセリアンだが。


「――んな!?」


 腰まで入った所で妙な声をあげた。


「どうかしたか?」

「な、なんでもない! くっ、ふん! ふん!」


 言いながら、セリアンは向こう側で足をバタつかせ、身を捩りながら窓枠を手で押した。


「ははぁん。さてはお前、尻がつかえたな――おごっ!?」


 無精ひげを撫でるジャッドの腹をセリアンが殴った。

 セリアンは長身だ。その分尻もデカい。それが魅力でもあるのだが。


「ち、違う!? 剣が引っかかっただけだ!」


 涙目になって睨んでくる。

 見かけによらず乙女な所のある奴だ。あまりからかうと馬鹿力で殴られる。俺達はそういう事にしておいてやり、セリアンの腕を掴んで引っ張った。

 せーので引っ張る。

 何度か挑戦すると、セリアンのデカ尻が窓枠を通過する。

 勢い余って、俺とジャッドはセリアンの下敷きになった。


「ちくしょう! なんて重てぇ女だ!」

「いででででで! 金玉! そこ! 潰れる!?」


 マジで潰れる!?


「う、うるさい! 重いのは私じゃなくて鎧と剣のせいだ!?」


 真っ赤になって言い訳しながら、セリアンが起き上がった。

 そんな感じでドタバタしつつ、ようやく俺達は屋敷の中に入る事が出来た。

 中は酷い有様だ。辺りは完全に蔓に覆われ、言われなければそこが屋敷の中だと分からないだろう。百年放置されて蜘蛛の巣だらけになった屋敷の植物版といった感じだ。進むにはセリアンの剣が役にたった。


「私の剣は草刈り用ではないんだがな」


 先ほどの事もある。不貞腐れながらセリアンが剣を振る。


「そう言うな。俺達みたいな素人じゃ草刈りだって骨が折れる」

「そうだぜ。蔓が引っかかっちまってセリアンみたいにすっぱりとはいかねぇのよ」

「はっはっは! そうだろうとも! 私は腕の良い剣士だからな!」


 二人で煽てるとセリアンはあっさり機嫌を直し、ばっさばっさと行く手を阻む蔓を切り払う。セリアンの腕が良いのは本当の事だ。屋敷の中では人食い森でやったように魔術で無理やりこじ開けるわけにもいかない。彼女がいなけりゃ相当手こずる仕事になっていただろう。

 とりあえず俺達は玄関を目指した。職人共を雇うにしても窓から入れるわけにはいかない。帰りだってまたセリアンのデカ尻を詰まらせるのは可哀想だ。

 廊下を抜けると予想通り玄関ホールに出た。金持ちの家らしく無駄に広いが。


「「「……………」」」


 異常な光景に俺達は言葉を失った。

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