第4話 名前のない店

 真っすぐその店に向かう程馬鹿じゃない。

 今じゃ街中の人間が野菜教だ。


 俺やジャッドのように芝居を打ってる連中もいる。

 そんな連中を見つけ出す為、野菜教は密告を推奨していた。

 罪なき動物達が殺されるのを見て見ぬふりをするのは肉食いと変わりない大罪だ。

 人々は正義感から、あるいは自分が告発されないよう、お互い監視し合い怪しい奴を密告している。

 酷い世の中だ。


 はやる気持ちを抑えて一度下宿に帰る。


 長期滞在の冒険者を専門に扱うアパートだ。

 市民用の賃貸よりは高いが、短期滞在の冒険者用の宿よりは安い。

 部屋もそこそこ立派だ。

 代わりに仕事で留守にしている間も家賃を取られるが。


 こいつを借りるにはその街である程度仕事をこなし、冒険者の店に保証明を出して貰う必要がある。

 冒険者にとって数少ない信用証明の一つだ。


 部屋に戻ると俺は目立たない服に着替え、透明《インヴィジブル》の術を使った。


 原初の時に神はあり。

 孤独を嫌った神は己を殺し、砕けた神の力は世界となって広がった。

 イーサ教の神話ではそうして精気が生まれたらしい。


 精気はそこら中に存在し、万物に宿る根源的な力だ。

 魔物を生み出す原因でもあり、冷蔵庫やコンロを動かす動力源でもある。


 魔術士はこいつをこねて束の間の奇跡を起こし、精霊使いは自分の精気を食わせて精霊を飼いならす。

 熟練の戦士は四肢に精気を溜めて身体能力を強化する。

 天地創造を司る神の欠片、可能性そのものと言える力だ。


 そいつで俺は光を捻じ曲げ姿を消した。

 同じ術でも練度や術の練り方で効果はかなり変わってくる。

 熟練者は姿だけでなく体臭や物音、果ては自分に干渉する攻撃や物体をも透過出来るというが、生憎俺の透明術は三流だ。


 光を捻じ曲げて姿を隠すだけ。

 それも完全ではなく、陽炎のようなもやが残る。


 明るい所ではバレバレだが、薄暗ければそれなりに効果がある。

 夜ならまずわからない。

 効果時間も短いが、三階の窓から飛び降りるだけなら数十秒も持てば十分だ。


 着地の衝撃を浮遊フロートの術で相殺する。

 こちらも効果は術者次第。

 高位になれば鳥のように自在に飛べるようになり、飛行術フライに呼び名が変わる。


 こっちも俺は三流で、上昇は出来ず、数秒その場に浮かぶのが精一杯だ。

 それでも高所から飛び降りるには重宝する。

 一つの術を極めるよりは、広く浅く身に着けるタイプの俺だった。


 そうしてアパートを抜け出した俺は、尾行に注意し、人目を避け、小まめに下手くそな透明術を使いながら目的の店を目指した。

 道中、野菜教の自警団と何度かすれ違った。


 何事にも光と影がある。

 その日暮らしの冒険者風情の生活を光とは言わないが、その店のある通りが影の側なのは明らかだった。

 

 古くて薄汚い建物が乱杭歯のように並んでいる。

 掲げている看板だけが妙に新しく、子供が飯事でやる下手くそな化粧のようにけばけばしい。


 貧乏労働者向けの宿や、非合法のあいまい宿、モグリの金貸し、破廉恥劇場、公然と盗品を売る古売屋に賭博屋等々。


 それでも、ヤクザが仕切っている分この辺はまだ秩序があった。

 この先のスラムは文字通りの無法地帯で、勇者官も近寄らない。

 詳しい事は知らないが、以前に大きな事故だか災害が起きたせいで一帯がちょっとした魔都になっている。


 魔都、あるいは魔境というのは負の精気によって汚染された場所だ。

 精気は意思の力に引き寄せられると言われている。

 人が意思の力で精気を操れるのはこの為だ。

 その逆に、濃い精気は無生物に偽りの命を与える。

 ただの土塊やその辺の水溜りがゴーレムやスライムに化けるのはそのせいだ。


 戦争や災害などが起きると場の精気は濃くなり、犠牲者の負の感情を宿して土地に定着する。

 そうして穢れた場所は攻撃的な魔物が湧きやすくなる。

 人間だってそんな所に長居をすれば身体に異常をきたす。


 そういう訳で廃墟のまま放置されているが、脛に傷のある訳あり共が隠れ家として使っている。

 命が惜しくなければ住めない事はないし、精気を操る力があれば魔都の穢れた精気にも対抗は出来る。

 精気を操る才能のない者が力を求めて飛び込む事もあるというが、はっきり言って自殺行為だ。


 ヤクザ共の縄張りはそんなスラムに対する防波堤としての役割を担っている為、非合法な仕事をしていてもある程度は勇者官も目を瞑っている。

 必要悪という奴だ。


 恐らくというか間違いなく、こんな状況で肉を出すという店もヤクザ絡みなのだろう。

 金さえ払えばトラブルにはならないと思うが、いくら吹っ掛けられるか分からない。


 一応財布は重くしてきた。

 有り金全部寄こせと言われても、真っ当なステーキが食べられるなら払うつもりだ。


 金なんか働いて稼げばいい。

 肉の食えない人生は灰色だ。

 人は楽しみがなくては働けない。


 そんな風に肉食いを肯定する俺は間違っているのだろうか?

 そうかもしれない。


 野菜教に囲まれた時の事を思い出す。

 あの時感じた恐怖の中には、彼らの言い分を内心では認め、自分の常識が崩れてしまう事への恐れがあった気がする。


 動物だって生きている。

 死にたくないし、傷つけられれば痛い。

 猫が食えないなら牛や豚だって食べるべきではない。


 面と向かって言われるとその通りかもしれないと思う。

 そうでなければ、これ程多くの人間が野菜教に取り込まれたりはしない。


 それでも俺は肉が食いたい。

 狂っているならそれでもいい。

 俺は俺以外の人間になれはしない。


 ジャッドの言う通り、その店はピンク色の照明に照らされたストリップ劇場と下半身の事情に特化した怪しい薬屋の間に建っていた。


 最初、俺は見逃して、三度もその通りを往復した。

 おかげでちゃらついた客引きに変な目で見られてしまった。

 用心の為に髪型を七三分けにして伊達眼鏡で変装をしているので大丈夫だとは思うが。


 小さな店だった。

 と言っていいのか分からない。

 二つの店に押しつぶされるようにして、扉一枚分の大きさの建物とも呼べないそれは建っていた。

 工事現場の仮設トイレと大差ないような建物だ。


 場所は合っているが、本当にここでいいのだろうかという疑問は拭えない。

 ドアノブに手をかけると鍵がかかっていた。

 ジャッドに言われた通り、右に二回、左に二回動かしてから引くと扉が開いた。


 その手ごたえに、初めて女の裸を見た時のように心臓が高鳴る。

 扉の先は地下へ降りる階段になっていた。


 俺はそそくさと中に入って扉を閉めた。

 壁には小さな照明が頼りなく揺れている。

 薄暗い階段は長くはない。


 精々一階分程を下ると、やけに厳重な金属製の扉が出迎えた。

 立ち尽くして困惑する。


 ドアには取っ手がなかった。

 ノブはおろか、手をかける窪みもない。

 試しにノックしてみると、上の方にあるポストの受け口みたいな覗き窓が開いた。


「何の用だ」


 目元だけで強面と分かる男が低く尋ねる。


「……肉を食えると聞いて来たんだが」


 一瞬迷ったが、正直に言う事にした。

 ここまで大袈裟な事をしておいて嘘という事はないだろう。


「誰の紹介だ」


 また迷う。

 そんな話は聞いてない。

 ジャッドの名前を出していいものか? 


 とはいえ、筋は通っている。

 密告者は多い。

 信用できる人間の紹介制という形をとるのは理にかなっている。

 ジャッドにしても、一から十まで説明するようなタイプではない。

 結局俺はジャッドの名前を出した。


「少し待て」


 名簿でも確認しに行ったのか、覗き窓が閉まる。

 覗き窓から漏れ出したのだろう、待つ間、俺は懐かしい匂いを嗅いだ。


 夢にまで見た――本当に夢に出てきた――肉の匂い。

 胡椒のきいたステーキの匂いだ。

 途端に口の中が唾で溢れ、喉が鳴った。

 堪えなければ、俺は早くしろと扉を叩いてしまいそうだ。


 扉が開いた。

 千年も待ったような気がしたが、実際は数分だろう。

 ぬるい風と共に、動物の死体を焼く野蛮な匂いが俺を出迎えた。



 存在してはいけない店に名前などない。

 そこは薄暗く、地下牢のような作りをしていた。


 実際にそうだったのかもしれない。

 ヤクザが拷問用に用意した秘密の地下牢。

 そいつを改造して闇の飯屋に仕立て上げたのだろうか。

 石造りの壁に囲まれた狭い通路を、ガブスみたいな強面の大男に案内されて進む。


 金は先に払った。

 予想通りのぼったくりだったが、文句はない。


 肉が食える。

 血の滴るレアステーキを腹いっぱい!

 

 通路の左右には錆びた金属製の扉が交互に並んで、その内の一つに俺は案内された。


 中はやはり牢屋のようだった。

 豆のように小さな照明が天井で頼りなく揺れている。

 粗末なテーブルと椅子が一つあるだけの、尋問部屋のような一室だ。


 椅子に座ってしばらく待つと、男がステーキののった木皿を持ってきた。

 木皿の上には熱した鉄板が敷かれて、分厚いステーキがじゅーじゅーと小気味よい音を上げている。


 本物の肉。

 大豆なんかじゃない、生きた動物の死体を焼いた肉!

 不覚にも俺の目は涙で潤んだ。


 男が出ていくと、俺は飛び付くようにしてナイフとフォークを掴んだ。

 急いで食べなければ、甘い夢が消えてしまうとでも言うように。

 

 実際、そんな気分だった。

 これは本当に現実か?

 たとえ夢でも構わない。

 肉が食えるなら!


 震える手で肉を切る。

 本物の肉はしっかりとした弾力があり、切ると赤い肉汁が零れた。

 赤みの残った断面が、艶めかしく俺を誘惑する。


 恐る恐る口に含むと、頭の奥で光が弾けた。

 その時俺は答えを知った。

 なぜ人は肉を食べるのか。

 どうして俺はそうまでして肉を食べたいのか。


 美味いからだ。

 それ以外の理由などない。

 美味い。

 ただただ美味い。


 それは、人が人らしく生きる為に必要な要素だった。

 乾いた心に人間性が染み渡る。


 野菜教に街が侵食されてから感じていた理由のない怒りと不安が溶けるように消えていく。

 暖かな幸福感と共に、平穏が俺の心を包んだ。


 俺は泣いていた。

 ぼろぼろと、大粒の涙が頬を流れる。


 こんな風に泣いたのはいつ以来だ?

 もしかすると、生まれて初めてかもしれない。


 それくらいの感動があった。

 喜びがあり、歓喜があった。

 ようやく俺はまっとうな人間になった。


 人はパンと野菜だけでは生きられない。

 改めてそう確信する。


 俺は感謝していた。

 この肉の元となった動物に。

 牛よ、豚よ、鳥よ、魚よ、その他のあらゆる生き物よ!

 野菜よ、果物よ、それを育てる農家や業者、料理人、果ては世界を生み出した神に祈る。


 ありがとう!


 命を頂く事の悦びと尊さを噛み締めながら、俺は一つ一つ肉を口に運んだ。

 一つ減り、二つ減り、残りが少なくなると恐怖と寂しさが俺を襲った。


 夢の終りを数えるようなものだった。

 だが、絶望はしない。

 俺は今日、希望を知った。

 己の正しさを知り、肉を食べる素晴らしさを思い出した。


 この気持ちを忘れなければ、明日からも頑張れる。

 そして、一生懸命働き、また肉を食べに来よう。


「……ご馳走様でした」


 静かに泣きながら、俺は頂いた命に手を合わせた。

 そして、腹の中を満たす幸せの余韻を噛み締めた。


 しばらくそうしていた。

 気が済むまでそうしているつもりだった。


 どれだけそうしていたかは分からない。

 この部屋に時計はなかった。


 五分かもしれないし、一時間かもしれない時間が流れた。


 満足して立ち上がろうとした時、俺は自分の身体がぴくりとも動かない事に気づいた。


 なんだこれ?

 どうなってんだ?


 困惑し、慌ててふためく。

 助けを呼ぼうにも声が出ない。

 俺はただ、肉の牢獄に閉じ込められた無力な魂に成り下がっていた。


 扉が開いた。


 そこには、見知らぬ若造が立っていた。


 ……いや、そうじゃない。


 俺は……こいつを知っている。


 ……こいつは。


 こいつは!?


 あぁ……。


 なんてこった……。


 そいつはあの日、通りで俺が声をかけた野菜教の一人だった!

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