第2話 Q&A

「「「肉食をやめろー! 生き物を殺すなー!」」」


 翌日の昼下がりだった。

 冒険者の店に向かっていると、今日もあの連中がいた。

 ……いや。同じ連中ではない。

 全員を覚えているわけじゃないが、違う顔ぶれだった。

 その癖、数は倍に増えている。

 そう言えば、昨日飯屋を探し歩いている時も、あちこちでこいつらを見かけた気がする。

 あの時はイラついていて気に留めなかったが。

 思ったよりも数が多いのかもしれない。


 ……まさか、肉屋を襲ったのはこいつらの仕業か?

 気になって、俺は連中の一人に話しかけた。


「なぁあんたら。なんで肉を食ったらだめなんだよ」


 つい高圧的な態度になってしまう。

 大勢で大声を出して街を練り歩いてる時点で迷惑だ。

 言ってる事も気に入らない。

 俺でなくても癇に障るだろう。


「――っ!?」


 こう見えても、俺は歴戦の冒険者だ。

 修羅場だってそれなりに潜っている。

 腕の良い魔術士で、腕っぷしにも自信がある。

 そんな俺が思わずたじろいだ。

 全員が、一つの命を共有する群体のように同時に振り返ったのだ。


 連中はいかにも善良な市民の寄せ集めという感じで、強そうな気配は全くない。

 そんな事は立ち振る舞いや身に纏う精気を観察すれば分かる。

 歳も性別も背格好や雰囲気もまるでばらばらの連中だった。

 それなのに、俺にはこいつらが全員同じ顔に見えた。


 勿論、顔立ちはまるで違う。

 だが、表情や目に宿る感情の色は同じだった。


 それは怒りに似ていた。

 実際、怒りではあるのだろう。

 その他には、義務感と焦燥のようなものが見て取れた。

 なにか、早急に成さねばならない大いなる使命に急かされているような感じだ。

 目の前で罪のない子供達が大勢虐殺されていたら、こんな顔になるのかもしれない。

 そう思った時、俺はこいつらの目に浮かんだ色の正体が正義感だと気づいた。


「「「あなたは私を殺してその肉を食べたいと思いますか?」」」


 連中の言葉にゾッとして鳥肌が立つ。

 まったくばらばらの人間が同じタイミングで同じ言葉を吐く様は、名状しがたいおぞましさがあった。


「お、思うわけねぇだろ……」

「「「それはなぜですか?」」」

「なぜって……人の肉なんか気持ち悪くて食べれるかよ……」

「「「どうして? 人の肉も牛の肉も、同じ肉には変わりませんよ? 焼けば同じく美味しいはずです」」」


 全方向から声がする。

 気づけば俺は囲まれていた。


「そうかもしんねぇけど……いや、そもそも、人殺しはダメだろ」

「「「そうです。人殺しはいけません。なら、動物だって殺してはいけないはずです」」」

「いや、人と動物は違うだろ……」


 なに言ってんだこいつらは。

 そう思って言ったんだが、禁句だったらしい。

 数十の淀んだ目に、一斉に殺意にも似た嫌な光が宿る。


「「「……あなたは猫を食べますか?」」」


 怒りを押し殺すような声で連中が聞く。


「……食わねぇけど」


 俺はこいつらに話しかけた事を後悔していた。

 大体なんだこの質問は。

 猫なんか食うか馬鹿野郎。


 俺は猫好きの男だった。

 竜の尻尾亭にはしばしば冒険者のおこぼれを欲しがって野良猫達がやって来る。

 俺は密かにそいつらに名前をつけて可愛がっていた。


「「「どうしてですか?」」」

「……可愛いからだろ」


 若干の恥ずかしさを感じながら答える。

 いい加減切り上げたいが、こっちから話しかけた手前そうするのもはばかられる。

 というか、そもそも囲まれている。

 話が終わるまで帰して貰えそうにない。


「「「ブサイクな猫なら食べるんですか?」」」

「ブサイクな猫なんかいるかよ! とにかく、俺は猫好きなんだよ。可哀想だから猫は食わねぇ。それだけだ」

「「「そうです。猫を食べるのは可哀想です。食べるという事は殺す事です。殺すという事は痛めつける事です。皮を剥ぎ、首を落し、切り刻んで、火にかける。なんて残酷な事でしょうか」」」


 お気に入りの三毛猫が丸焼きにされる所を想像してしまい吐き気を覚える。


「「「あなたは今、おぞましいと思いましたね? でも、あなたはそれをやっているんです。牛を、豚を、鳥を、魚を食べるという事は、まったく同じ事なんです。罪のない彼らをあなたは肉を食べたいというエゴの為だけに痛めつけ、残酷に殺しているんです」」」

「……いや、殺してるのは肉屋とか料理人だろ」

「「「現実から目をそらすのはやめなさい! あなたが肉を食べなければ、彼らも動物を殺したりはしない! 肉を食べる者がいなくなれば、彼らもおぞましい所業をやめるのです! 自分の手を汚していなくとも、あなたの魂は共犯によって黒く穢れているのです!」」」

「わかった! わかったよ! あんたらが正しい! もう肉は食わねぇ! これでいいだろ!?」


 両手を肩の位置まで上げて降参のポーズを取る。

 心にもない事だが、知った事じゃない。

 こいつらはやばい。

 これ以上関わりたくない。


 無数の瞳が、寸分たがわぬ狂気を秘めた目が、鏡像のようにじっと俺を睨んでいる。


「「「……本当に理解しましたか? 動物を殺すおぞましさを。人の言葉を喋らなくても、彼らには私達と変わらない心がある。大事な家族を殺されれば悲しみ、傷つけられれば痛みを感じる。私達と動物達は同じなのです。人に出来ない事は、動物にだってするべきではない。神はちゃんと、人間の為に命なき糧をお与えになりました。大地から生える恵みだけで、人は十分糧を得られるのです。大丈夫。始めは辛くとも、すぐに慣れます。肉食をやめ、野菜を食べるのです。そうすれば魂の穢れも晴れ、病にかかる事もなくなります。身体は軽やかになり、死しても神の国に迎えられる事でしょう」」」

「……ま、マジかよ! そいつはすげぇや! は、ははは、そんなに良い事尽くめなら、肉なんか馬鹿らしく食ってられねぇな!」


 眩暈がした。

 喉が乾いて張りつきそうだ。

 俺は完全にビビっていた。

 頬を引きつらせながら、精一杯演技をする。

 そうでもしないと、こいつらは俺をバラして食っちまいそうに思えた。

 連中の目から気味の悪い正義感の光が消え、一斉に優しい笑みを浮かべた。


「「「同志よ。あなたの目は開かれた。神の恵みがあらん事を」」」


 連中は列を作り、行進を再開した。


「よかった、あなたも一緒にどうですか?」


 最初に話しかけた若造が気さくな笑みで誘ってきた。

 その頃には俺は、一目散に逃げだしていたが。


 ◆

 

「だぁー! ひでぇ目に合った!」


 冒険者の店に飛び込むと、転がるようにいつもの席に尻を落ち着けた。

 安堵して、俺は傷だらけのテーブルに突っ伏す。

 荒くれの冒険者に囲まれて、やっと自分の世界に戻ってこれた気がした。


「どうしたのフーリオ? そんなに慌てて」


 注文を取りに来たミルシャが尋ねる。


「どうもこうもねぇよ! 最近街に妙な連中がいてよ。見た目は普通の街の連中なんだが、動物が可哀想だから肉を食うなとかわけわかんねぇ事ほざいてんだよ。そんな事しなきゃよかったんだが、ついつい理由を聞いちまったんだ。そしたら囲まれて説教されてよ。生きた心地がしなかったぜ!」


 ミルシャに愚痴る。

 そうでもしないとやってられない。

 連中の不気味な表情が瞼に残るようだ。

 耳にも言葉がこびりついてる。

 振り返れば奴らが窓から覗いていそうで気が気ではない。


「あー、あの人達ね。噂になってるみたいだよ?」

「そりゃなるだろ。あんなおかしい連中」


 ならない方がどうかしている。

 ともかく飯だ。

 正直、連中のせいで空腹もどこかに行ってしまったが。

 厄払いの意味を込めて肉が食いたかった。

 そうしないと、こっちまで連中の仲間になりそうだ。


「で、今日は肉はあんのか?」


 ミルシャが首を振る。


「当分入って来ないみたい」


 そんな気はしていた。

 家畜の残っている農村はあるだろうが、それが届くのは暫く先になるだろう。

 他所の街から買い付けるにしても同じ事だ。

 どうする?

 とミルシャが視線で尋ねる。

 気持ちとしては肉を食べたいが、昨日の時点ですら探すのに難儀した。

 俺のように肉を求める者は多いだろう。

 肉にありつけるのはいつになるかわからない。


「今日の所は野菜で我慢しとくさ」

「よかった!」


 ホッとしたようにミルシャが微笑んだ。

 このまま俺が店を離れてしまうのではと心配したのかもしれない。

 ……そう思うのは自惚れ過ぎか?

 どっちでもいいさ。

 そう思わせるミルシャの笑顔に俺は癒された。

 それで充分だ。


「つってもなぁ。正直野菜料理なんかまともに食った事がねぇ。なにか肉の代わりになるようなもんあるか?」


 自由気ままな冒険者だ。

 好きな物を好き勝手食い散らかして生きてきた。

 つまり肉だ。

 野菜なんか、オマケとしか思った事がない。


「任せて! 他のお客さんにも同じ事聞かれてるから。店長も張り切って、お肉の代わりになるようなメニュー研究しているみたいだし。あたしのオススメはね~」


 言われるがまま、俺は春野菜のクリームパスタと野菜炒め、マッシュポテトを注文した。


「おまちどうさま~」


 程なくして、ミルシャがテーブルに木皿を並べる。

 その頃には俺の気持ちも落ち着いて、腹は空腹を思い出していた。


「へぇ、意外に美味そうだな」


 意外には余計だったか。

 顔は怖いが、ガブスの腕は本物だ。

 何を作らせてもその辺の店よりは美味い。

 俺がこの店を縄張りにしているのもそれが理由の一つだ。


 一方で、味気なさを感じた事は否めない。

 緑色の太い茎と豆がクリームで和えられたパスタは洒落た雰囲気で香りも良いが、荒くれの冒険者には上品すぎる。

 野菜炒めも茄子やトマトが入って綺麗だが、目はどうしても肉を探してしまう。

 マッシュポテトなんか俺からしたらステーキの付け合わせだ。

 そう思いつつ口に運ぶ。


「……うまっ」


 ミルシャはもういない。

 それなのに、つい口から零れてしまった。


 ガブスが気を利かせたのだろう。

 肉が入ってない分、クリームパスタにはたっぷりとバターが使われていた。

 濃厚な風味は肉の油を感じさせ、満足とまではいかないが悪くない食べ応えを与えてくれる。


 野菜炒めもそうだ。

 どうやら茄子は揚げてあるらしい。

 ダシの風味と脂っぽさがジューシーだ。


 マッシュポテトも、普段付け合わせで出てくるものと違い、クリームとバターが練り込んであった。


「どうだった?」


 あっと言う間に食べ終わり、食後の一杯を頼もうとミルシャを呼んだら尋ねられた。

 当分肉を出せないのだ。

 代用メニューの反応は気になる所だろう。


「悪くなかったぜ。肉の代わりにはならねぇが、これはこれで美味かった。ただ、なんでもかんでもバターとクリームじゃすぐに飽きちまいそうだけどな。そうガブスに伝えといてくれ」

「オッケー! ありがとね」

「どうせ他の店に行ったって肉が食えるわけじゃねぇからな。それなら、ガブスの新メニューに期待するしかねぇさ」


 肉が食えないと聞かされた時は焦ったが、あの味なら、しばらくは我慢できそうだ。

 その間に復活してくれるといいんだが。

 弱い酒を飲み終えると、壁の依頼書を眺めて仕事を探した。

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