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 踏み壊してしまうのははばかられるが、ここでずっと眺めているわけにもいかないだろうと、一歩また一歩と彼の傍へと近付いていく。まるで幻想的な世界ファンタジーの中に足を踏み入れていっているようで、うるさいくらいに心臓が高鳴っていた。

 遂に手を伸ばせば届きそうな所まで来てしまったが、それでも彼が目を覚ます気配は感じられなかった。

 間近にその寝顔を見下ろしている脇を、風がそよいで渡っていく。──今なら。ここでなら、もっともっと近くで見られるじゃないかと、通り過ぎ様、そっと耳元で囁いていった。

 高鳴り続けている心臓を押さえるように、両手を胸元へやった。それと合わせてゆっくりと深呼吸をして、はやる気持ちを落ち着かせてから、用心深く辺りを見回す。誰も、何も居ないことを確認してからその場で静かにしゃがむと、恐る恐る彼の寝顔を覗き込んだ。


 頭髪と同じ綺麗な真珠色をした睫毛が、陶器のように滑らかな肌に柔く影を落としていた。鼻筋はすらと通り、整った輪郭から続く首筋までもが美しい。これで同じ人間だというのは到底無理がある──そう思わせるくらい、まるで一つの彫刻のように美しく仕上がった顔つきだった。

 その髪は、肌は、どんな触り心地なんだろう。詮無く湧き上がる欲求のまま伸びかけた腕を、辛うじて残っていた理性でもってぐっと抑えつけた。初対面に等しい、しかも眠っている相手に対して、いくらなんでも失礼だろう。

 そう、いけないことだというのは分かっている。だが、こうも無防備な姿が晒されていては、邪念の一つや二つ、抱いてしまっても止む無しではないだろうか。そう考えた上で、いざという時にどうしたら正当化できるだろうか等と、あれやこれやと思案する。


「……おい、起きろ」


 男の方に心持ち顔を寄せると、小さな声で呼び掛ける。遠く聞こえる小鳥のさえずりにさえ掻き消されそうなほどの、蚊の鳴くよりも小さな声。こんなに小さく声が出せたのかと、自分でも驚いたくらいだった。

 ──ひと声掛けて、それでも起きなければ、起こすためという名目で触れてしまえるのではないか。これが少ない時間で考えついた、ほんのささやかな作戦だった。


「なぁおい、起きろったら」

 

 起きないでくれと念じながら、もう一度だけ呼び掛ける。だが現実はそう上手くいかず──いや、この展開が一番望ましいものであることは分かっているのだが。ともかく、この限りなく小さな呼び掛けに応えるように、男の瞼はゆっくりと上がっていき、まだ虚ろではあったが確かにその目を開いたのだった。


 未だ重く被さる瞼の下、睫毛の落とす影の下にあってなお、その瞳は色鮮やかに光輝いていた。まるで母石から顔を覗かせる宝玉のようだと、作戦が失敗したこともすっかり忘れて見入ってしまった。

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