+グリーンローズ 20


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 それからさらに時は過ぎ、事件当日から約二か月半後。ローズマリー・シェリー氏誘拐事件は継続捜査となった。事実上の捜査打ち切りだ。


 ここに至ってようやく彼女の計画は完遂された。あとは彼女自身がよほど迂闊なことをしない限り〝アマンダ〟に捜査の目が向くことはないだろう。そしてザックが知る限り、ローズはそういう下手を打つタイプではない。


 それゆえか、このころになるとザックの心境にも変化が現れはじめてきた。この件について以前ほど頻繁に思い出さなくなったのだ。なにしろ事件は迷宮入り。いつまでも執着することはない。


 それに彼にも生活がある。ともあれ食い扶持は稼がなくてはならないし、そのためには、また別の事件に首を突っ込まなくてはならない。


 貧乏暇なし。ならばザカリー・マクブライドも暇なしだ。


 その点を考慮すれば、この時期に思わぬ失敗を犯してしまった彼を「とんでもない間抜けだ」と一概に糾弾することはできないはずだ。


 平たく言えばザックは油断していた。ローズの件にまつわる一つの重要なキーワードを、まったく失念していたのである。




 具体的な行動としては、彼はこの日、ある小包みを開封した。それも外出先で。


 出がけに郵便受けから取り出した荷物を出先まで持っていき、そこでの待ち時間を利用して内容をあらためようと考えたのだ。


 それほど大きな荷ではなかった。伝票の内容物欄には〈酒〉との記載がなされている。包みの形状も持ってみた感じも大体そういうふうであった。


 問題は差出人の項だ。そこに書かれた住所に覚えはなかったし、また氏名に関しても同様だった。


〈デイビッド・ラーソン〉。


 あとにして思えば、この「ラーソン」の姓を見た瞬間にピンときていなければいけなかった。


 とにかくザックはラーソン何某から届いた荷を第三者の眼前で開封した。それも、ザックの知人のなかでもとりわけ好奇心の強い人物の眼前で。


 包みから現れた〈フォア・ローゼズ〉の瓶を目にした時、彼女の第一声はこうだった。


「本当にお酒ね」


 わざわざ作業の手を止めて見たのに甲斐がないな、という言い草だ。


 このとき彼女がおこなっていたのはノーラン氏に対する定期点検であった。その作業を請け負っている人間はこの世に一人しかいない。


 要するにザックはこの日、SDことスクリュードライバー嬢の自宅兼、作業場を訪れていたのだ。


 ザックとSDとの物理的な距離はそう離れていない。彼女は部屋の中央に据えられた手術台、もとい作業台に着いており、ザックはそのそばに置かれた一人がけのソファに座っていた。


 二人を除けば室内にいるのはあと一人。その一人は言わずもがなノーランで、彼は今まさに検査を受けている最中だった。


 作業を円滑に進めるため彼はスリープモードにされていた。よって意識はない。


 ザックが以前に聞いたところでは、ノーランはこの状態が嫌いではないとのことだった。もしかすると実際に眠っているような感覚なのかもしれない。


 心底信頼する者の手に身体を委ねながら、なに気兼ねなくひと時の安らぎを享受する。考えてみればうらやましい話だ。


 どうあれSDは荷に興味を失った。かに思われたのだが、そこは勘の鋭い彼女のこと、LEDライト付きのスタンド型拡大鏡に向き直る直前、彼女は思い直したように言った。


「いやでも、まさかそんなわけって話じゃん。ザックは本当にそのデイブさんに心当たりないの? だったらこれは誰かのいたずらか、新手の詐欺の手口かってことなのかもね――あいや、一般家庭ならともかく、探偵事務所にそんな喧嘩の売り方をするやつはいないか」


「いいや、事実けっこうあるぞ。無言電話とかいろいろ危ない投書とかな」


「へえ、意外ね?」


「恨みを買うことは多いからな。俺も他人の不幸を飯の種にしているわけで……」


「ああ…………え? てことはまさか、それ、何か危ないブツとかってことじゃないでしょうね。突然爆発してみんなあの世行きとか、そういうの勘弁してよマジで」


「ううん、液体爆薬ってことはないと思うんだが……」


 とはいえ致死性の毒物くらいは混入されているかもしれない。ザックとSDはまじまじとスマートな瓶を観察した。


 とたんザックは気がついた。瓶のラベルの隅のほうに、小さな落書きが見えたのだ。


 そこに描かれていたのは一輪の薔薇だった。それほど細緻なものではない。あくまでも簡単な花弁の連なりではあるが、はっきりそれと分かる薔薇の花だ。


 それだけなら何のことはないただのいたずら書きだが、気になるのはその色である。薔薇は緑色の塗料で書き込まれていたのだ。おかげで、勘の悪いザックでもどうにか気づくことができた。


――緑の薔薇。グリーンローズ。ラーソン。


(そうか……あなただったのか……)


 彼は一人の女性を思い浮かべた。なるほどこの細工は実に彼女らしいやり方だ。多少回りくどい嫌いはあるが、遊び心があってかつ効果的。


 差出人欄の住所は彼女の生家、ラーソン農場のそれなのだろう。彼女は無事故郷に帰り着いたのだ。


 気づけばほほが緩んでいた。彼女の健在が素直にうれしかった。


 そうしたザックの仕草をどう見たのか、SDはチェシャ猫のように笑って言った。


「いま女の人のこと考えてたでしょ」


 これで当たっているのだから驚きだ。


「いや違う――いや違わないが、違う。これはそんなやましい話じゃない」


「だったらどういう話さ?」


「この話はどうもな……話せば長いというか、かくかくしかじかというか……」


「何かマズいことでもあるの?」


「差しさわりがある」


「へえ……そう言われるとなんだか無性に気になるわね」


 こういう流れになって語らずに済んだためしはない。どんな問答を繰り広げようと最後は必ずノーランを盾に取られるのだ。このあまり合法的でない相棒の面倒を任せられるのはSDを置いてほかにない。この広いロスでも彼女一人だ。


 同じ話すなら早いほうがいい。結局、ザックは例の一週間――と数日――のあいだに起きた出来事を、頭から順を追って語ることになった。




「…………それ本気で言ってるの?」


 というのがSDの最初の感想であった。すべての内容を聞き届けたうえでの一言だ。


「俺も概して暇だが、SDに聞かせるためだけにこんな作り話は用意しない」


「あ、そう」


 器用なことに、SDは作業の手をほとんど止めずにザックの話を聞いていた。おかげで定期点検はほぼ完了済みだ。


「じゃあ仮にザックの言うことが全部本当だとしてさ、ねえ、これからどうするつもりなの?」


「どうするっていうのはどういう意味だ」


「これからそのローズさんとこに行くの? 行かないの?」


 大胆なことを言うやつだ、とザックは思った。彼とローズとはまごうことなき共犯関係だ。下手に接触すればどんな不都合を招くか分からない。


 そのことをSDに説明すると、


「かもしれないけどさ、こうして向こうから居場所を知らせてきたってことは、そのローズさんだって何かしらのリアクションを期待してるんじゃないの?」


「だとしても行くべきじゃない。格好つかないだろう、これでのこのこ出て行くのは。だいたい、こういう場合は再会しないのがセオリーなんだ。ハードボイルドってやつとしてはな」


「かもね。でも私はそんなお約束なんて知らないし、個人的にはミステリーよりもロマンチックコメディのほうが好きだしね。最後はふたりが手を取り合って、笑顔とキスとでしめるのよ」


「そういうのがお好みとは意外だな。甘ったるいのは嫌いかと思ってた」


「あのねー、私だってティーンエイジャーの女子なんだからねー。たまには甘いものだって欲しくなりますう」


「そうか、よかったな」


「何それー腹立つーっ! そっちがそういう態度ならこっちだって容赦しないからね。こうなったら意地でも連れて行ってもらうから。そのローズさんのところに!」


 怒ったり膨れたりずいぶん忙しい。


「どうしてSDまで連れて行かなきゃならないんだ」


「だって会ってみたいじゃない、そんなに綺麗で頭のいい人ならさ。ぜひお近づきになりたいってもんよ」


「あのな……」


「いいでしょ? 私とあなたとノーランでさ。この子だってきっと喜ぶって……いや口実なんてなんでもいいんだってば。近くを通りがかりに車が故障したとかさ、そんなので充分なんだって――」


「分かった分かった、分かったよ、まったく……三人でぞろぞろ行けばいいんだろう? 言い出したら聞かないんだからな、本当」


 ザックが観念して言うと、SDはへへへと笑った。


 これでこの週末の予定は決まった。北を目指しての長距離ドライブだ。純粋に楽しみのために街を出るのはいつくらいぶりか、ザックにもすぐには見当がつかなかった。


 道行きはさぞ賑やかになることだろう。のみならず、目的地に到着したあとも、また街への帰途についてもだ。


 そのことを思うと、ザックはどうしても口にせずにはいられなかった。


「なあSD」


「なに?」


「いつも、ありがとう」


「へへ……なあに、いいってことよ」


 言いながら、彼女は満面の笑みを浮かべて見せた。

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ワンナイト・オブ・ザック&ノーラン 純丘騎津平 @T_T_pick

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