+グリーンローズ 19
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その後ふたりは足取りも軽く車に戻ると、ロスへの旅路を再開させた。
車内の様子は終始和やかだった。変に黙り込むことも、また過剰に喋ることもない。彼らはそれぞれに自然体で道行きを楽しんだ。
道中でもっとも多く語られたのは、ノーランとミスター・エバンスとに関する話題だった。両者にはどことなく似た部分があるのだ。
むろん方や生来のファイター、方や真面目が取り柄の子守り役である。まったく異なる面もなくはない。
しかしながら、口下手なところや誠実な気質、くわえて呑気だが働き者でもあるところなど、共通点は意外に多い。彼らは本質的に近しいのだ。
「でもシェリーさん、それは彼らがアンドロイドやロボットだからってわけではありませんよ」
「そう、ふたりはきっと、それらしくないところが似ているんです。つまりどちらもアンドロイドにしては少し――」
そこでザックたちは少し目線を交わしたのち、声を合わせて笑った。
「変わり者だっていうところが!」
そうして話に花を咲かせるうち、ザックらを乗せたSUVは無事に目的地まで到着した。例のレンタルガレージだ。ここまで来ればこのくたびれたシートともお別れだ。あと二時間もしないうちに業者が回収に来るだろう。
こののちローズがすべきことはといえば、今の身分を捨てまた新たなる姿に生まれ変わることと、それから行方をくらませることのみである。
ところが、彼女はまだ迷いを捨てきれずにいるようだった。
「やはり自首するべきでしょうか?」
「ううん……まあ、そうしなければあなたご自身が納得できない、とそうおっしゃるのなら私は止めません。犯した罪を償うことは社会的に正しいおこないです。ですが、あくまでも私個人の意見としては、必ずしも自首しなければならない、ということはないと思いますよ」
「本当ですか?」
「ええ。だって、あなたはもう長きにわたって苦しんできたはずでしょう? あなたのこれまでの境遇は、言わばいわれのない罰を受けたも同然のものでした。そのあなたに、これ以上まだ苦しめと言うのは非情です。私にはとてもできません」
「お言葉はありがたいのですが本当によろしいのですか? マクブライドさんだって私立とはいえれっきとした捜査官なのに。犯人の秘匿だとか逃亡ほう助だとかは感心しないのでは?」
「今さらじゃないですかそれは。それに、私はかまわないと思いますよ、今回の件に関しては……まあ、そんなふうだから公立の捜査官をクビになったのかもしれませんがね」
そのやり取りから少し経ったのち、彼女は装いも新たにガレージの前に現れた。スニーカーにジーンズに明るいオレンジのスポーツジャケット。決め手はドジャースのロゴ入りキャップ。それまでとは打って変わってスポーティな出で立ちだ。
別れ際が湿っぽくならないかとザックは心配していたが、幸いにして杞憂に終わった。「ではこれで」「お元気で」「いつかどこかで」とそれぞれ言い合って、そのまま即座に解散。実にあっさりとしたものである。
ザックは相手の背中を見送った。一度くらいは振り返るかと期待したが彼女はそうはしなかった。名残り惜し気に振り向くどころかその素振りさえ見せずに、彼女は颯爽と夜明け前の街に消えていった。
その後ろ姿が完全に見えなくなると、ザックはようやくその場を離れる気分になった。(俺のほうがよっぽど女々しいな)と彼は考えるでもなく考えた。
ここから先、ザックにも明確な目的地というものはなかった。大雑把にどこかの休憩所というだけだ。監視カメラの画角にさえ入っていなければあとはどうでもいい。どのみち徒歩ではそう遠くまで行けないのだ。
そういう調子であてもなく片道一車線の道を南下するうちに、やがて前方に大通りとの合流地点が見えてきた。うまくしたことにその合流地点すぐの歩道上に古いバス停があった。といってもそこにあるのは小さな標識の付いた柱が一本と、野ざらしのベンチが二脚のみだ。
(まあ贅沢は言うまいよ)
と口の中でつぶやきつつ彼はベンチに腰を下ろした。どうせ仮眠をとるだけだ。寝心地のいいベッドは必須ではない。
両足を前に投げ出し、きしむ背もたれに体重を預ける。そうした格好で瞼を閉じるや、彼はものの五分もしないうちに寝息を立てはじめた。
十二
数時間後、ザックは親切なバスの運転手に起こされた。わざわざ降車して声をかけてくれるとは実に人情のある話だ。
それからのち、ザックはすぐその足で最寄りの市警分署へと向かった。ローズマリー・シェリー氏を狙った誘拐事件について、それらしい供述をするためだ。辻褄を合わせるというか、ともあれ彼女の警護を担っていた以上知らぬ顔はできない。「自分も被害者の一人なのだ」と先手を打っておくのが得策である。
それから三日間ほどは気の抜けない日々が続いた。誘拐は最初の四八時間が勝負だ。その期間を過ぎると人質を救出できる可能性が極めて低くなってしまう。
市街地での銃撃戦をともなった犯行、それも被害者が地元の有名歌手となればこの件に市民の関心が集まるのは必至だ。事の性質上、報道規制は敷かれたがしかし、インターネットが普及し飽和したこの時代、人々の口を塞ぐのにも限界がある。
ゆえに、市警にしろFBIにしろ当事件の担当となった捜査官たちは「どうにか恥をかくまい」と、各々血眼になって捜査に取り組んでいた。
そうして鼻息を荒くする捜査員らを相手にのらりくらりと真相をはぐらかすのは、ザックにとっても骨の折れる仕事だった。機転と人脈と幸運でどうにか乗り越えたというのが本音だ。
はじめこそ状況は厳しかったが、捜査開始から二日も経つと様子が変わってきた。捜査員たちのあいだに動揺が広がりはじめたのだ。
それもそのはず、そもそも被害者たるローズマリー嬢の素性からしておかしいのである。名前も経歴もまったくの偽物。人相も指紋も公的機関のデータベースには一致する情報がなく、ラウンジバーに勤める以前は何をしていたのかも定かでない。
これでは家族に連絡を取ることもできない。つまり、誘拐犯からの要求の有無を把握することさえままならないのだ。
そうした事情も影響してか、三日、四日と日にちが過ぎても捜査は一向に進展せず、やがて一週間も経つと完全に暗礁に乗り上げてしまった。
その後も報道規制は継続されたが、情報の流出を防ぐことは叶わなかった。「素性不明の歌姫が銃撃戦の末に拉致された」といういかにも話題性に富んだこの事件は、すぐに人々の口に上るようになった。
ところが本件の目新しさ、新鮮さもせいぜいひと月が限度だった。薄情なようだが生憎ここはロサンゼルスだ。この手の派手で悲劇的な出来事はそれこそ毎週のように起きている。
そういうわけで事件発生から二か月も経ったころには、捜査員らにも市民の側にも本気でこの一件を追おうという気概は見られなくなっていた。
一部のゴシップ好きを除き、ほかにこの件に強い関心を寄せていたのは次の人物たちだ。すなわち例のラウンジバーの従業員一同と、本件の真の被害者であるドレイク・モローと、彼の血縁者に当たる州議会議員殿である。
その彼らのうち、ザックとローズにとって特に危険だったのは言わずもがなモローと議員だ。この二者は実際、ローズの逃亡生活を早期に破綻させうる存在だった。
だが現実はそうはならなかった。モローたちはあの晩以降、事件と関わり合いになることをかたくなに避けていたのだ。
ザックが想像するところでは理由はこうだ。
早い話、議員殿はリターンとリスクを考えたのだろう。リターンは地元有権者に対して、私たちは犯罪や暴力に屈しない強い存在だとアピールできること。一方リスクは、身内の過去の素行不良について今さらあれやこれやと要らぬ詮索が入りかねないことだ。
察するに議員はリスクを重視したのだ。もしかするとドレイクがだんまりを決め込んでいるのも、また彼らに警察の捜査が及ばないのも、そのあたりの事情が絡んでいるのかもしれない。
加えて言えば、事件当夜現場で派手に暴れていたザックとノーランとモローの付き人連中とが、いずれも大した罪に問われなかったことも、前述の事情と無関係だとは考えにくかった。
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