+グリーンローズ 18
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ザックは前方にショッピングセンターを認めると、その駐車場に車両を侵入させた。
自家用車なら百五十台は収容できるだろう広い駐車スペースを中心に、背の低い店舗が長屋状に立ち並ぶ。ファストフード店やスーパーマーケット、エステティックサロン、はたまた武道教室までバラエティ豊かな顔ぶれだ。通りに面した看板を見るに〈クレアモント・ハイツ・ショッピング・センター〉というのがこの一角の名称であるらしい。
時間が時間だけに営業している店は一軒もなかった。ただ、道路から見て奥側にあるスーパーの軒先には、小さなベンチと、弱々しい光を発する自動販売機の姿とが確認できた。とにかく座る場所と飲み物くらいはあるということだ。
一角は周囲を住宅街に囲まれている。平屋か高くとも二階建ての一軒家が主という質素だが品のいい町だ。一角は北側を四車線の大通りに、南側をフリーウェイにそれぞれ接しているため夜中でも車両の往来はあったが、それを除けばほかに人の気配はなかった。
ふたりは肩を並べてベンチに腰かけた。手には思いおもいの飲料のボトルが握られている。ザックはミネラルウォーター、ローズは糖類たっぷりの炭酸飲料。
「甘いものがお好きなんですね」と訊くと「疲れている時はこれが一番の薬ですもの」と答えが返ってきた。
実際、ふたりとも喉がからからに乾いていた。それもそのはずあのラウンジバーで行動を起こして以降、落ち着いて給水する暇もなかったのだ。
そうしてひとまず喉を潤したあと、ローズはぽつりと言った。
「いい景色ですね」
眼前に見えるのはだだっ広いうえにほぼからの状態の駐車場、要するに何の変哲もないアスファルトの地面だ。
どういうことかと彼女の横顔を見やった時ザックは気づいた。彼女が見つめているのはもっと違う景色だ、と。
ローズは空を見上げていた。スーパーの日除けの向こうに広がった、暗く艶めく大空を。
「この辺りは背の高い建物がないし、電線も張り巡らされていないでしょう? だからほら、こんなに夜空が大きい…………私も、昔はよくこういう景色を見ていたんです。故郷の町では」
「そういうことでしたか……なるほどこれは見応えがありますね。なんというか……海の上にいるような感じがします。四方を水平線に囲まれた洋上の只中に」
街なかゆえに満点の星空とはいかないが、ぽつぽつと輝く星明かりを見上げるだけでも思わず圧倒されそうになる。「気を抜くとそのまま吸い込まれてしまうのでは」と、そういう危惧すら覚えさせられる光景だ。
(感性というやつだろうな……)
ローズに示されなければ気づかないままでいただろう。ザックの目はこうした一瞬一瞬の煌めきを捉えるようには出来ていない。
感慨に浸る彼の耳に、またもローズの声が届く。
「マクブライドさん、あらたまってお伝えしたいことがあります」
「何でしょうか?」
「さきほど車内でも申しあげましたが、今一度ここでお話しさせてください――」
そこで彼女は居住まいを正すと、これ以上なく真剣な眼差しをした。
「本当に申しわけありませんでした。あなたとノーランさんに嘘をつき続けてきたこと。あなた方を危険な目に遭わせたこと。あなたを重大な犯罪の共犯にしてしまったこと。謝って赦されることではありませんが、せめてあなたには直接お詫びさせてください――ザカリー・マクブライドさん、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「いえ、そうお気になさらないでください。もう過ぎたことです。それに、まんまと騙されたのは事実ですが、私はあなたに共犯にされたとは思っていませんよ。私は自ら進んであなたの力になろうと決めたんです。私の存在をあなたの復讐に役立ててもらうのだ、とね」
「でも、どうして?」
「依頼人の真なる利益に寄与すること――それが探偵の職務だからです。加えて言うなら、あなたはとても熱心でしたからね。自分自身の本来の人生を取り戻すべく奔走する。そんなあなたの姿を見るうちに自然と手を貸したくなったのです」
「本来の人生を、取り戻す……」
「そうです。報復は基本的に無価値なものですが、例外もあります。今夜の一件はあなたの生涯において必須の出来事でした。かつて自らの名を捨てた一人の女性が、本当の自分を再び見いだすために……その一助になれたのなら何を後悔することがありますか。むしろ、私としてはこっちが余計な手出しをしたのでは、と不安に思っているくらいです」
「そんな、余計だなんて滅相もありません。こんなによくしてくださっているのに」
「ですがあの時はどうでしょう? あの倉庫室であなたが拳銃を手にした時、私はあなたを止めました。その判断の正誤はさておき、やはりあれは出過ぎた真似だったかと思います。あれだけの重い決断に、一般論で口出しするのは好ましくありません」
「そのことならご心配無用ですわ。だって、私はあの瞬間にはもう心に決めていたんですもの。いくら憎い相手でも命まで奪うことはない、この男は生きたまま解放してしかるべきだと」
「そうだったのですか?」
「もちろんです。だって……だって、あなたがいてくださったから」
ローズはいつになく熱っぽい瞳をして言った。
「おっしゃってくださいましたよね。モローが壊したのはただの機械じゃない。お互いを思い合う者同士が築きあげた、深い愛情のつながりなんだって……あのとき私、やっと現れてくれたんだと思いました。哀れみや同情だけではなく、本心からこの喪失感を理解してくれる人が……そういうあなたに出会えたこと。そういうあなたがあの時あの場所にいてくれたこと。そのことが私はうれしくて、うれしくて…………でも、そうですね、ごめんなさい。私はまた勝手なことばかり言って……」
「とんでもありませんよ、シェリーさん」
「……あの……贅沢を言って申しわけないのですが、最後にもう一つだけお願いさせてください。たった一度でかまいません。どうか私を『アマンダ』と名前で呼んではいただけませんか?」
伏し目がちに言う彼女に、ザックは答えた。
「分かりました。ではその代わり私からもお願いします。あなたさえよろしければ、どうか私のことも『ザック』とお呼びください。いいですね?――ミス・アマンダ」
「ええ喜んで……ザック」
それからふたりはしばし視線を交わし合うと、やがてどちらからともなく唇を重ね合わせた。
瞬間、脳裏にノーランとSDの姿が浮かび、ザックは後ろめたさを禁じ得なかった。しかしそれも今だけは気にすることはない。ここは真夜中の街角で、目撃者は一人もいないのだ。
それに、ザックとアマンダとはお互いすでに分かっていた。この口づけは彼らの愛を示すものではなく、やがて訪れるだろう別れに対するせめてものはなむけなのだということを。
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