+グリーンローズ 17
「もう充分だ」
彼女は今一度足元の工具箱に手を伸ばした。その中に収めてあった厳つい拳銃を取り出すために。
その動作を見るやザックは素早く彼女に近寄り、本人にのみ聞こえるよう耳打ちした。
「やめようシェリーさん、こいつにそんな価値はないよ」
「ええ、存じています。大丈夫」
彼女は迷いのない足取りでモローの側面に回ると、怯える彼のこめかみに無言で銃口を押し付けた。
「やめろ、やめてくれ、俺は正直に話したじゃないか!」
泡を食って叫ぶモローを尻目にローズは冷たい声で言った。
「死にたくなければ動くな。これからちょっとした作業をおこなうが、その間にお前が少しでも暴れるようであれば我々はためらうことなく引き金を引く。いいか、もう一度だけ言ってやる。死にたくなければ動くな。口もきくな」
とたん、モローは石のように全身を硬直させた。この男もやはり命は惜しいのだ。
続いてローズは〝アームガード〟を自分のそばに呼び寄せると、拳銃を手渡わたしながら「必要な時は迷わず撃て」と言った。
次に彼女が手にしたのは注射器だった。モローをここに連れてきた時と同様、麻酔薬で眠らせるつもりなのだ。彼女の手際は依然あざやかで投薬は驚くほどスムーズに完了された。
やがて作業を終えたローズは最後にこう告げた。
「いいかドレイク、これは警告だ。今夜のことは誰にも口外するな。お前はあのローズマリーなる歌手の誘拐に巻き込まれ、移動する最中に道端に放り出された。いいな?」
薬が効いてきたのかモローはすぐに表情をうつろにしはじめたが、ローズは構わず言葉を続けた。
「万が一お前が我々について余計な詮索をするようなら、我々は再びお前を捕らえる。捕らえて、今度こそ処刑する。現に作戦は成功しているのだ。我々はもう一度成功させてみせるぞ。お前が自らの死を望むというならな」
彼女が言い終えた直後、モローは完全に意識を失った。
そうした彼の変調を間違いなく確認してから、ザックは訊ねた。
「それで、これからどうするんですか?」
「ひとまずここを片づけたあとモローを車に戻します。彼をこれ以上連れまわすのはリスクもあるでしょうが、だからといって置き去りにはできません。後々面倒なことになるのは目に見えていますもの」
「分かりました。では早速、取りかかりますか?」
「ええ、やりましょう」
その短いやり取りを契機にふたりは慌ただしく移動の準備に取りかかった。現状、長くひと所に留まるのは望ましくない。
準備を進めるあいだ、ザックたちはほとんど言葉を交わさなかった。無駄口を叩く暇がなかったのもあるが、ザックとしては今のローズとどういう会話をすべきか、その内容を思いつかないというのもあった。
(どうあれ今は作業に集中だ)
ザックは埃っぽい空気を肺一杯に吸い込むと、改めて腹を据えた。
十一
モローの身柄はアップランドという町にある、〈マッカーシー・パーク〉なる公園の近くで解放することにした。サンバーナーディーノとロサンゼルスとのおおよそ中間に当たる地点だ。街なかゆえに誰かに目撃される恐れもあったが、あまりへんぴな場所に捨てて死なれでもしたら事である。
幸いにして時刻は零時を回っている。周囲に人通りはない。ザックたちは今一度モローを車椅子に乗せると、そのまま何食わぬ顔で公園内に侵入し、適当なベンチに彼を座りなおさせた。むろんこの間もモローは気を失ったままだった。
「人に見られたらなんて言い訳をしましょうか?」
ローズは白い歯を見せつつ、茶目っ気たっぷりに言った。
女が一人に男が二人。女は見栄えのするドレスこそ身に着けているもののメイクやヘアスタイルはぐずぐずに崩れてしまっている。男らの一方は弾痕が開いたジャケットを着ており、またもう一方は顔と腕に暴行の跡らしき傷を負っているうえ、あろうことか意識を失った状態で車椅子に固定されている。
ザックは少し思考を巡らせたのち、観念してこう答えた。
「かくかくしかじかありまして、と言うしかないでしょうね。あるいは、いったん『話せば長い話ですが』と切り出しておいて、時間を稼いでいるうちに何か妙案を思いつくか」
「妙案、何かありますか?」
「いいえ。お手上げです」
ふたりは声を殺して笑いあったあと、急ぎ足で車に戻った。
これで大きな〝荷物〟が片付いた。あとは防護服とガスマスクと、工具箱、注射器、麻酔薬、車椅子本体、および出どころの怪しいSUV車などをどうするかだ。
「その点も抜かりはありませんわ」
ローズが言うには変装道具と工具箱はそれぞれ分けてごみ袋に入れ、道中に点在する集積所に捨てる。一方車両と車椅子は借り物だそうで、これからロス市内のしかるべき場所まで届けるとのことだった。
そういうわけで次なる目的地はロス東部の郊外。さびれた地域にあるレンタルガレージだ。そこに車両を置いておけば明朝には業者が回収に来る。便利屋というか道具屋というか、ともあれ非合法的かつプロフェッショナルな業者が。
ついでに言うとガレージには逃亡用の道具も保管してあった。身分証だとか衣服だとかカツラだとかの小道具類だ。つまり、「そこに到着した瞬間ローズマリー・シェリー氏は忽然とこの世から姿を消す」という算段である。
行きと同様、帰りもザックが運転をすることになった。特に理由があるわけではないが、話の流れ上そうなったのだ。
最前とよく似た状況だがそっくり同じではなかった。いくらか荷物が片付いたおかげで車内が格段に広く感じられるし、目立たないようにとフリーウェイを避けているために進行速度も緩やかだ。くわえて、今度は口を開くたびにバックミラーを覗く必要もない。なにせ対話の相手は助手席に座っているのだ。
何を話すべきかはいまだにはっきりしない。何を言っても寒々しく聞こえる気がしていた。されど時間は有限だ。手遅れになる前にとにかくこれだけは伝えようと、ザックは意を決して口を開いた。
「シェリーさん、こんなことを言ってあなたがどうお感じになるか分かりませんが、私は今……正直、ほっとしています。あなたが人殺しにならずに済んで」
対するローズは苦笑いを浮かべて言った。
「どうでしょう……私はただ意気地がないだけなのかもしれません。もう少しで彼の――ミスター・エバンスの仇を討てたはずなのに」
「ここまでやって『意気地がない』ということはありませんよ。それに、思い知らせてやることはできたでしょう。モローからすれば女性を助けてヒーローぶるつもりが、逆に自分が捕まって一方的に痛めつけられる羽目になったんですから。奴の性格を考えればこれ以上の挫折と屈辱はありません」
「そう……確かにそうですね。だけど――」
ローズはふいに言葉を途切れさせた。
ザックは横目で彼女の表情をあらためた。彼女は視線こそ真っ直ぐ前に向けているものの、その面持ちは晴れやかとは言い難い。眉は力なく下がり口元は固く結ばれている。そこには、この一週間のあいだ彼女が一度も見せなかった葛藤が色濃く表れていた。
重い沈黙が車内に満ちる。
やがてその静寂を破ったのは、意外にもローズのほうだった。
「マクブライドさん」
「はい」
「良ければ少し風に当たりませんか? その……車を、降りて」
思わぬ提案にザックはいささか困惑したが、しかし申し出を断りはしなかった。夜明けまでまだ時間はある。どこかの無人カフェスタンドで深夜の一杯を楽しむにも十分な時間が。
監視カメラのない店を探すのには苦労した。むしろ早々に諦めた。適切なセキュリティシステムのない深夜営業の無人販売所など、そうどこにでもあるものではない。この二〇七二年のカリフォルニアにもそれこそ数えるほどしかないだろう。
自然、上質な一杯は諦めざるを得ない。しかしそれはどうでもいいことだ。この時のザックたちにとって重要だったのは、これからどこで過ごすかではなく、お互いに何を伝え合うのかということなのだ。
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