+グリーンローズ 14
九
「なるほど、そういう事情があったのですか……」
ザックは暗黒の地平線を見つめながら小さくこぼした。フロントガラスの向こうには未だ果てなきアスファルトの荒野が広がっている。
とにかく大方のことは分かった。自分がどういう類の事件にかかわっているのか、ようやくザックにも事情が呑み込めた。
されどこれでは不十分。彼の疑問はまだ半分しか解決されていない。次に知るべきは、この事件は今現在どういう段階にあるのか、だ。
「あなたがモロー氏を拉致した動機は分かりました。それで、この計画は今のところどこまで予定どおりに進んでいるんですか?」
「そうですね……九割は順調だと言えるでしょう。現に『この人』はここにいます。私に生き死にを預けた状態で」
「では、上手くいっていない残りの一割は?」
「それはもちろんあなたです、マクブライドさん。本当はここまで加担させてしまうつもりはなかったんですよ、元々の予定では……というのも――」
×
その後に彼女が語ったことをまとめると以下のようになる。
時系列に沿って言えば、ローズが最初に手を付けたのは「ローズになること」だった。早い話モローに接近する手段を手にすることだ。
この点は彼女の才能が大いに役立つこととなった。ドレイク・モローが長年通うラウンジに従業員として潜入したのだ。それも給仕や裏方ではなく店内でもっとも煌びやかに輝くポジション、すなわちディナータイムショーの主役として。なにせ派手好きのモローの気を引くのだ。それくらいの肩書きはないと話にならない。
決して簡単ではなかったが、ローズの生来の才気に、たぎる情熱とどす黒い執念とが加われば不可能なことは何もない。実際、彼女はこの一年間立派に主役を務め上げてきた。八年間にわたる絶え間ない努力の賜物だ。
次に、標的を拘束する具体的な方法だが、これについては一つ大きな課題があった。絶えずモローに同行する例の運転手兼ボディガード、ランス氏の存在だ。
浮ついたところのある雇い主とは違ってランスは隙のない男だ。彼がいる限り目的を果たすことはできない。
当然ながらローズにもその手の〝協力者〟を募る考えがないわけではなかったが、しかし彼女としてはそういうやり方は避けたかった。復讐は自らの手で成し遂げてこそ意味があるのだ。
とにかくモローを孤立させねばならない。そのためには何らかの騒ぎを起こす必要がある。その騒ぎのさなかに迅速にモローと合流し、また二人きりで現場を離れるには、あらかじめそういう手筈を打ち合わせておくのが確実だ。
そこで必要となるのが第三者、つまりザックの存在だった。より正確には「ローズに付きまとう不審者」という、彼女とモローにとっての共通の敵たる存在だ。
ザックがこの一週間でおこなっていた業務――尾行なり監視なり何なり――を踏まえれば、この探偵をストーカーに仕立て上げるのは難しいことではない。
要するに彼はリアリティを出すために利用されたのだ。ついでに言うなら、彼が自ら調査に乗り出すきっかけとなった例のマネキンの頭は、当然ローズ自身の手によるものだった。彼女曰く『あれはちょっとした罪悪感があって楽しかった』とのことだ。
そこまでお膳立てすればあとは簡単。元来自信家のモローに「何かあったときは自分を守って逃げてくれ」と約束を取り付ければそれでいい。モローは躍起になって彼女を助けようとするだろう。自分がヒーローになるために、自分がいかに有能かを周囲に知らしめるためにだ。
やがて訪れた作戦当日、ローズは最後の仕掛けに取りかかった。ラウンジ中を混乱の渦に陥れた、あの発砲騒ぎの引き金だ。
仕掛けの構造は単純で、音と光の出る火薬のおもちゃと、それよりももう少し威力の強い火薬と、あとは時限装置のみでそれは構成されていた。
そのような不審物を客席の近くなりステージ真上のスポットライトなりに人知れず設置するのは困難なようにも思えるが、店内の賑わいを利用すれば存外にたやすいことだった。ショーの開演直前に客席で挨拶回りをしたり、ステージ周りの機材をチェックしたりするのも主演歌手の立派な務めなのだ。
以上で下準備はすべて終了。あと幕開けを待つのみだ。
なにしろモローは探偵を、また探偵はモローをという具合に、両者はそれぞれの存在を「ストーカー行為の張本人では」と疑っている。その状態でトラブルが生じれば両陣営の衝突は必至だ。
そうして探偵とランス氏とがお互いを足止めしあっている隙に、ローズとモローは二人で現場から避難する。その流れでモローの車に乗り込んだら、今度はスタンガンを使って彼をひるませ、即効性の麻酔薬を投与しこん睡させる。
その後はクーペで所定の地点まで移動。そこに隠してある盗難車に乗り換えてロス市外に逃走する、という算段だ。
先ほどローズが言ったように、以上の計画は九割がた順調に実行された。麻酔薬と盗難車の入手にはかなり手こずらされたが、世の中あきらめなければ案外どうにかなるものだ。
とはいえ万事が順調とはいかなかった。
まず想定外だったのはモローがディナータイムショーの開演ぎりぎりまで姿を現わさなかったこと。それから、彼の付き人が五名まで増員されていたことだ。
五対二では人数差がありすぎる。仮に探偵がすぐさま付き人連中に制圧でもされたならば、現場を離れる口実が失われてしまう。言わずもがな計画はご破算だ。のみならず、悲願である復讐の機会を永久に失うことにもなりかねなかった。
さらにいえばアクシデントはほかにもあった。火薬の細工による混乱が本格化し、ローズとモローが実際に逃げる段になっても、モローの付き人の一人が一向に離れる気配を見せなかったのだ。
この一人というのは誰あろうランス氏だ。見たところ、今夜はこのランスが警護の指揮を執っているらしかった。彼はさきの乱闘でステージに上がった探偵らの様子から「現場には四人も残しておけば充分だ」と判断したのだ。
この判断はローズにとって不都合だった。ランスがいてはいざという時に強硬な手段に出ることができない。いくらスタンガンを隠し持っているからといって、二対一ではよほど手際よくやらないと返り討ちにあってしまう。
ところが、彼女のこの不安はまったくの杞憂に終わった。探偵とその相棒は数の不利をも覆してみせたのだ。そればかりか、ザックはランス氏の注意を引きつけることでモローを孤立させる一助にさえなった。
あとは探偵と番犬が共倒れしてくれれば言うことなしなのだが、やはり現実はそう甘くない。ザックの勢いはとどまることを知らず、ついには先行するローズたちに追いついてしまったのだ。
ある意味期待以上の活躍であるし、また直後のモローの行動も想像以上といえば想像以上だった。すなわち追跡者に対する四発もの発砲である。
さしものローズもこれには動転した。気づいた時にはコルセットからスタンガンを取り出していて、また気づいた時には、その威力を存分に発揮させていた。憎き仇を地に這いつくばらせるにも十分なほどの威力を、だ。
この日をどれほど待ちわびてきたか。どこまでも傲慢で軽薄なこのドレイク・モローに、こうして自ら制裁を加える日を――。
言葉では言い尽くせない感情があったのも確かだが、しかし感傷に浸る余裕はなかった。むしろローズはほとんど無意識に一連の動作を実行していた。スタンガンと注射器と麻酔薬。これまで幾度となく訓練してきた動きだ。
どうあれこの瞬間、計画は決定的に破綻した。捕らえた標的とともに人知れず姿を消すはずが、たった一名とはいえ目撃者を生むことになったのだ。それも、突然倒れた人間に有無を言わさず薬品を投与するという、非常に弁明が難しい瞬間を目撃されたのである。
この窮地を脱するには二つに一つしかない。目撃者――ザカリー・マクブライド氏をどうにかして懐柔するか、さもなくば速やかに口を封じてしまうかだ。
そして今現在。ローズは決断を先延ばしにしていた。
手段の面で困ることは絶対にない。彼女の手にはモローが所持していた拳銃に加えザックから取り上げたリボルバーもある。どちらを使っても事はすぐに片づくだろう。
成否や方法はもはや問題ではない。ここから先は覚悟の有無のみだ。
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