+グリーンローズ 15


    ×


 以上のようないきさつをひととおり語り終えたのちローズはしばし押し黙った。長い独白に疲れを覚えたか、秘密を打ち明けて気が楽になったのか、それとも自身が作り上げた状況を再認識して怖気づいてしまったのか。ザックが推察するところでは、ともあれ最後の一つはないだろうと思われた。


 さきから続くドライブの終着点についてはローズは口にしなかった。これだけ準備しておいて目的地を決めていないはずがない。そこまでザックを同行させるか否か、彼女は依然迷っているのだ。


(まずいな……)


 ザックがそう考えたのは自らのためではなかった。少なくともこの時はそうだ。


 ゆえに彼は切り出した。


「あなたがそれだけの年月を費やした計画に――」


 バックミラーに目をやる。ローズはうつむき加減にザックの言葉を聞いていた。


「今になって参加した私が口出しするのは気が引けますが、まあ私もあなたの企てのために人を撃つ羽目になったんです。というか撃たれそうにもなりましたしね。ですから私にもこれくらい言う権利はあるはずです。つまり、中途半端はすべきではありませんよ。何をどうするにせよ『やる』と決めたからにやるんです」


「それは承知しています。だけど――」


「精一杯、やるんです。でなければ悔いが残ります。思うに、この一件がどう決着するにせよ『ローズマリー・シェリー氏』がこの世を去ることになるのは間違いありません。万が一ここでモローを取り逃がすようなことにでもなれば、次のチャンスが巡ってくるのはいったいいつの事になるか……むしろ、次の機会など望むべくもないかもしれません」


 モローとてそこまで馬鹿ではない。仮にこの男が無事生還したならば、必ず警護を増強することだろう。


「そのことを念頭に置きましょうシェリーさん。二度目のチャンスはない。迷いが生じた時はそれを思い出すことです」


 ザックが言うと、ローズは青い顔をしたまま「分かりました」とだけ返事をした。


「それで、私はこれからどちらへ車を走らせればいいんですか?」


「ええ……このまま東へ進んでサンバーナーディーノ市街を目指してください。街の東部に入ったら今度は南下して、国有林に南西側から入る幹線道路を行きます…………では、片棒を担いでくださるんですね?」


「もちろんです。まあそうご遠慮なさらずに。私のほうは何も問題はありませんからね。最悪の場合は警察に釈明すればいいのです。拳銃でおどされて無理やり手伝わされたんだ、とね」


 そう言ってザックが微笑むと、ローズの表情にもようやく明るさが戻ってきた。だがその兆しも長くは続かず、彼女はまたすぐに顔を曇らせた。


「一つ、お訪ねしてもいいですか?」


「何でしょう?」


「あの……あなたが『お撃ち』になったそのお方は、その後……」


「ああ、ご安心ください。弾が命中したのは彼の肩です。我々の業界で言うかすり傷ですよ。現場には救急車も到着したでしょうから、心配はいらないはずです」


「ああよかった……いえ、だめですね、よかったなんて言ってしまったら」


「それはそう、よくはないですね。ただ……私としては少し安心しました。この件についてあなたが心を痛めていると分かってね」


 でなければ、ザックはとうに行動を起こしていたことだろう。足首のホルスターに隠した二二口径の拳銃を使えば、たやすく状況を収められる。そうした処置をおこなう必要がなかったのは彼にとっては幸運なことだった。


 ともあれひとまず運転に集中だ。ザックはハンドルを強く握りこむと、鈍い銀色のSUVを心地よい速度まで加速させた。


    十


 一行が目的地に到着したのは二二時を少し過ぎたころのことだった。ザックの体感ではかなり長時間移動したつもりだったのだが、実際にはラウンジを発ってからまだ二時間ほどしか経過していない。緊張と興奮で時間の感覚が狂っているのだ。


 たどり着いたのは〈ミルクリーク水力発電所〉なる施設だった。


「この発電所内であれば何をするにも邪魔は入りませんわ」


「現役のインフラ施設にそう簡単に侵入できるんですか?」


「じつは、現在も稼働しているのは最新の第四発電所だけなんです。そこは確かにそれなりの警備体制が敷かれているのですが、同じ敷地内にある古い建物、つまり第二、第三発電所には警備員が配置されていないんですよ。もちろん警備用のアンドロイドも」


「まともに管理されていないんですね」


「経費削減の一環でしょう。まあ監視カメラには気を付けなければいけませんが」


 ということは当然そのカメラの位置もくまなく調べ上げてあるのだろう。まったく恐ろしい執念だ。


 ほどなくして、モロー氏の身柄は第三発電所内の古い倉庫室に移された。移送は折り畳み式の車椅子を用いておこなわれた。当たり前といえば当たり前だが、作業中に氏が目を覚ます気配は一向に見られなかった。


 倉庫室の広さは高さが五メートル、幅が一〇メートル、奥行きが一五メートル前後だ。壁はコンクリートの打ちっぱなし。窓はない。物がないせいかひどく殺風景で物音がよく響く。長く放置されているようだが電気は通っているらしく、天井では規則正しく並んだ蛍光灯がまばらに点灯していた。


(誰かを痛めつけるには格好のロケーションだ)


 他人事のように考えながらザックは黙々と準備を進めた。むろんローズと共同で。この時までには彼女も衣服を着替えていた。ここから先は汚れ仕事だ。さすがに舞台用のドレスのままではいられない。


 彼女が用意していたのは密閉型の黄色い防護服だった。外見から体形を悟られないようにか、厚手の生地かつサイズも大きい。ついでにボイスチェンジャーも完備してある。


 見上げた徹底ぶりだが、さすがの彼女も二着目までは用意していなかった。


 というわけで、ザックはそれまでどおりのビジネススーツ――胴部に真新しい弾痕が見えるビジネススーツ――姿に、とにかく顔だけは隠そうと細工をほどこすことにした。すなわち付け髭とサングラスである。


「そんな物いつも持ち歩いているんですか?」


 と訊ねるローズにザックは答える。


「あると便利ですよ。あなたも、お一ついかがです?」


「ああ、いえ、私は……似合わないと思うので……」 


 それからしばらくして準備はひととおり整えられた。


 密室、よし。変装、よし。道具、よし。被監禁者に対する身体の自由の拘束、よし。チェック項目は一点を除きおおむね完了だ。


 その残された一点が何かというと、つまり実行犯にどこまでやる覚悟があるのか、要するにローズの意思の問題だ。


「シェリーさん、最後に一つ聞かせてください」


 この時、ザックはモロー氏のすぐ背後に立っていた。麻袋を頭から被せられ、ダクトテープで車椅子に固定された氏の真後ろで、ローズと横並びになった構図である。仮にこの状態を正面から見たならば、あるいは家族の記念写真を想起させられたかもしれない。


「結局のところ、あなたはモローをどうするつもりなのですか」


 問われたローズはふうと短く息を吐き出すと、それから少し沈黙した。次に彼女が口を開いたのはおよそ十秒後のことだった。


「お笑いになるかもしれませんが……じつはまだはっきりとは決めていないんです。可笑しいでしょう? ここまでいろいろと手を回しておきながら、肝心な部分が抜けたままだなんて」


「いいえ、笑いやしませんよ」


 彼女は八年間迷い続けてきた。それだけのあいだ朝となく夜となく考え抜いて、それでも答えが出なかったのだ。誰が笑うことなどできようか。


 どうあれ以降の行動は大部分を即興でやることになる。これからローズたちが目にするもの、聞くものの内容に応じて三人の運命が決まるのだ。


 ならば今すべきことは一つしかない。かの傲慢なる罪人、ドレイク・モローが目を覚ますその時まで、静寂に身を委ねるばかりである。

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