+グリーンローズ 13




 それからどのくらい呆然としていたのか、アマンダ本人にも確かなところは分からない。時間の感覚はとうに失われていた。五分は経過したようにも思われたが、実際には長くとも十秒ほどのことだったらしい。というのも彼女はこの時、彼女自身の後方から響いた悲鳴によって我に返ったのだ。


 悲鳴の主はアマンダの母親だった。エバンスが連絡していたのか、それとも外の騒ぎを聞きつけたのか、どうあれラーソン夫人は尋常でない慌てぶりで娘のそばに駆け寄った。夫人も事故を目撃したのだ。


 まもなく父親も現場に駆けつけた。彼は悲鳴こそあげていなかったものの内心の動揺は明らかで、その表情は月明かりの下でもはっきりと分かるほど蒼白になっていた。


 アマンダは急ぎ両親に事情を伝えようとした。だが上手くいかなかった。目に映る物のすべてが歪んで見える。何かを言おうとしてもわなわなと唇が震えるばかりで、一向に言葉が出てこない。


 結局、彼女はこの夜の災いについて何一つ伝えられないまま、その場で意識を失ってしまった。


    ×


 そののちアマンダは無事に体調を取り戻していった。


 精神面はさておき、彼女があの一件で負った身体的損傷は重篤なものではなかった。突き飛ばされた際に軽く頭を打ったていどだ。


 だがそれでも、目に見えぬ部分に負った深い傷のために数日のあいだは食事もまともに摂ることができなかった。


 その数日間が彼女にとって耐えがたいものだったのは言うまでもない。しかしながら彼女などはまだ恵まれたほうだった。長い時間はかかったものの、やがて生きる気力を取り戻すことができたのだから。


 エバンスにはその機会すら与えられなかった。彼の人工知能は物理的に完全に破壊され、二度とこの世の光を見ることはなかった。


 当然、ロボットゆえに肉体はそれこそどうとでもなる。失われた部位は新調すればいい話だ。


 ところが人格となるとそうはいかない。


 能力。経験の蓄積。気質。すなわち人格。以上の要素のうち、ある一個体の人工知能が備える能力と気質については、プログラムの組み方次第であるていど調整できるかもしれない。だが経験は、すなわち既に過ぎ去った時間の連なりは、一度失われれば二度と元には戻らない。


 エバンスがラーソン家に加わってからの三年あまり。彼とアマンダが過ごしたかけがえのない日々の記憶は、あの事故によって決定的に失われてしまった。車両との衝突に伴う、残酷なまでの衝撃によって。


 それも仕方がないことだろう。そもそも作りが古い初期型の労働用ロボットだ。それも、本来の目的たる労働すらままならなくなるほど劣化した個体である。あれほどの過酷な打撃に晒されればどこが破損しても不思議はない。


 ミスター・エバンスは死んだのだ。


 彼は自身が愛する者を救うため自らその身を投げ打った。その事実が何よりアマンダを苛んだ。




 のみならず彼女はまた別の事実にも苦しめられることになった。事故の調査が進むにつれ、その事実関係が明らかになってきたのだ。


 車両の所有者はドレイク・モロー。当時二十八歳の青年である。


 最大の疑問は、あの晩なぜモロー氏がラーソン農場にいたのかという点である。


 だが残念ながら真相は今もって明らかになっていない。有力な見方としては「町に近い峠で開かれていた走り屋集団の会合に向かう途中、道を誤ったのだ」とする説があったが、当のモローは「趣味のドライブで遠出をしていただけ」だと主張していた。


 どうあれ当夜の彼が素面であったとは考え難い。なにせあれだけの無謀運転だ。過度な飲酒による酩酊状態か、もしくは何らかの薬物の影響下にあったと考えるのが妥当だろう。しかしこちらも真相は闇の中。モローが地元警察に出頭したころには、精神面にも身体面にも異常は認められなくなっていた。


 ただ厳密には、この時アマンダを苦しめていたのはそれらの点のみではなかった。重要なのはそれらをつなぎ合わせた結果たどり着く場所、つまりモロー氏に下された処罰である。


 正しくはドレイク・モローには刑事罰は課されなかった。被害が物損のみだったこと、モローが自発的に警察に出頭したこと、彼とラーソン氏とのあいだで示談が成立したこと、くわえてモロー本人に深い反省が見られることなどから、起訴猶予処分となったのだ。


 当然その裏にはドレイクの身内である州議会議員の威光と、彼お抱えの弁護士が誇る優れた手腕とがあった。実際、アマンダの両親が示談に応じたのは民事訴訟に持ち込んでも勝ち目がないと分かっていたからだ。


 ドレイク・モローは正しく罪を償った。社会的にそう判断された。そのことが、少女の喪失感をより一層強めていた。


 たしかに畑の損害は補填されたし、そのうえ新しい労働用ロボットを買う費用も用意された。されどそれが何だというのだ。金銭の都合さえつければエバンスを殺めた罪が赦されるのか。


 さらに言えば、モローが見せた反省の色もアマンダにとっては疑わしいものだった。


 幸か不幸か彼女には仇敵の私生活を覗き見る手段があった。モローは自己顕示欲が強いたちだ。そしてこの現代には、彼のような人間の自尊心を満たす方法がそれこそ五万と存在しているのだ。


 モローのSNSアカウントを見つけるのに苦労はしなかった。彼は正真正銘の本名で登録していたし、自身を映した動画や写真を多く投稿していたからだ。


 そのアカウントを調べるうちアマンダはある投稿に行きついた。不起訴処分が決定したその日の夜に、モローが祝勝会を催していたと証明する記述だ。むろん彼自身の手によるものではない。さしものモローにもこの愚行を公にしないだけの頭はある。


 だが、やはり人の口に戸は立てられない。アルコールの入った陽気な他人の口ならば、なおさら塞ぐのは困難だ。


 とにかくモローがその手の知人たちと、現実でもSNS上でも頻繁にやり取りをしていたおかげで、アマンダは多くの情報を得ることができた。


 結果彼女は明白に理解した。このモローという男のなかには、少女のたった一人の親友を殺めたことへの罪の意識はみじんも存在していないのだ。


 ただ他人の農場に無断で侵入したことと、畑の一つを荒らしたこと。くわえて、そこに居合わせたスクラップ同然の作業機械を手違いで破壊したこと。


 彼が自覚する罪はただそれだけ。ほんのそれだけのことである。


 やがてアマンダ・ラーソンは決意した。


 いずれこの男に思い知らせてやる。たとえどれだけの時間がかかろうとも必ずやエバンスの復讐を成し遂げるのだ、と。


 以降、彼女にとってそれだけが生きる希望となった。表面的には悲劇を乗り越えたように見せながら、裏では連日モローの私生活を探り、観察した。趣味。嗜好。職業。生活のパターン。そこから想像される人物像。アマンダはあらゆる情報を可能な限りかき集め、自分自身の糧とした。




 十三歳になってからの八年間。決して短いとは言えないその期間を、ローズはそうして生きてきた。それらの月日はまぎれもなく、いつ終わるとも知れぬ長き苦闘の日々だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る