+グリーンローズ 5
そのせいか、いざ移動を開始するとなると途端に気が楽になる。少しでも油断をすると途切れかねない集中力が、自ずから高まる気がするのだ。
さらに言うと今回の場合では、ローズの勤務が無事終了したという事情もザックの安堵を後押ししていた。元より「今日のところは大丈夫だろう」という公算が大きくはあったが、それでもその見通しが現実になると内心ほっとするものだ。
とはいえ気になる点もないではなかった。簡潔に言うなら場違いな人間が一名、勤務中のローズの前に現れていたのだ。
ローズが務めるのは世界規模で展開する大型チェーン店の一店舗だ。食料品や雑貨など品ぞろえが豊富で、品質もそれなりだが、価格帯はあくまで控えめというブランドである。間違ってもどこぞのセレブがプライベートで立ち寄る店ではない。
がしかし、その男はそこに現れた。
ローズがレジに立ってから三時間が経ったころだった。
ザックが最初に気を引かれたのは、その男が駆るイギリス製の2ドア・スポーツクーペであった。はたから見るぶんには(すごいな)という感想しか抱けない代物。持ち主をうらやむのも馬鹿馬鹿しくなるほどの高級車だ。
その手の車が慣れた様子で庶民派ディスカウントストアの駐車場に入ってくる様は、ザックにとっては大いに違和感を覚えさせられる光景であった。
こうした違和感を無視するのは良くない。よってザックは「この時ばかりは」と愛車のシートから腰を上げ、その高級車の主をそれとなく観察することにした。
やがて車外に出てきたのは二人組の男だった。片やきっちりとした黒のスーツ姿。片やカジュアルなダブルジャケット。ネイビーカラーがいやに映える。
先にスーツ姿の男が運転席側から降り、もう一方の人物のために助手席のドアを開く。そういう彼らの行動から察するに、このダブルジャケットの人物がクーペの正式なオーナーで、スーツの男はその運転手なのだろう。
二人組は駐車場にやって来た時と同様、迷うことなくスーパーの正面入り口に向かった。
先を行くのはダブルジャケットの男だ。歳は四十手前だろうか、やや細身で背が高く、健康的に焼けた肌と豊かなブルネットヘアが印象的だ。根っからのスポーツマンというよりかは、週末に適度にテニスやゴルフを嗜むタイプか。
男の足取りは軽快だった。一度か二度この場所を訪れた感じではなく、ずいぶんと通いなれた調子である。
それから彼らは足早に店内を一回りすると、法外な値のついた五〇〇ミリリットルのミネラルウォーターを二本と、完全オーガニック栽培が売りのオレンジをいくつか買い物かごに放り込んだのち、そのままレジを目指して歩み進んだ。
そしてそこで大当たりだ。
昼下がりは客足が途絶えるのか、四つ並んだレジスターはどれもすいていた。どこを選んでも待たずに会計ができる状態だ。
にもかかわらず、二人組は横並びになったレジの前をわざわざ横断して、一番奥にあるカウンターに買い物かごを持って行った。すなわちローズマリー・シェリー氏が担当するカウンターに、だ。
男は客が少ないのをいいことに、支払いを済ませたあともたっぷりと五分間はローズと話し込んでいた。
その間も彼の運転手はただ黙々と主人の後方に控えたままだった。それにしても体格のいい人物だ。この運転手はただの付き添いというよりかは、むしろプロのガードマンと見たほうがしっくりくる。
絵に描いたような伊達男と彼に仕えるタフガイ。
意外なタイミングでの邂逅にはじめこそ胸騒ぎを覚えたザックであったが、しかしその男と言葉を交わすローズの表情を見るうちにだんだんと考えが変わってきた。というのもその五分少々の談話を、ほかならぬローズ自身が素直に楽しんでいたからだ。
どうやら両者は知らない間柄ではないらしい。この男の身元についてはローズに直接訊ねてみるのが早いかもしれない。そうする必要があるのなら、ではあるが。
ザックは自らの直感を信じる男だ。自身が少しでも怪しいと感じた物、事、人についてはあるていど調査しないと気が済まない質である。小心者と言うと言葉が過ぎるが、心配性の気があるのは本人も自覚するところだ。
というわけで彼は質問せずにはいられなかった。その日に見かけた例の伊達男についてローズに訊ねずにはいられなかったのだ。浅ましい好奇心に負けたのではない。これも自分の業務に対する責任感と、彼女の安全のためである。
とはいえローズの勤務中に話すのは現実的ではなかった。そういうわけで結局、ザックが実際に質問をしたのはその日の夜になってからだった。
ローズが仕事先から無事に帰宅し、あるていど落ち着いたあと。
ザックはお決まりの場所――ローズ宅の近くに停めた車の運転席上から、通信機を通して彼女に問いかけた。
彼女の答えはこうだった。
「あの方はいわゆる『お得意様』ですわ。普段からよくお店にいらっしゃって、お買い物をしたりおしゃべりをしたりと、まあそういう感じですね。社交的で明るい方です。お名前はドレイク・モローさんといって、中古車販売店の経営者だとお聞きしています。あとはそう……たしか、ご親戚のどなたかがカリフォルニアの州議会議員をなさっておられるとか」
「なるほど、ドレイク・モロー氏、ですね。すいません、その『お店』というのは、あのスーパーのことでよろしいんですか?」
「そうですけど、それだけではありませんわ。モローさんとは私の本業のほうのお店、つまりショーに出演させていただいてるラウンジでもよくお会いいたしますの。個人的に目をかけていただいていると言うと自惚れになりますけど、友人の一人としてお付き合いいただいているのは確かですわ」
「そうですか……あと、今日モローさんに同行されていた黒いスーツ姿の男性ですが、あの方は以前にも?」
「ええ、いつもご一緒にお見えになられます。モローさんの秘書の方だとお聞きしていますが、ごめんなさい、お名前は名字しか存じていなくて、そう……たしかランスさんとおっしゃるのではなかったかと」
「ファミリーネームがランス、と……分かりました、ありがとうございます」
なるほどモロー氏があの数十万ドルはするだろうイギリス製の高級車を手にした経緯には、彼の職業が深く関係しているらしい。
とはいえいくら羽振りが良く、また身内が州議会議員だからといってあのような強面な〝秘書〟を四六時中連れ歩くものだろうか?
いや、現実にそうなっているからには、そうなっているのだろう。一見、威圧感にあふれた外見のあのランス氏が、実際は事務や折衝の面で秀でた能力を有している可能性もなくはない。
(多分、俺は少し考えすぎているな……)
ローズとの通話を終えてのち、ザックは愛車のシートに深くもたれながらそう思った。
現在時刻は二〇時三〇分。眼前では監視用のモバイル・ディスプレイが車内に青白い光を投げかけている。
助手席に座ったノーランは最前から身じろぎ一つせず、ただじっとその画面を見つめていた。
この時点でもっとも確実にローズの問題を片づける方法は、ストーカー犯の正体を暴き、捕らえることだ。
しかし今すぐにそれを実現することはできない。犯人を割り出すための手がかりがまったく不足しているからだ。ザックとノーランが受け身の姿勢でいるのもそれゆえで、つまり相手方の次なる行動を万全の態勢で待ち受け、機に乗じて事件解決の糸口を掴まんとしているのだ。
ならばここでモローにこだわるのは悪手だろう。彼については何かのついでに調べるに留めておいて、当分は監視活動に集中するのが得策だ。犯人捜しに躍起になるがあまり、本来の仕事をおろそかにしてはそれこそ本末転倒である。
自分が果たすべき役割は捜査官ではなく番犬のそれだ。となると、ここはひとつ寡黙な相棒を見習うとしようじゃないか――。
ザックは愛車のへたったシート内で小さく身震いをすると、改めてディスプレイに視線を据えた。
夜はまだはじまったばかりだ。これから夜半の時間帯にかけて犯人が行動を起こす可能性は十分にある。
陽光が力を失うのに反比例し、電灯の黄色い明かりが勢力を増していく街の片隅で、探偵は静かに好機の訪れを待った。
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