+スクリュードライバー 3

 直後ザックの左あばらに暴漢の膝がめり込んだ。刺すような痛みが神経をショートさせる。肋骨にヒビが入ったか。目の中を光点が跳ね回り、呼吸さえままならなくなる。思わず悪態が口をついて出そうになるが、ザックはそれを飲み込んだ。誰かを罵ったところで事態は好転しそうになかった。


「俺の予想では――」


 と、またも男が口を開く。


「おおよそ十分かそこらだ。それくらいで警察が到着する。俺はその制限時間のうちに貴様から情報を引き出さなければならん。悪いがこの次は道具を使わせてもらう」


「……おお……分かった……分かったから……息ができるようになるまで待ってくれ」


「そうか、仕方があるまい」


 この分だと余計なたくらみは悪手だ。


 ゆえにザックは、今度こそ素直に相手の言葉に従った。


「……ふう、オーケイ……俺は私立探偵だ。名前はザカリー・マクブライド。この見た目からも明らかなとおり、俺は人畜無害なタクシー運転手ではまったくもってない」


「そう卑屈になるな。実際、その仮装はさほど悪くはない。特にその赤いベストだが、なんというか、そう……洒落てる」


「そいつはどうも」


 と皮肉な声でザックが言うのに対し、男はただ肩をすくめて見せただけだった。


「いやしかし探偵か……それは……それはどうも面倒だな」


「面倒?」


「ああ。お前たちみたいな人種は、判で押したようにそろって強情だからな。ショクギョウリンリ、だろう? 依頼人の秘密は何があっても喋らない」


「それが分かってるなら話が早い。あんたがさっき口にした質問だがな、『誰の差し金か』っていう部分にかんしては、悪いが俺も答えるわけにはいかない。食い扶持をなくすわけにはいかんからな」


「やはりそうなるか」


「それはまあ、そうなる。だいたいな、そもそもといえば――」


「では死んでもらうしかないな」


 男は冷徹にそれだけ告げると、次いでザックの足元に転がった物体に手を伸ばした。


 その物体とはすなわち、ザックが先ほど懐から取り出した一丁の拳銃にほかならなかった。携行性に優れた短銃身小型のリボルバーで口径は357マグナム。装弾数は五発。全体的にオーソドックスな作りで秀でた特徴はないものの、そのぶん堅牢で使い勝手がいい。


 必要な攻撃力を、必要な時に、必要な分だけ発揮してくれる。その拳銃はザックにとってきわめて心強い仕事仲間であった。


 そのことを知る由もない男はしかし、足下に転がっていた銃を拾い上げるなり開口一番こう言った。


「これはいい銃だ」


「おい、変な気を起こすな。『死んでもらうしかない』って、これはそんな深刻ぶる話じゃないはずだ。俺がしているのはただ――」


 とそこまで口にしたところでザックは一つの事実に思い至った。つまり、彼はこのとき彼自身を襲っていた暴行事件について何一つ正確な知識を有していないのだ。


「そもそも、あんたいったいどういうつもりなんだ? 素性もろくに知らん相手をいきなり殴り倒した上に、こっちの言い分も聞かずに始末しようっていうのか? ちょっとどうかしているぞ。俺はどういう理屈で撃ち殺されかけているんだ? しかも自分の銃で!」


 ザックはようやく声を荒げた。


 対する例の男は、〝標的〟から三メートルほど間を空けた位置で探偵を見据えていた。


「この期に及んでしらを切るか。見苦しい真似をするな。貴様のような探偵がそんな変装をして、挙句タクシー車まで用意しているんだぞ。これが謀略の証拠でなければ何だと言うんだ」


「いやまあ、たしかに今夜、仕事をしていたのは間違いないが……」


「ああ、そうだろうとも。貴様は今夜労働に励んだ。立派なプロ意識にのっとって、だ。それが理由だ。いわば、貴様の死因は仕事熱心だということだ。第一、貴様が素直に口を割ってくれれば俺はより適切な相手を地獄に送ってやれるはずなんだ。よりそうなるにふさわしい人間をな」


「誰も彼もが地獄に行くとは限らん」


「俺が仕留めた相手は別だ。『そうする』と決めているからな。老若男女、貴賤の別なく地獄行きだ」


「血も涙もないな」


「不公平はよくないからな……ともあれ――」


 男はそこで言葉を区切ると、手中の拳銃をザックに向けた。


「そろそろ時間切れだ、ミスター・マクブライド。じきに警察がやってくるだろう。これ以上おしゃべりに花を咲かせる時間はない。申し訳ないが、見せしめになってもらうぞ……最後に何か言い残すことは?」


 男の姿勢は見事なものだった。


 わずかに顎を引き、両脚は肩幅の広さに保つ。実射に際して銃身がぶれないよう、しっかりと両手で銃把を保持する。


 その引き締まった立ち姿からは冗談めかした雰囲気など微塵も見て取れなかった。


(こいつは本気だ。本気で、今から一人の人間を射殺しようとしているんだ)


 ザックにとっては不幸なことに、今この瞬間、この深夜のコンビニ駐車場には濃密な死の気配が漂っていた。


 撃ち損じは期待できない。スマートに一撃で終わらせるか。それとも大事をとって二発で仕留めるか。頭と心臓に一発ずつ。これならみっともない結果に終わることもない。


 さしものザックも覚悟を決めかかった。しかし実際にこの後に引き起こされた事態は、ザカリー・マクブライド氏の脳しょうが道端にぶちまけられるというような凄惨なものではなかった。




 それを一言で表すなら「熊の乱入」ということになる。


 いよいよ引き金が引かれようかというその直前、乱入者は突然に姿を現した。有無を言わさぬほどに強烈で、かつ脈絡のないドロップキック。飛翔するミサイルを彷彿とさせるその一撃はくだんの男の身体を真横に向かって弾き飛ばした。


 男は受け身も取らぬまま駐車場の路面に激突した。蹴られたというよりかは車に撥ねられたようでもあった。


 即死したわけではないようだが、すぐには起き上がってこなかったことからすると、少なからず痛手を負ったのは確からしい。それだけの衝撃を受けてなおその手に握りこんだ銃把を離さなかったあたり、やはりこの男もただ者ではない。


 ともあれ一人の男が倒れ伏し、そこに入れ替わるようにして新たな登場人物が現れた。


 この時、彼はその場に居合わせた全員の視線をその一身に集めていた。


 シックな黒いバイカーブーツ。シルエットが映えるレザーパンツ。ビンテージ風のライダースジャケットをカジュアルに着崩し、アクセントにシルバーアクセサリーを散りばめる。


 一見、時代錯誤の九〇年代風ロック・ファッションともとれる彼の佇まいには、しかしそうした定型のスタイルとは一線を画す要素も見て取ることができた。


 その要素とはすなわち彼の頭部を丸ごと覆った毛むくじゃらの被り物。巨大な円形の輪郭を有したアニメ調の熊の着ぐるみであった。

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