+スクリュードライバー 2




 合流地点はくだんのホテル街のすぐ近く。徒歩で移動しても十分とかからないだろう距離だ。そこは規模の大きい集合住宅が立ち並ぶ、比較的に閑静な通りだった。


 この一帯も朝夕の通勤時間帯であれば活気があるのだろうが、深夜も目前の二三時台となるとそうはいかない。付近に夜間営業の商店が少ないこともあってか、頭上高くそびえ立つマンションの窓明かりを除けば、あとは古ぼけた街灯の明かりだけが頼りだ。


 うら寂しいと言えばうら寂しい通りだが、ザックとしてはむしろ居心地の良さを覚えるようでもあった。


 そうした景色のもと、ある種、場違いなほどに光り輝く施設の前で、彼は車両を停止させた。週末だろうと深夜だろうと構わず営業を続けるその店は、まぎれもなくコンビニエンスストアであった。


 こと頼る明かりの少ない深夜の住宅地においては、この絶え間なく輝き続ける青白い電灯の光こそが最良の目印となる。これなら不都合が起きた場合でも合流位置を見誤る恐れはない。あとはただ心置きなく待ち人の訪れを待つばかりである。


 ノーランが担当する作業は時間を要するものではない。タイミングさえ合えばほんの十秒とかからずに完遂される類の仕事だ。例のホテル街からこの住宅地までの移動時間を含めても、彼が到着するまで二十分はかからないはずだった。


 何かしらの想定外があれば連絡があるはずだが、この時点ではそうした気配はまるで感じられなかった。少なくとも、ザックの直感は相棒の無事を告げていた。


 ザックは腕時計に目をやった。現在時刻は二三時四〇分。


(日付が変わるころには家路につけるか……)


 そういう明るい見通しが、この時の彼のなかにはあった。


    ×


 その後実際に事が動いたのは、彼が予想したとおり時刻が午前〇時を迎えるその直前のことだった。


 タクシーを停めてからの二十分間、ザックは無心にフロントウインドウの向こうを見つめていた。見るでもなく見るというのか、身体に疲労を生じさせないよう意識しつつ、中空の一点に視線を据える感覚だ。


 こうした体勢は探偵稼業を続けるに当たって非常に重要な技術の一つだ。数時間に渡って、あるいは昼夜を徹して標的の動きを見張る場合には、体力を温存するために一種の熟達した技術が必要になるのだ。


 そういうわけで当人としては気を張っていたつもりであったからか、その時ふいに運転席側の窓が叩かれたことに対し、ザックは非常な驚きを覚えさせられた。彼は自身のほうに近寄ってくる人影にまったく気づいていなかったのだ。


 ザックは反射的に左手側の窓へと視線を向けた。ノックの主を確かめるためだ。


 しかし彼が相手の姿を捉えることはなかった。視線を動かした瞬間、運転席側の窓一面が真っ白く染め上げられたからだ。


 とたん、無数の小片と化した窓ガラスのかけらが暗い車内に降り注いだ。なるほど一瞬にして窓が白濁したのはその表面を覆ったヒビのせいであるらしい。


 直後ザックは気が付いた。蜘蛛の巣様に広がった破損の中心部分、破壊的なショックの着弾点になったであろうその部分に、なにやら目に付く物体が見えていたのだ。それはナイフの切っ先か、あるいは鳥のくちばしにも似ていた。


 いずれにせよ考えている暇はない――疑いようもなく、これは何者かによる襲撃だ。


 ザックはとっさに懐に手を伸ばした。変装用の赤いベストに隠した、一丁のリボルバー拳銃を取り出すために。実際の状況がどれほど差し迫っているにせよ、自衛の手段だけは最優先で確保しておかねばならない。


 彼が行動を起こすが早いか、今度はフロントウインドウが狙われた。ふたたび視界が白く染まる。と同時に、全身をびりびりと震わせる破砕音が束の間に車内を駆け巡った。


 続けざまにもう一発、次いでさらにもう一発と、容赦のない殴打を連続して受けるうち、フロントガラスは車内側に大きくたわむほど変形してしまった。


 危機的状況だがそれでも「敵は車体のすぐ近くで凶器を振り回しているらしい」ことと、「その凶器はバールか登山用のピッケルだ」ということを把握できたあたり、ザックの冷静さも完全に失われてはいないようだった。ともあれ、この時点までは。


 問題はこの次だった。フロントガラスに引き続き運転席側の窓も叩き壊される。次いで、ザックの顔面に素手の拳が飛んできた。




 気付いた時には車両のドアが開かれていて、そしてまた気付いた時には、彼の身体は完全に車外へと引きずり出されていた。


 ザックはざらつくアスファルトの上に這いつくばり、顔をしかめた。文字通り目と鼻の先に地面があった。地の表面は何らかの液体で濡れているらしく、頭上の明かりをおぼろげに映し返していた。


 反射光が赤みを帯びている。地を濡らすのは誰かの流した血液だ。


 その血がザックの鼻腔から流れ出ていることは彼自身にも容易に察しがついた。顔の中央に感じる焼け付くような痛みが、その何よりの根拠だった。


 そうして力なくうなだれる彼の身体を襲撃者たちは力づくに引き起こした。脱力したザックを荷物のように両脇から支え、一息に直立の形まで移行させる。その流れのまま、彼は背中側からタクシーの車体側面にもたせかけられた。


 直後、夜の底から声が届いた。


「――おい――聞こえて――――しろ、まったく」


 声はザックの正面方向から聞こえていた。前方から探偵の襟首を掴む悪漢の、その背後に立つ人物が音源であるらしかった。


(一対……四、か……さすがに分が悪いな)


 ザックはかすむ意識のなかで思った。


 現状、彼は左右と真正面との合計三方向から身体を支えられている。そこに加えて最前の怪しい声の主。すなわち敵方は少なくとも四名以上だ。


 などと計算しているところに再び声が聞こえてきた。


「だらしのないやつだ。ちょっと顔を殴られたていどで気絶なんぞしてくれるな」


「相手に気絶して欲しくなかったらいきなり殴りつけたりするな」


 ザックはいまだ夢うつつだ。この返答は何らかの意図をはらんだものではない。それは単なる口答えだった。


「ほう、起き抜けにそういうことが言えるとは、貴様も存外に大した男らしいな」


「身体が丈夫なのは……ふう……数少ない取り柄なんだ」


「そうか」


 相手の顔に見覚えはなかった。といっても、この時ザックに見えていたのは相手の顔の下半分、ヘルメットのバイザーから除く口元のみであった。


 ところでこのヘルメットは並の品ではなかった。多機能バイザーと通信機が標準装備された最上級モデル。二〇七一年現在のアメリカでは軍の正式装備としてのみ製造されている型だ。


 一つ興味深いのは、そうした上等の装備を身に着けるのが例の男ただ一人のみだということだった。


 他の襲撃者ら三名もそれぞれ素顔を隠してはいるものの、一人は市販のバイク用ヘルメット、別の一人はピエロの仮装用マスク、最後の一人は同じく安物のホッケーマスクとどうにも統一感が感じられない。


 そのまとまりの無さが意味するところは不明だが、どうあれザックはこの瞬間、そのくらいの情報を読み取れるていどには意識の安定を取り戻しつつあった。


 そのことを知ってか知らずか、例の男は言う。


「一度だけ訊く。正しく答えろ。貴様はいったい何者で、誰の差し金だ?」


「へえ……奇遇だね……俺も同じことをあんたに訊こうと思ってたんだ」


 とザックが口にするや否や、男は顎をしゃくった。

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