第6話 渡された指輪
「それで、アデル。あなたはこれからどうするつもりなんですか?」
体がある程度回復してきたので、アデルは柔軟運動をしながら体の動き確認していると、アーシャが訊いてきた。
「どうする、か。どうしようか、まだ何も思いつかないな。さっきまで死にかけてたわけだし」
「そうですか……そうですよね」
アデルの言葉に、王女は眉根を寄せて肩を落とした。
剣士は自らの黒い大剣を片手で持って軽く振り、体の調子を確認する。まだ体が本調子ではないせいか、いつもは手に馴染む大剣が酷く重く感じた。
アデルの持つ大剣は、身幅四寸・長さ五尺の刀身が真っ黒な魔剣だ。その昔〝
〝
だが、それほど強力な魔剣を持っていても、パーティーメンバーに裏切られて闇討ちを受ければ使う機会がない。そしてそれは、〝
(それにしても、オルテガ達がこれを置いていったのは意外だったな)
アデルはふと疑問に思う。彼らはアデルの荷物は持って行ったが、この剣だけは置いて行ったのだ。
ただ、あの時彼らは浮かれていたし、剣を持って帰って売っ払いでもしたら、自分達がアデルを殺したと明言する様なものだ。この異国の地で死体と共に朽ち果てさせるのが賢明だと判断したのかもしれない。
アデルと黒い大剣の組み合わせは大陸では有名だ。この〝
「気持ちが逸るのはわかりますが、まだ無理はなさらないで下さいね。アデルが死の淵に立っていた事は、本当なのですから」
「……ああ。わかってるさ」
アーシャによると、アデルの体内にあった毒は麻痺させて体を蝕む他、筋肉を極度に弛緩させる性質もあったという。アデルが毒矢を受けて立ち上がれなくなったのは、その所為だったのだ。アーシャの治癒魔法では筋肉の弛緩までは治す事ができず、本調子に戻るにはもう少し時間がかかるそうだ。
「あの……非常に申し上げ難いのですが、私の方も時間が迫ってきています。あまり遅くなると、捜索隊が入ってきてしまう可能性があるので」
そろそろ出ないといけません、とアーシャは面目なさそうに付け足した。
アーシャが〝成人の儀〟でこの洞窟に入ってからまだ半日も経っていないそうだが、彼女の実力であればほんの数時間あれば帰って来れる儀式だ。半日経たずとも、何かあったのでは、と心配される可能性があるのだという。
「ああ、もう大丈夫だ。これだけ剣が振れるなら、俺一人で何とでもなるさ」
アデルはもう一度大剣を振り、自分の腕力を確認する。
十五の王族でも倒せる様な魔物しかいない洞窟だ。まだまだ腕に力は入らないが、剣が振るえるのであれば〝漆黒の魔剣士〟の敵ではない。
(あれ、そういえば王女が来てから全然魔物が現れなくなったな)
ふと周囲を見回すが、アデルが気を失うまではちらほらとあった魔物の気配が一切なかった。それに、結構な長い時間をここで寝ていたはずなのだが、その間彼女が魔物と戦った形跡もなかった。
「私がここを去れば、魔物が現れると思います。くれぐれも気を付けて下さいね」
「ここを去ればってのは、どういう事だ?」
「えっと、私の体質らしくて。弱い魔物は私に近づいてこないそうです」
「なるほど……」
おそらく、それもアーシャを聖女たらしめている理由でもあるのだろう。
アデルでは目視できないが、彼女は神聖なオーラを纏っているらしく、弱い魔物は近付かないのだそうだ。衛兵達もそれがわかっているからこそ、アーシャがこの試練に時間が掛かり過ぎると、誘拐等の別の心配をするのだという。
「念の為、私が発って数時間はここに待機してもらえますか? 一緒のタイミングで外に出て衛兵に見つかっては色々面倒でしょうし。万が一シャイナに見つかってしまえば、大事です」
アーシャがうんざりだ、と言わんばかりの表情を見せた。
シャイナとは彼女の近衛騎士で教育係の様な女性だ。優しくいつでもアーシャの味方で居てくれるそうだが、その口煩さから少し面倒に感じている、と先程愚痴を漏らしていた。
そういった反応を見ていると、彼女が年頃の女の子なのだなと実感できた瞬間でもあり、アデルはどこか安心するのだった。これまで見た彼女は、それこそ天の使いの様に人間離れしていたからだ。
「ああ、そうだな。何から何までありがとう」
冒険者崩れと密会してしまっていた自分の事や、儀式云々よりもアデルの事を心配してくれているアーシャ。しかも、さり気無く先程の
彼女が特別なのかもしれないが、人間も捨てたものではないな、とアデルが思った瞬間でもあった。
「……アデル」
「ん?」
白銀髪の王女が足を止めて、振り向いた。
「もし、で構いません。もし、これから自分の道が見えなくなって、どこにも行く当てがなくなってしまったら……いつでもヴェイユに来て下さい」
「え?」
アーシャは指につけていた指輪を取ると、アデルの元まで戻って彼にそれを握らせた。
手の中のものを見てみると、それは高価そうな綺麗な石に、細かい絵が彫刻されている指輪だった。指輪の裏側には、ヴェイユの王韻がしっかりと刻まれている。
「ま、待ってくれ! これ、めちゃくちゃ大事なものなんじゃないのか⁉」
「はい、母から贈ってもらった私の宝物です」
けろっととんでもない事を言い出す王女様に、アデルは息を詰まらせ絶句する。
アーシャの母君……それは、ヴェイユ王国の王妃だ。王妃が娘に贈ったものを、冒険者崩れのアデルに渡すという。この少女の正気を疑った瞬間だ。
「生憎、今は他に私の物と断定できそうなものがなくて……すみません。もしお城に用がある際は、門兵にそれを見せて私に取り次ぐ様伝えて下さい。通す様に伝えておきます」
アーシャはもう一度、天の遣いかと思う様な笑顔を見せて、「では」と踵を返した。
「待て、待ってくれ、アーシャ王女」
「はい?」
アーシャが気の抜けた声を上げて、こちらを振り向いた。
「こんな大切な、それこそ母親からの贈り物を俺なんかの冒険者崩れに渡してどうなるってんだよ。俺なんかに渡したら、売っ払っちまうかもしれないんだぞ!」
「……? もし、その指輪が不要であれば、それに越した事はないんじゃないですか? あまり値は付かないかもしれませんが、それでアデルに美味しいものを食べてもらえたなら、私は幸せです」
「だから、そうじゃなくッ」
アデルの狼狽ぶりに、〝ヴェイユの聖女〟は不思議そうに首を傾げた。
アデルはただただ混乱していた。彼女の行動の全てが信じられなかった。
彼は冒険者として、そして傭兵としてこれまで生きてきた。常に悪意と殺意の中で戦い、ほんの数時間前には仲間にも裏切られ殺されかけた。
彼の人生で、ここまで人の『善』を感じる出来事が過去になかったのである。この聖女の真意が何一つわからなかったのだ。
「一国の王女がどうして俺なんかの為にここまでしてくれるんだって事だよ。俺はただの冒険者崩れだ。俺に恩を売ったって、あんたに返せるものなんて何もないんだ。それなのに、どうして⁉」
「……わからないです」
アーシャ王女は眉を寄せて困った様に微笑んで続けた。
「でも、初めて会った人とこんなにたくさん話したのは、生まれて初めてでした。そうして話してるうちに、私はもっとアデルと話したいと思う様になって、もしアデルが困っているなら、助けたいと思いました。それだけです。変、でしょうか?」
「変って……そりゃあ」
もはや何が変なのかわからなかった。
王族が変なのか、この少女が変なのか、ヴェイユ王国の文化が変なのか、はたまたアデル自身が変なのかすら判断がつかなかった。
「もし、アデルに居場所がなくなったなら……ヴェイユ王国が、いえ、私がアデルの居場所になります。だから、困ったら頼って下さいね?」
白銀髪の聖女は大地母神フーラを彷彿とさせる笑みを浮かべてそう言うと、洞窟の出入り口の方へと登って行った。
アデルはただ、その流れる白銀の長い髪を眺める事しかできなかった。
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