挿話 オルテガという男

 ヴェイユ王国のグドレアン港から、その日最後のアンゼルム大陸ライトリー王国行の船便が出航していた。

 〝紅蓮の斧使い〟オルテガは船の甲板からグドレアン港を見送ると、盗賊のギュント、魔導師のイジウドと共に祝杯を挙げた。


「げっへっへ、それにしてもアデルの間抜けヅラ、最高でしたねぇ、お頭」


 盗賊のギュントが下賎な笑みを浮かべて言った。


「ああ、脚を刺した時の顔は最高だった。前々から私はアデルが気に入らなかったのだ。少し顔が良いからと言って、女どもはあいつに夢中になる。あの様な透かした男のどこが良いのだか」


 ふんと鼻息荒く文句を垂れるのは、魔導師のイジウドだ。

 彼はアデルの加入には最後まで反対していたのだが、彼の意見をもう少し聞いてやるべきだったかもな、とオルテガは今になって思うのだった。

 もしアデルを加入させていなければ、フィーナが彼と結ばれる事はなかった。時間を掛ければ、自分にも勝機があったのかもしれないのだ。


「にしても、お頭なら正面からでもアデルの野郎をぶっ飛ばせたんでは?」


 あのイブライネサソリの毒は滅多に手に入らないんですぜ、と不服そうに盗賊が言う。

 南イブライネのサソリ毒は、稀少性が高いので値も張り、しかもなかなか市場にも出回らない。ギュントとしては、竜等の大きな魔物と戦う時の切り札に取っておきたかったのだ。


「文句垂れるなよ、〝影で暗躍せし者ダークシーカー〟。サソリの毒なら今度見掛けたらすぐに買ってやるさ」


 ──〝影で暗躍せし者ダークシーカー〟。これは、ギュントの通り名だ。彼は盗賊の中では暗殺の能力にも長けており、そう呼ばれている。


「まあ、この〝紅蓮の斧使い〟ことオルテガ様にかかりゃあアデルなんて一騎討ちでも負けはしねえ。ただ、牛の糞に手を突っ込むくらいに胸糞悪い話ではあるが、あの糞ッ垂れイカレポンチは腐っても〝漆黒の魔剣士〟だ。こっちもかなりの犠牲を払う事になる」


 パーティーメンバーには言わなかったが、オルテガの見立てでは〝紅蓮の斧使い〟と〝漆黒の魔剣士〟の実力は拮抗しており、殆ど互角だ。力ではオルテガが勝っているが、俊敏性や白兵戦の技術ではアデルに勝敗が上がる。

 本気で戦えば、どちらが勝つかわからず、勝てたとしても無事では済まないだろう。今回の様に薬で動けなくさせるのが、一番安全だったのである。

 それに、とオルテガは続けた。


「あの野郎は単独ソロで長い事やってきたせいで、一対複数の戦いにも慣れていやがる。俺は無事でもお前らまで無事だったかと言われれば、そいつはわからねえぜ?」


 オルテガは麦酒を一気に飲み干してウェイターにおかわりを注文してから、二人を睨みつける。


「それとも、お前らはあの〝漆黒の魔剣士〟のイカレポンチに狙われて逃げ切れるとでも言うのか?」


 〝紅蓮の斧使い〟の問いに、盗賊と魔導師は顔を青くして首を横に振る。

 アデルは単騎での戦いに慣れている事もあって、ちょっとやそっとの威嚇では動じない。魔法などお構いなしで突っ込んでくるのだ。今までは味方でいて心強かったが、その突破力が自分に向けられるかと思うと、背筋が凍る思いだ。


「まあ、今となっちゃあどうでもいい話だ。俺達は晴れてSランクパーティー、もうアデルの助けは要らねえ」


 オルテガは運ばれてきた麦酒をぐびっと呷って息を吐くと、口角を上げた。


(アデルだけじゃねえ……お前らもそのうち用無しだよ、ボンクラども)


 オルテガはアデルだけでなく、このギュントとイジウドもいつかはつもりでいた。

 この二人も無能ではないが、実力的にはBランクが限界だ。冒険者個人のランクも今の翠玉等級かその次の紅玉等級止まりだろう。

 彼らがAランクパーティーとして仕事ができたのは、オルテガの圧倒的膂力があったからだ。Sランク級の依頼となると、足を引っ張る可能性の方が高い。

 だが、Sランクパーティーとなれば集まる力も変わってくる。今までとは違った人材とも交流できるし、実力者達が自ら加入させてくれと頼んでくるだろう。オルテガと同じ等級の冒険者とパーティーを組む事も可能となる。

 ギュントとイジウドの上位互換が見つかれば、すぐさま差し替える予定だ。それこそ、今回の様に、だ。

 無論、フィーナだけは粗末には扱いはしない。それも勿論、彼の女になるのであれば、という前提がつくが、彼にはそうなる未来が見えていた。


「ああっ、さっさとランカールに戻って、恋人が死んで傷心中のフィーナと金玉が痛くなる程ヤリてぇぜ!」


 フィーナの顔を思い浮かべ、オルテガは男の欲望を膨らませる。

 フィーナは金髪碧眼で少し吊り目のクールな女だ。いつもは物静かだが、戦いの時となると表情がより厳しくなり、戦闘が終わると安堵して笑みを浮かべる。そのギャップにオルテガは夢中だった。

 彼女にはパーティー加入後から二年もの間アプローチをしていたが、肝心なところであと一歩及ばなかった。


(それを、あの糞野郎はたったの数か月で、だと? 許せるはずがねえ!)


 思わず麦酒のジョッキを握る手に力が入る。


「へへっ、逸るなよお頭。そもそもそんなに簡単に行くんですかい?」

「簡単に、とはどういう事だ?」

「フィーナだって本気でアデルと付き合ってたんでしょうに。死んだからってすぐにお頭に乗り換えるってぇとのは、ちょっと考え難いって事ですよ」

「ああ、そいつは簡単な話だ。直径三メルトほどの便簡単さ。こいつがあればな」


 オルテガは下卑た笑みを浮かべて、ポケットからワインを更に濃い色にした様な液体が入った小さな小瓶を取り出した。


「それは何かの薬で?」


 イジウドがオルテガに訊いた。


「ああ、闇市のルーアンは知ってるだろう?」

「ルーアン? 闇市で怪しげな薬を売ってるっていうあのルーアンかい?」

「そうだ。こいつはそのルーアン史上最高傑作の薬ってわけだ。文字通りだぜ」


 オルテガの説明に、ギュントとイジウドが首を傾げる。

 闇市のルーアンは、魔法と薬学を混ぜて禁忌に触れたせいで、魔法学からも薬学の方から嫌われ、どこにも居場所をなくした薬師だ。

 今では魔法と薬学を混ぜた劇薬を闇市で売って生計を立てているそうだ。薬の副作用で死んだ人間もおり、ルーアンの薬は自分で飲むより人に飲ませて暗殺する方が使い勝手が良いとまで言われている。


「簡単にいやぁ、男を知らない修道女でもこれをひと口飲ませるだけで狂った様に男を求めちまう媚薬だ」

「び、媚薬? 本当に効くのだろうか?」


 魔導師イジウドが懐疑的な表情を見せる。

 媚薬という売り込みの薬は闇市以外にも多く存在するが、実際は気分的なもので、効果がないものが大半だ。魔法学で言っても、人の心を操る魔法はあっても都合よく性欲だけを増強する魔法など存在しないのである。

 しかし、オルテガはそんなイジウドを一蹴する。


「ああ、実際使うまではマユツバだったが、それも一回試すまでだ。事前に三日は禁欲しておくべきだったと後悔したくらいにはな」


 先日娼館でひとりの娼婦を一晩買った時の話だ。その女は娼婦のくせに本番行為は嫌だと言い、口だけで満足する様にオルテガに懇願した。

 どうやら恋人に娼館で働いている事が判明し、別れを切り出されていたそうだ。金の為に娼婦はやめられなかったが、男とも別れたくないらしい。金を上乗せしても絶対に嫌だと言って聞かなかった。

 頭に来たオルテガは、この媚薬をその娼婦に無理矢理飲ませたのだ。


「それで、その女はどうなったのだ……?」

「どうなったと思う? 聞いて驚くなよ?」


 ごくり、とギュントとイジウドが固唾を飲んだ。


「一晩どころか二晩ほどヤリまくってたよ。ヤリ過ぎて穴が擦り切れて血ぃ出てやがんのに、ずっと上になって狂った様に腰振ってやがったぜ。挙句にケツ穴まで差出やがった」


 御蔭で金玉が二つともスッカラカンになっちまったよ、とオルテガは下品な笑い声を上げた。


「ひええええ! マジかよ、俺も買おうかな」

「おう、買え買え! 帰りに闇市でお前らの分も買ってやるぜ。今回のアデル殺しの褒美だ」

「やったぜ、さすがお頭!」


 オルテガ一行の下品な会話は、アンゼルム大陸に着くまで尽きなかったという。

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