第57話 再会②

「嘘……嘘よ。そんな、だって……私……私……」


 アデルの言葉とオルテガの様子から、彼の言葉が真実であると悟ったのだろう。

 回復術師フィーナがぺしゃんと崩れ落ちて、頭を抱えた。


「知ってるよ、フィーナ。実は一度、ランカールに戻ってお前の部屋の前まで行ったんだ。そしたら、まぁ……オルテガとだったからさ」


 だからヴェイユに来た、とアデルは付け足した。

 その言葉によって、見聞きされたのか、察したのだろう。フィーナは絶望の悲鳴を上げた。


「いや! いやぁっ! だって、だって……もう……ッ!」


 元恋人は自らの両肩を抱き締め、そして頭を掻き毟った。彼女の綺麗な金髪が地面にはらりと落ちる。

 その様子を見て、オルテガはにやりと卑しい笑みを浮かべた。


「へっへっへ、アデル。そういや教えるのを忘れていたよ。お前との最後の約束だけはちゃんと果たしてやったぜ?」

「お願い、オルテガ! それだけは、アデルに言わないで。お願い、お願い……!」


 嫌々する様にして、フィーナは首を振るが、オルテガは下卑た笑みを消さなかった。

 その顔つきとフィーナの反応から、アデルはある程度の事情を察した。


「こいつ、今俺のガキを孕んでるんだ! ちゃんと約束しただろうがよ! フィーナは俺が孕ませてやるってなああ!」

「いやあああああああああああ!」


 もう一度フィーナの悲痛な悲鳴が響き渡っていた。

 高笑いするオルテガ、そして叫びながら絶望に涙するフィーナと、何が何だかわからないと言った様子の騎士団。

 そこはかなりの混沌とした空間だった。アデルとて、自分がどう振舞っていいのかわからない。


「ごめんなさい……ごめんなさい、アデル……」


 元恋人は絶望し、崩れ落ちて涙していた。

 そんなフィーナを見て、アデルは胸の中に怒りが満ち溢れていくのを感じていた。彼女がオルテガと結ばれて幸せになっているのであれば、それでもよかった。だが、そうではなかったのだ。それをこの瞬間にアデルは悟った。


(殺して……やる)


 怒りに任せて戦おうと、剣の柄を握る手に力が入った時だった。

 アデルの背後、即ち王都側から慌ただしく馬蹄が聞こえてきた。


「うおらあああ! アデル、まだ生きてっか⁉ 強力な助っ人連れて──って……なんだこりゃ?」


 騒がしく現れたのは、リーン王妃の懐刀ことアモットだった。アモットはおおよそ戦場とは思えない場の空気感に、ぎょっとしていた。

 アモット以外にも、後ろからも馬に乗った男の騎士が三人と弓戦士が一人、そして橙色の髪を持つ女性が続々と続いてくる。〝見習い騎士〟カロン、ルベルーズ領の〝亡命騎士〟エトムートに、ベルカイム領の〝聖騎士〟ロスペール、〝弓戦士〟ルーカス、そしてアーシャの護衛騎士シャイナだ。単騎でも戦える強者や事情の説明が要らない者達だけを選別して連れてきてくれたのだろう。

 増援の登場に、元ランカール騎士団にも動揺が走る。


「なっ……増援が現れたという事は⁉」

「ああ。察しの通り、王都、王宮共に制圧は終わった。解放軍の勝利だ。てめぇらが助ける予定だった連中も、全員お縄ってわけだよ」


 アモットは続けて、今この場に数百のヴェイユ解放軍の増援が更に向かっているとも付け加えた。

 それを聞いた瞬間、元ランカール騎士団は崩れ落ちた。それは彼らの敗北が決まった瞬間だったのだ。

 予想よりも到着が早かった理由は、どうやら王宮内の制圧をリーン王妃が内側から行った事が要因らしい。外側の制圧と内側の制圧がほぼ同時に終えたのだそうだ。王妃がいち早くアデルを助けられる様にアモットを向かわせてくれたのも大きな要因だろう。


「で、えーっと……? アデルさん、これはどういう事なんですか? もっと悲惨な状況を想定してたんですけど、女の人が泣いてる?」


 カロンが苦い笑みを浮かべて訊いた。

 この場にいるのは、戦意を失っている騎士団に、泣き崩れている金髪の女、そして苛々した様子のモヒカン大男。最初からいたランカール騎士団ですらついていけていなかったのに、更にその後からきたカロン達にとってはもっと意味がわからない光景だろう。


「色んな意味で、悲惨かもな」


 アデルは大きな溜め息を吐いて、肩を竦めた。

 自分でもこうした軽口が言えるのが不思議だった。彼は、思った以上にフィーナの妊娠に傷付いてはいなかったのだ。

 いや、そうさせてくれたのは、ここにいる仲間達の御蔭なのかもしれない。

 彼らが到着する寸前、アデルは怒りに任せてオルテガと戦おうと思っていた。しかし、仲間の登場と、ここに至るまでの彼らの気遣いと努力、そして彼を生かそうとしてくれる心意気に、憎しみがどんどんと薄れていったのである。


「おい、


 アデルが崩れ落ちている騎士団に声を掛けた。


「降伏しろ。お前らは何もやっちゃいない。もし降伏するなら、捕虜として丁重に扱う。ゾール教国が嫌なら、この国に住めばいい。ここはそれだけの事はしてくれる、寛容な国さ」

「……その言葉、嘘ではあるまいな」

「さあな。ゾール教国とヴェイユ王国、どっちが非人道的かを考えてから、自分で選択しな」


 アデルのその言葉を聞いて、元ランカール騎士団の若い男が、真っ先に武器を捨ててその場で降伏を宣言した。すると、続いて周りの男達も武器を捨てて、降伏していく。

 彼らにとって、もはや戦う意味などなかった。ましてや逃げ延びてゾール教国に戻っても、そこで待っているのは奴隷の様に戦わされるだけだ。なればこそ、ここヴェイユに亡命をした方がまだ救いがあるのではないかと考えたのだ。


「なぁに勝手に落ち着いて話まとめてくれてんだよ、アデルぅ……!」


 その流れに唯一納得できていないのは、〝紅蓮の斧使い〟ことオルテガだ。

 彼は頭に血管を浮かばせ、背中に背負った戦斧を掴み取った。


「安心しろよ、オルテガ。俺もお前には用があるんだ」


 アデルは大剣を構え直して、オルテガを睨みつけた。

 その眼光に、一瞬オルテガが怯んだ。


「もうお前らとも関わる事はないと思ってた。死ぬ程胸糞悪い話ではあるが、会わなかったなら水に流してやろうとも考えてたさ。でも…‎…こうして会っちまったら、もうダメだ。俺は、お前を許せそうにない」


 ちらりとフィーナを見る。彼女は泣き止んではいたが、その瞳は虚ろになっていて、ただぼんやりと空虚を見ていた。

 もはや彼女の心が壊れかかっているのは明白だった。美しく可憐だった、アデルの知る彼女はそこにはいない。

 もし、ランカールの町に戻った時に、あの場でオルテガを殺して、彼女を引き離してやっていれば、彼女がここまで壊れる事もなかったのだろうか。そんな後悔が一瞬だけアデルの脳裏に浮かんだ。

 〝漆黒の魔剣士〟は歯を喰いしばり、正面の大男を睨みつける。


「どうした、オルテガ? 構えろよ。それとも、〝紅蓮の斧使い〟は闇討ちや不意打ちができなきゃブルっちまって喧嘩すらできない腰抜け野郎だったってか?」

「言ってくれるじゃねえか、〝漆黒の魔剣士〟! いいぜ、お仲間の前でまた惨めにぶっ殺してやる。その後は後ろにいる連中も、その後にくる増援も俺一人で殺してやる!」


 オルテガは大声を出していきり立ち、戦斧を構えた。


「ふっ、よく言う。本当は、手を下せなかったんだろ? 随分と顔色が良くないじゃないか」

「な、な、な、何だとおおお! 好き勝手言いやがって!」


 オルテガがアデルにとどめを刺さなかった事──その理由について、アデルは何度か考えた。あそこで殺しておいた方が、オルテガにとっては得が多かったはずだ。

 だが、彼は結局、脚にナイフを突き立てただけで殺しはしなかった。それは、仲間を裏切り陥れ、そして自分で息の根を止める事を恐れたのだ。その様な卑怯な自分を見たくないと思ったのだろう。毒と出血で死んでくれた方が、彼は自らの矮小さを知らずに済むと考えたのだ。


「さあ……オルテガ。キッツダム洞窟の続きをしよう。今度は正々堂々、真正面からの一騎討ちだ」

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