第48話 王女と王子の密談

 それから間もなくして、ルベルーズ領のダニエタン伯爵がリーン王妃の命令書に従い、王都解放軍の旗が上げられた。盟主はダニエタン伯爵ではなく、亡国ミュンゼルの王子クルス=アッカードと〝ヴェイユの聖女〟ことアーシャ=ヴェイユだ。

 解放軍は王妃の命令書が届くや否や、すぐに準備を整え、王都に向けての出陣を開始した。おそらく、ダニエタン伯爵もいつでも出陣できる様にと考えていたのだろう。兵士達の士気が高く、統率も取れていた。そこにミュンゼル王国騎士団も加わった事もあり、解放軍は破竹の勢いで進軍していった。

 グスタフ宰相は戦争など知らず、しかも軍師らしい軍師もこの国にはいない。兵を小出しに出陣させては、解放軍に一網打尽にされる、という事を繰り返していた。

 解放軍の中でも特に武勇を誇ったのは、ミュンゼルの王子・クルス、そしてルベルーズ領の跡取りでもある亡命騎士・エトムートの両名だ。彼らは共にゾール教国に祖国を奪われたという事で共通しており、今回の戦いに懸ける想いは強かった。また、エトムートは解放戦争が終わればクルスについて行き、ゾール教国と戦う意思を表明していた。

 これ以上進軍されるとまずいと踏んだグスタフ宰相は、直属の部下であるドルフィー将軍率いる〝冷血騎士団〟を差し向けた。

 グドレアン港でその〝冷血騎士団〟と解放軍がぶつかったが、ミュンゼル騎士団の圧倒的な騎馬戦術の前に敗北を喫し、ドルフィー将軍は討死。その後、ベルカイム領ではヴェイユ王国最強の騎士とも謳われる〝聖騎士〟ロスペール率いる騎兵部隊ともぶつかったが、アーシャとエトムート両名による説得によって、解放軍の軍門に下った。

 競技会では国の一・二の強者として名をとどろかせた聖騎士ロスペールと亡命騎士エトムート、そしてそこにミュンゼル騎士団も加わっているのだから、もはや解放軍の勝利は間違いないとも思えた。

 今、解放軍はベルカイム領で休息を取っている。

 ベルカイム領は森が多く、また領主の砦は高台にあり、森の向こうまで見渡せる。守りやすい立地からも、休息を取る場所としてはぴったりだった。

 兵士達の治療を終えた〝ヴェイユの聖女〟ことアーシャは、城壁の上に出て景色を眺めつつ、大きく息を吐いた。

 解放軍が強い理由は、何も武力だけではない。この〝ヴェイユの聖女〟の存在も大きかった。彼女がいれば、瀕死の大怪我であってもすぐに蘇らせてしまうからだ。死んでさえなければ、蘇れる──これは、兵士達にとっても心強い事だったのだ。


「やあ、アーシャ。さすがに連日治療ばっかりで疲れさせちゃったかな?」


 アーシャがぼんやりと空を眺めていると、亡国の王子ことクルス=アッカードが声を掛けてきた。


「クルス様、お気遣いありがとうございます。私は戦えないので、こうして裏方として軍を支える事しかできません。皆さんの苦労に比べれば、私の疲れなど小鳥の涙と同じです」

「そんな事はない。僕らがこれほどまでに順調に進軍できているのは、アーシャの御蔭だよ。君がいるから、多少の怪我など怖くないと皆戦えるんだ。どうかそんな風に思わないで欲しい」

「そう言って頂けると嬉しいです。ありがとうございます」


 アーシャはクルスに深々と頭を下げた。

 彼の言葉は嘘でも世辞でもない。現実問題として、これほどまでに軍が休みなく進軍できたのは、アーシャの治癒魔法の御蔭なのである。


「それにしても、あのお転婆娘のアーシャ姫が、これほど立派な回復術師になっていたとはね。〝ヴェイユの聖女〟の名前は僕の耳にも入っていたけれど、てっきり誇張されてるか影武者でもいるのかと思ってたよ」

「もう、クルス様ったら。ひどいですよ」


 アーシャは白銀の髪を揺らして、くすくす笑った。

 その横顔を見て、クルスも笑みを浮かべた。


「前に見た時は本当に子供だったのに、見違えたよ」

「グドレアン港でお会いした時、気付いてくれませんでしたものね」


 私はすぐにクルス様だって気付きましたよ、とアーシャは悪戯げに笑って付け足した。


「それは悪かったって! まさか、昔に遊んであげた小さな王女がこんなに綺麗になってしっかりしているなんて、夢にも思ってなかったんだよ」

「お世辞が上手いですね、クルス様」

「お世辞じゃないんだけどなぁ」


 二人は言ってから互いに笑って、そして笑みを沈めた。

 クルスがこの様な話をしにわざわざ話しかけてきたわけではない事くらいは、アーシャも気付いている。彼には別の要件があるのだ。


「それで、アーシャ王女。前に話した事だけど……どうかな」

「ヴェイユ=ミュンゼル同盟の話ですか? それは以前お話した通り、私ではなくお母様に──」

「いや、違う。そっちじゃない。僕は……君にも同盟軍に参加して欲しいんだ」


 クルスの言葉に、アーシャは何か言おうとしたが、何も言葉が出てこずに肩を落とした。

 遂に来たか、と王女は心の中で嘆息する。彼がいつかその提案をしてくる事は判り切っていたからだ。

 これまではヴェイユ解放戦争についての先が見えなかったので踏み入っては来なかったが、ここベルカイムを落とす前と後では状況が異なる。もはや王都まではすぐそこで、この勢いのまま行けば間違いなく王都も解放できるだろう。そうなってくると、を当然見据える様になる。

 その先──即ち、王都解放後だ。このクルス=アッカードが何の見返りもなくアーシャの手助けをしているわけではない事くらい、彼女も気付いていた。

 彼は〝ヴェイユの聖女〟の従軍を望んでいるのだ。


「君の治癒魔法は偉大だ。これだけの兵力を保ったままここまで進軍できるなんて、思ってもいなかった。それに、僕だけじゃなくて〝ヴェイユの聖女〟が同盟軍にいるとなれば、同じくゾール教国と敵対している組織が集まって、より対抗できる力が増やせる。僕と君の力で……アンゼルム大陸を救うんだ」

「クルス様……」


 アーシャは言葉を返せずに、亡国の王子から森へと視線の先を移した。


「ヴェイユ王国が心配なのはわかるよ。でも、この解放戦争はもう僕らが勝ったも同然だ。グスタフの兵に僕らは負けないだろう。その後の事は、ダニエタン伯爵とリーン王妃が何とかしてくれる。だから君は、僕達と共に──」

「違うんです」


 アーシャはクルスの言葉を遮った。


「違うって、何が?」

「私……わからないんです。わからなく、なっちゃったんです」


 アーシャは視線を落としてそう呟いた。

 彼の言いたい事も、彼の言っている事の正しさも、アーシャには痛い程わかっていた。しかし、だからこそ、その返答ができずにいたのである。

 彼女の中には、その同盟に参加する事への拒絶感が心の何処かにあったのだ。

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