挿話 回復術師フィーナの心境
(どうしてこんな事になっているのよ……)
冒険者にして回復術師・フィーナ=メルクーリは、自らの股から滴り落ちる白い液体を見て絶望的な気分を味わっていた。
これは愛する人のものではない。彼女の愛する人は、既にこの世にはいなくなってしまった──と聞かされている。
フィーナは愛する人の死に際を見ておらず、その死を確認できていない。だが、長らくパーティーメンバーとして一緒に組んでいた〝紅蓮の斧使い〟オルテガに盗賊のギュント、魔導師のイジウドが口を揃えて言うのだから、間違いないのだろう。運悪く落石事故に遭い、アデルの頭に直撃。即死だったそうだ。
どうして自分がいない時に限って、と彼女の後悔は止まらなかった。
あの時、フィーナの生まれ故郷では流行り病が流行していた。彼女はその治療の為に一度帰省をしていたのだ。オルテガ達はその間に四人だけでヴェイユ島に赴き、その際に事故が起きたのだ。
(アデル……ごめんなさい、ごめんなさい……)
自らの太腿に流れる液体を布で拭きとり、そうして拭き取っているうちに、フィーナの瞳から涙が溢れてくる。
自分が汚らわしく思えてならなかった。
どうして愛する男以外の体液を注ぎ込まれていて、それが当たり前の生活になっているのか、彼女には未だ理解ができなかった。そして、その生活を受け入れてしまっている自分の事など、もっと理解できなかった。
先日、オルテガがこの部屋に来て、彼からアデルの死を聞かされた。アデルの荷物も持っていたので、間違いないだろう。剣は落石した岩の下敷きになっていて、持ち運べなかった様だ。
オルテガは「俺の不注意だった。落石の気配に気付けなかった俺が悪かった」と何度も何度もアデルの死について謝ってくれていた。
フィーナに彼を責める事はできなかった。謝って悔やんでいる仲間を、どうして責められようか。大地母神フーラがその様な行為を認めるはずがない。
だから彼女は、ただ泣く事しかできなかった。その美しい碧眼の瞳からは涙が止まらなかった。そうして、アデルの遺品を抱えたまま、フィーナは一晩中泣き明かした。
翌朝オルテガが様子を見に来て、彼女が回復するまで依頼は受けないと言ってくれて、衰弱する彼女に水を飲ませてくれた。
だが──そこから、全てがおかしくなった。
フィーナは、恋人のアデルの死を聞かされて一日も経っていない状況で、心の整理が何もついていない状況にも関わらず──オルテガが欲しくて堪らくなってしまったのだ。
もしかすると、オルテガでなくてもよかったのかもしれない。目の前にいたのが彼だったから、彼を求めてしまっただけなのかもしれない。
アデルにすら見せた事がない様なだらしない顔で、情けない声を上げて、ただ彼女はオルテガを求めてしまっていたのだ。それは、とても理性では抑制できるものではなかった。
オルテガと身体を重ねている最中も、彼女の中ではアデルへの罪悪感と自分への嫌悪感で満ち溢れていた。しかし、同時にそれを上回る快楽にも襲われていて、何が何だかわからなくなってしまっていた。
ただ、フィーナには一つだけわかっている事があった。それは、オルテガに抱かれている間はアデルの死を忘れる事ができた、という事である。
自らへの嫌悪感や、アデルへの罪悪感はあった。だが、その異常な快楽が、アデルの死という途方もない悲しみをどこかに追いやってくれていたのだ。そして彼女は……悲しみから逃れる為に、オルテガに抱かれる事を自ら選んでいた。
昨夜、いや、今朝までもオルテガとは気が狂う程体を重ねた。何度アデルに謝罪の言葉を述べたか、もう数えきれない。この数日でオルテガと何度体を交えたのかについても、同様だ。
そして先程、帰る間際に彼はフィーナにこう言ったのである。
『俺の女になれ、フィーナ。あいつの代わりはできねえかもしれないが……お前の悲しみは埋めてやれる』
フィーナが黙っていると、「返事はいつでもいい」と言って、部屋を去って行った。
彼女が返事を躊躇ったのは、まだアデルへの想いが残っているからだ。
しかし、そのアデルは死に、そして死んでいるとは言え、その彼を裏切る行為をしてしまっている。そんな自分に嫌悪を抱いて仕方なかった。彼の返事を受け入れてしまえば、そんな嫌悪すべき自分を受け入れた事になる。彼女にはそれが耐えられなかった。
それと同時に、オルテガの気持ちを受け入れてしまえば、自分は楽になれるではないだろうか──そんな風に考える自分がいる事にも、フィーナは気付いていた。
オルテガが昔から自分を好いている事は知っていた。無論彼とは長くパーティーを組んでいて、嫌いではなかった。しかし、仲間という気持ちが先走ってしまい、恋愛感情を抱くには至らなかったのだ。
だが、そんな彼と身体を交えてしまい、一線を越えてしまった。もう以前の仲間というだけの関係には戻れない。
それに、何よりも大きかったのが、彼と体を交えている間はアデルの死を忘れられた事だった。快楽がその悲しみと現実を遠ざけてくれるのだ。だからこそ、彼女は以降のオルテガからの誘いを拒絶しなかったし、ただ彼に身を任せていた。
いっその事、このままオルテガと正式に恋人関係になってしまえば、アデルの事も、彼を失った悲しみも新しい恋に上書きされるのではないか。何度も体を交えて快楽に身を委ねていると、そう思ってしまっている自分もいた。
「ねえ、アデル……私、どうすればいいの……? 教えてよ……」
碧眼の瞳から零れた涙は、汗と体液で濡れたシーツの上に落ちていく。
誰もいなくなった部屋で、愛する人を失った悲しみに暮れる女のすすり泣く声が、今日も響いていた。
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