第4話 ヴェイユの聖女

 ──ヴェイユ王国の王女アーシャ=ヴェイユ。

 彼女は十の歳にしてにほぼ全ての神聖魔法を使いこなし、その才能から〝ヴェイユの聖女〟と呼ばれる逸材である。更に、その白銀髪と浅葱色の瞳から、神話にある大地母神フーラの特徴と一致しており、〝大地母神フーラの生まれ変わり〟とまで言われている人物なのだ。

 アンゼルム大陸には島国ヴェイユ王国の情報はそれほど行き渡っておらず、またアデルは政治に疎い男でもあるが、そんなアデルでさえも彼女の名前くらいは知っている。

 アデルの瀕死の傷や毒を治療してしまった事からも、彼女が本物の〝ヴェイユの聖女〟である事は間違いないだろう。先程のアデルの毒は、彼の恋人の回復術師・フィーナでも治せるかどうか危ういと言った程の猛毒だったのである。未だ完全に体は回復していないが、彼女の力は本物だ。

 その生ける伝説かの様なアーシャ王女が今目の前におり、剰え膝を借りてしまっていた。毒や体の不調など、天界まで吹っ飛んでしまいそうな程驚くべき事実だった。


「お、王女殿下! 数々の無礼、またこの命を救って頂いた御礼、何と申し上げれば良いかッ」


 アデルは慌てて片膝を突いて、頭を下げた。

 まだ激しい頭痛は感じるが、そんな事は気にしていられない。王族への無礼など、死罪に値する。


「や、やめてください! 今のあなたに必要なのは、私に頭を下げる事ではありません。横になって安静にする事なんです」


 アデルからすればかなり的外れな事でアーシャは怒っているのだが、アデルとてそういうわけにはいかない。彼女は本来、アデルの様な身分が低い者が話して良い存在ではないのだ。


「ですが、王女殿下! 私めは──」

「それはいいですから、横になって下さい!」


 アデルの反論をぴしゃりと跳ねのけ、アーシャは自らの太腿をもう一度ぽんぽんと叩く。満面笑顔である。


「えっと……また、そこで寝ろ、と?」

「はい。先程、私の膝であればいくらでもお貸しする、とお伝えしました」


 にこにこと笑みを浮かべながら、有り得ない事を宣う王女殿下にして〝ヴェイユの聖女〟。

 王族の膝を借りるなど、冒険者崩れのアデルに許されるべき行為ではない。衛兵にでも見られれば、即座に打ち首だろう。


「安心して下さい。〝成人の儀〟の最中は、衛兵達も中には入ってはいけない決まりになっています。例外として、半日洞窟から出てこなければ捜索隊が入りますが」


 まだ時間には余裕があるので大丈夫ですよ、とアーシャ。彼女はどうやらアデルの心配ですらもお見通しの様だった。

 アデルがどうすべきか悩んでいると、〝ヴェイユの聖女〟はこれまでの笑みを神妙な面持ちに変えて、じっと彼を見つめた。何かを夢見ている様にキラキラと輝く浅葱色の瞳の中に、アデル自身が映っていて、思わず胸がどきりと高鳴る。


「あなたは本当に死にかけていたんです。だから、せめてしっかり立ち歩けるくらいになるまでは、様子を見させて下さい」


 お願いします、と王女殿下が何故か平民の冒険者崩れに頭を下げる。

 アデルは別の意味で頭痛を感じたが、王女殿下にそこまで言わせておいて、拒絶をするわけにもいかない。「失礼致します」と一声かけてから、もう一度横になって、遠慮がちに彼女の膝に頭を乗せる。

 後頭部には先程と同様に柔らかい感触が伝わってきて、むしろ死後に見ている夢ではないだろうかとさえ思えてならなかった。


「ほーら、もっと体の力を抜いて楽にして下さい。さっきと全然違うじゃないですかぁ」


 アーシャは頬を少し膨らませると、アデルの肩をぐいぐい押さえつけて力を和らげようとする。仕方なしにアデルは体の力を抜いて、彼女の膝に頭の重みを預けた。

 白銀髪の王女はそんな彼を見て、何故か満足げな笑みを浮かべるのだった。

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