第101話 邂逅

 大学病院の待合室で、古都は浪川奏に寄り添い続けていた。時計の秒針は止まることなく回り続け、静寂の中に病院スタッフの足音だけが木霊する。


 古都が握りしめるスマホの画面には、冒険者協会公式アプリのチャット画面が表示されている。未だ、土ノ日や新野からの返事はない。


 ただただ、時間だけが過ぎていく。


「古都ちゃん、今日は来てくれてありがとうね」


 時刻はもう夕方とも言える時間帯に差し掛かっていた。外はまだ明るいが、待合室の時計を見れば17時までもう僅かしかない。古都が病院を訪れてから8時間近くは経っていた。


「おかげで少し、気持ちが楽になったわ。ありがとう、古都ちゃん」

「い、いえっ! わたしは何も、出来なくて……」


 土ノ日や新野のように浪川信也を探してダンジョンに潜る事も出来ず、ただ待合室のソファに座っていただけだ。


「それでも、傍に居てくれて嬉しかった。でも、もう大丈夫。NWナイトワーカーのみんなも来てくれたし……」


 奏の視線の先、待合室の壁際には腕を組んで並ぶNWの姿があった。各々日中は仕事や浪川信也の捜索に出かけていたが、つい先ほどこの待合室に集まってきたのだ。


「奏ちゃんと一緒に居てくれてありがとな、秋篠ちゃん。俺たちが来たからもう大丈夫だ。暗くならない内に帰った方がいい。秋篠の親父さんを心配させるのも忍びない」


「……わかりました」


 NWメンバーの松田にも促され、古都は帰宅することにした。


 NWの面々と奏は旧知の仲……と言うだけでなく、奏は元NWのメンバーだ。結婚と妊娠を期に冒険者を引退したのは冒険者界隈では有名な話だった。彼らが居れば、奏も大丈夫だろう。


「奏さん、休める時にしっかりと休まれてくださいね」

「ええ。ありがとう、古都ちゃん」


 目の下にクマを作り、やつれた表情で奏は微笑んで見せる。その痛々しい笑顔に後ろ髪を引かれながらも、秋篠は一礼をして待合室を去ろうとした。


 その時だ。




 ――ふわりと、体が急に軽くなった。




「えっ……?」


 身に覚えのある感覚に頭が混乱する。だが、すぐに落ち着きを取り戻した思考回路が出した結論はあまりにも残酷なものだった。


「ダンジョン化……っ!?」


 約一か月前、修学旅行で訪れた京都で体感したものとまったく同じ感覚。体が軽くなり、全身から力が溢れ出す。ステータスの恩恵を肌身に感じ、古都は周囲を見渡した。


「そんな……、これって……!?」

「おいおい、シャレにならないぞ!?」


 奏やNWの面々が顔を青くしている。冒険者である彼らもまた、古都と同じようにダンジョン化を肌身に感じ取っていた。


「これが噂のダンジョン化か……!?」

「結……っ!」


 奏が待合室とICUを隔てる透明なパネルに駆け寄る。幸い、結の命を繋いでいる機器に異常はなく、停電も起こっていないようだった。


 病院のスタッフたちはまだこの状況に気付いている様子もない。ダンジョン化と言っても伏見の時のように霧が出るようなこともなく、平時と何も変わらない。ただ冒険者だけが、この状況を認識できているようだった。


「モンスターは……来ないか……?」


 NWの面々は警戒しながら周囲を見渡す。今のところモンスターが現れる気配はなく、病院の外にも混乱は見られない。


(そういえば、鈴の音が聞こえない……?)


 伏見では鈴の音に合わせて見たこともないようなモンスターが出現していた。今回は耳を澄ましても鈴の音は聞こえてこず、モンスターは姿を見せない。


(だけど、ダンジョン化は意図的に引き起こされているんだよね……?)


 異世界人による侵攻。ダンジョン化はその一環だろうと土ノ日と新野は話していた。


 だとしたら、このダンジョン化にも何らかの意図があるはずだ。


(それっていったい――)


 古都が疑問を思い浮かべた直後、ズドッッッ!!!!!! という振動が病院全体を大きく揺さぶった。


「きゃっ!?」

「なんだ!?」


 病院の外から来たであろう衝撃に、古都とNWの面々はすぐ近くの窓へ向かう。すると窓の向こう、病院と道路を挟んだ向かいにある大学の研究施設から黒煙が立ち上っているのが見えた。


「爆発か!?」

「おい、あそこって確かアーティファクトの研究施設だよな!?」

「モンスターに襲われてるんじゃないか……?」


 窓からは研究施設の内部の様子まではわからない。ただ、何かがあったのは確かだ。


「助けに行こうぜ! 武器は持ってきているか!?」

「ああ、車に置いてある!」


 NWの面々は顔を見合わせ、すぐさま待合室の扉から飛び出していく。

 最後に松田が、待合室を後にする前に古都へ声をかけた。


「秋篠ちゃん、すまないが奏ちゃんの傍について居てあげてくれ! 俺たちも研究施設の様子を見たらすぐに戻ってくる!」


「わ、わかりました! お気をつけて……!」


 NWの面々を見送り、古都は不安げな表情を浮かべる奏の手を握る。落ち着いては居るがその手はひんやりと冷たく、小刻みに震えていた。


 向かいの建物の爆発でようやく病院の関係者たちも異常に気付いたのだろう。ICUの内部でも看護師や医師が慌ただしく行き交い始めた。そして、遠くに緊急車両のサイレンの音が聞こえてくる。


 それから少し時間が経った。


 病院内の様子が少し落ち着き、サイレンの音も聞こえなくなった頃。


 不意にICUの待合室の扉が開いた。


 NWの面々が戻ってきたのだろうか。


 そう思って古都が視線を向けた先。


 


 立っていたのは、真っ白なドレスを身にまとった青い髪の少女だった。

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