第102話 取引成立

「青い髪の、女の子……」


 その姿を目にした古都は息を呑んだ。


 眩しさを感じるほど艶やかで幻想的な光を放つ青い髪。人形のように精巧で整った顔立ちと、吸い込まれそうな程に澄んだ碧眼。人間離れしたその容姿には、気味の悪さすら感じてしまう程だった。


 だが、古都が息を呑んだのはその少女が美しかったからというだけではない。


(もしかして、伏見で神田くんと大塚さんを襲った異世界人……!?)


 髪色、容姿、衣服。全てが神田から聞いた話に一致する。そして新野によれば、その実力は新野と恋澄という二人の実力者をも凌駕するという。


『~~~~~~~~~~~~』


 どこかで聞いたことのあるような、けれど理解できない言語を口にしながら、少女は悠然と歩いてこちらに近づいてくる。


 その視線の先が、自分たちではなく別の方向を向いていることに古都は気が付いた。


 透明なパネルで隔たれた向こう側……アクリト・ルーシフェルトは確かに人工呼吸器に繋がれた浪川結を見つめていた。


「――っ! 奏さん、結ちゃんの傍に行ってあげてください! 早くっ!」

「えっ、えっ?」


 バッと立ち上がった古都は、アクリトの前に立ちふさがるように両手を広げる。突然の行動に面食らった様子の奏だったが、古都の差し迫った表情に何かを察してICUの中へと駆け込んでいく。


『~~~~~~~~?』


 美しく端正な顔立ちが不機嫌そうに歪む。それだけで古都は心臓をキュッと掴まれたかのような重圧に襲われた。相手は新野や恋澄と同等かそれ以上に渡り合った実力者。彼女がその気になれば一瞬で殺されてしまうかもしれない。


 それでも、古都は動かなかった。アクリトの目的が何であれ、彼女が結の元へ向かうことを阻まなければいけないと思ったからだ。


(土ノ日くんも舞桜ちゃんも命を懸けてダンジョンで戦ってる! わたしだって……っ!)


『〈~~~~~~〉』

「――ッ!?」


 気づいた時には、古都は待合室の壁に打ち付けられていた。


「か、はっ……!?」


 全身を激痛が襲い、床に落ちて水溜りの上に倒れこむ。ひゅーひゅーと酸素を求めて息をするたびに咽喉から嫌な音が聞こえた。起き上がろうとするが、途絶えそうな意識を必死に繋ぎ止めるので精いっぱいで動けない。


(なに、が……)


 今の一瞬、自分の身に何が起こったのかを理解するまでに随分と時間がかかった。


 何のことはない。ただただ水系統の魔法で吹っ飛ばされた。それだけだ。


 それだけだったからこそ、古都は戦慄する。


(いっさい反応できなかった……!? レベルが違いすぎる……っ!)


 最初から新野や恋澄よりも上の実力者だとわかってはいた。それでも、実際にその実力を身をもって味わうまでは彼女の前に立ちふさがる勇気を持つことは出来ていた。


 けれど今は、


(わたしじゃ相手にすらならない……っ!)


 圧倒的強者へ対する恐怖。それ以上に自分自身に対する不甲斐なさや無力感が、古都の起き上がろうとする意志を挫いてしまう。


 起き上がれずに居る古都からアクリトは興味なさげに視線を外し、透明なパネルで隔たれたICUの中へと視線を向けた。その先には結を守るように覆いかぶさる奏の姿がある。


『~~~~、~~~~~~~~~~~~』


 アクリトは面倒くさそうな溜息を吐き、右手をICUの方へと向ける。魔法の才能に恵まれなかった古都ですら肌に感じるほどの膨大な魔力がその右手に集まっていく。


 アクリトが放とうとしている魔力は、奏と結の命を奪うには十分な量だった。


(だめ――っ!)


 声にならない声で叫ぶも、体は動いてくれない。


(誰か――誰かっ!)


 颯爽と現れてくれるヒーローは居ない。


(お願い――助けてっ!!)


 古都の目の前でアクリトが魔法を放とうとした、その時だった。




『秋篠古都さん。私と、取引をしませんか?』




「えっ……?」


 気づけば、古都は何もない真っ白な空間に立っていた。


「ここは……?」


『ここはあなたの心の中、とでも思ってください。厳密にいえば少し違いますが、まあそこは今どうでもいいので』


「……っ」


 声のした方へ振り向けば、修道服にも似た白地に紺色のドレスを身にまとった、童顔で愛らしい顔立ちの若い女性が立っていた。


『こんにちは、秋篠古都さん』

「その声っ!」


 昨晩、どこからともなく聞こえてきた不思議な声。目の前に立つ女性がその声の主だと気づき、古都は瞳を大きく見開いた。


『昨晩は驚かせてごめんなさい。あなたにどうしても助けて貰いたくて、魔力が安定しないまま慌てて呼びかけをしてしまったんです』


「わたしに、助けをですか……?」


『はい。私と近しい魂を持つ、あなたにしか出来ないことがあるんです』

「……でも、わたしなんかに……。今だって……!」


『確かに、状況はあまり良くありませんね。ですが、私なら何とか出来ます。だから取引をしませんか、秋篠古都さん?』


「取引……?」


『そうです。私があなたを助けます。だから、あなたは私を助けてください。WIN‐WINな取引だと思いませんか?』


 そう問われ、古都は即座に頷いた。


 今この状況を飲み込めたわけではない。目の前の女性を信じたわけでもない。


 ただそれでも、藁にもすがりたかった。


 例え目の前の女性が悪魔だったとしても、古都は結と奏を守りたかった。


「お願いします。結ちゃんと奏さんを、助けてください……っ。その代わりに、わたしがあなたを助けますっ!」


『取引成立ですね。安心してください、あなたの大切な人たちは私が守ります。だから少しだけ、――あなたの体をお借りしますね』


「えっ!?」





「まったく、自分が何を守ろうとしているのか理解していないようですわね。面倒ですからまとめて消し飛ばして差し上げますわ」


 アクリトは溜息を吐き、魔法を放つべく魔力を右手に集中させた。


 だが、そこへ、


「〈ホーリーアロー〉」

「――っ!」


 光系統の魔法が飛来し、アクリトの右腕を貫いた。水で形作られたアクリトの右腕はパシャンッと弾け飛び、せっかく集中させていた魔力は霧散する。いったいどこの誰が邪魔をしたのかと苛立たしく感じながら視線を向けた先。そこでアクリトは奇妙なものを見た。


「あなた、誰ですの?」


 つい数秒前、自身が魔法で吹っ飛ばした少女に問いかける。少女は衣服から水を滴らせながら立ち上がる所だった。


 何の力も感じない平凡な人間の少女。


 つい数秒前までそう認識していたはずの相手に、アクリトは大きく目を見開く。彼女の体からはその数秒前には感じられなかった、膨大な魔力が溢れ出していた。


 しかも、その魔力は闇を打ち消す聖なる魔力。


 その魔力の持ち主をアクリトは知っていた。


「驚きましたわ。まさか、死の直前に魂を肉体から切り離してこちらの世界へ飛ばしていただなんて。さすがは元大聖女様・・・・・と言ったところですわね」


「エルフ十氏族の総代アクリト・ルーシフェルト。まさかこんな所でお会いできるなんて思っていませんでした」




「それはこちらの台詞ですわよ、――聖女ニーナ!」

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