第100話 帰還

「終わった……のよね?」


 灰と化した肉塊を前に、浪川さんに支えられた新野が呟く。


「ああ……。誰一人として望まない結末になっちまったけどな」


 俺たちや久次さんが探し求め、やっとの思いで辿り着いた霊薬は、東郷と共にこの世から消えてしまった。残されたのは、灰に埋もれた霊薬の器のみだ。


「……すまない。僕がリイルの望んだとおりに、霊薬を君たちに譲ってさえいればこんな事にはならなかった」


 久次さんは目を伏せて謝罪の言葉を口にする。霊薬を失ったことで茫然自失といった様子だった久次さんだけど、肉塊に囚われていた間に頭が冷えたのだろう。今はどこか憑き物が取れたかのような表情をしている。


「……いいや、あんたが謝ることはねぇよ。そっちの事情は知らねぇが、お互いどうしても譲れねぇもんがあったってだけだ。……それに、飲んだらあんな化け物になっちまう薬を結に飲ませずに済んで良かったぜ。東郷は気の毒なことになっちまったけどよ」


 浪川さんは久次さんを励ますように、そして自分に言い聞かせるように言う。確かに結ちゃんがあんな化け物にならなくて済んだ。そこだけ見れば、良かったのかもしれない。そう思えることだけが唯一の救いか……。


「そう言ってくれると、少しは楽になるよ」

「けど、それじゃあ結ちゃんは……」


 浪川さんも俺たちも、霊薬に一縷いちるの望みを賭けてここまで来たが無駄足に終わってしまった。結ちゃんを救う術が仮に他にもあったとしても、時間が足りない。


「……仕方がねぇさ。こうなっちまった以上、どうしようもねぇ。付き合わせちまって悪かったな。……帰ろうぜ」


 浪川さんの言葉に、俺たちはただ頷くしかない。今の俺に出来るのは、出来る限り早く浪川さんをダンジョンの入り口まで送り届けて、結ちゃんの元へ向かわせることくらいだろう。せめて、別れの時くらい……。


 踵を返して歩き出した俺たちの後ろで物音がする。立ち止まって振り返ると、ソフィアが灰の山から霊薬の器を拾い上げた所だった。


「全部、君の計算通りだったかい?」


 久次さんが問うと、ソフィアは微笑んで首を横に振る。彼女の手には霊薬の器と、東郷が使っていた雷撃の槍が握られていた。


「いいえ。目的の物はこうして手に入りはしましたが、アクリト様から頂戴した駒を失ってしまいました。これではアクリト様に叱られてしまいます」


 そうは言いつつも、ソフィアの表情に悲嘆はない。東郷を失ったものの結果を得たから問題ない……むしろ東郷という不穏分子が居なくなってちょうどよかったとさえ思っていそうだ。


「ですから、せめてここでアクリト様の障害となるあなた方を亡き者に……というのも難しそうでございますね」


 ソフィアが動けないのは久次さんを警戒してのこと。今の戦闘でかなり消耗しているとはいえ、久次さんが頭一つ抜けた実力者であることは変わりない。俺もあと少しだけなら、〈魔力開放〉状態で戦える。形勢は俺たちのほうが有利だ。


「ここは大人しく引くと致しましょう。……そして、我々の同胞が迷惑をおかけしたお詫びもさせて頂きます」


「なに……?」


 ソフィアがどこからともなく取り出したのは、羊皮紙の巻物。そこからかなりの魔力を感じる。


 あれは、マジックスクロールか!?


 簡単に言ってしまえば魔法が組み込まれた巻物だ。それさえあれば魔法の素養にかかわらず、誰でも魔力さえ流せば魔法を発動することが出来る。


「またいずれ、どこかでお会いいたしましょう」

「待て――っ!」


 俺が制止するより先にマジックスクロールが発動。俺たちの足元に魔法陣が浮かび上がり、次の瞬間にはソフィアの姿が消え、周囲の景色が様変わりしていた。


「……転移魔法だわ」


 状況を一目見て、新野が呟く。ソフィアの姿は消えたが、俺たちは久次さんや福留さんも含めて誰一人欠けていない。


『比呂くん、ここって……』


「うん。どうやら恐山ダンジョンの入り口に飛ばしてくれたみたいだね」


 久次さんの視線の先には、俺たちが入ってきた恐山ダンジョンの入り口がある。


「……転移のスクロールはあらかじめ転移先を設定しておく必要があるわ。帰還用に準備していたものをあたし達に使ったのね」


「だとすればソフィアは……」


 まだ恐山ダンジョンの最奥か、それとも別のスクロールで転移したか。


 俺たちに拘束されるのを恐れたなら自分一人がさっさと転移すればいい。そうしなかったのは、本当にお詫びの意味があったのだろうか。


 何にせよ、俺たちはとんでもなく長い帰路を一瞬で戻ってくることができた。


「浪川さん、急ぎましょう!」

「あ、ああ。そうだな……!」


 時刻は16時過ぎ。今から急げば、何とか夜中には東京に戻れるはずだ。


 俺たちは急いで恐山ダンジョンの外へ出る。


 すると、入り口となっているお寺の境内には幾つものテントが建てられ、装備を固めた大勢の冒険者と、冒険者協会の職員が慌ただしく走り回っていた。


 そして彼らは、ダンジョンから出てきた俺たちを見て、一様に呆気にとられた表情で立ち止まる。


「どうしたってんだ、この騒ぎは……?」

「……どうやら大規模な恐山ダンジョン攻略作戦が準備中だったみたいだね」


 状況を見て久次さんはそう推察するが、昨日の時点じゃそんな気配は微塵も感じなかった。俺たちがダンジョンの入っている一日の間に急遽決まったのだろうか。


 なんて考えていると、人混みをかき分けて一人の男が姿を見せる。


「比呂……!? 戻ってきたのか!?」

「唯人……? こんな所で何をしているんだい?」


「そんなのお前たちの救出作戦の準備に…………いいや、それはもうどうでもいい! 自力で戻ってきたなら僥倖だ! それよりも情勢が変わった! ボクはこれから飛行機で東京に戻る! 君たちも同行してくれ!」


 普段の余裕がない唯人の姿に、俺と新野は顔を見合わせる。


「唯人にしては珍しいね。そんなに慌てて何かあったのかい?」


「……ついさっき雅から連絡が入った。文京区の一部がダンジョン化、アーティファクトの研究を行っている国立大学の研究所が異世界人と思われる一団に襲撃を受けている」


「なっ――」


 ソフィアたちとは別動隊が動いていたのか……!?


 それに、文京区の国立大学と言えば結ちゃんが入院しているのはその大学の医学部付属病院。


 場所は目と鼻の先だ。


「結、奏……っ!」

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