第97話 平行線
『霊薬を浪川さんに渡してあげて、比呂くん』
福留さんは久次さんの差し伸べた手を掴むことなく、ただ真っすぐに久次さんを見つめて呼びかけた。
福留さん、あなたは……。
「何を、言ってるのさ、リイル……? ようやくここまで辿り着いたんだ。君を生き返らせるために、ここまで来たんだ! それなのに……、それなのにどうして君がっ!」
『……ごめんね、比呂くん。だけど、わたしは比呂くんと一緒に居られたらそれで充分なの。生き返りたいって気持ちは確かにある。……だけど、それが誰かの犠牲の上でのことなら、わたしは生き返ったりなんかしたくない』
「……リイルっ」
『比呂くん、わたしは今も幸せだよ。比呂くんと一緒に冒険ができて、比呂くんの一番近くにずっと居られる。幸せすぎて、これ以上を望んだら罰が当たっちゃうよ』
「リイル、僕は……っ!」
『比呂くんは、幸せじゃない……?』
福留さんの問いに、久次さんは目を見開いてからうつむく。
拳がギュッと握りしめられ、やがて小刻みに肩が震え始めた。
「あぁ……、幸せなんかであってたまるか。大好きな人に触れることが出来ないんだ。温もりを感じることが出来ないんだ! キスも出来ない! 抱きしめる事も出来ない! 手をつなぐことも、子供を作ることだって……。これが幸せであってたまるか。幸せだなんて、認めてたまるか! 諦めてたまるかよぉっ!!」
悲痛な叫びがダンジョン内に木霊する。
心の距離さえ近くにあればいいなんて、きっと綺麗ごとだ。人は本能的にパートナーを求める。他者の温もりを求めてしまう。
肉体を失ってしまった福留さんは、今に満足しているかもしれない。だけど久次さんは……。久次さんはそれ以上の幸せを求めている。必要としている。
福留さんと同じ幸せを久次さんに求めるのは、……あまりにも残酷だ。
「来るんだ、リイル!」
『嫌っ!』
「リイル!」
『絶対に嫌っ! 誰かの犠牲と引き換えの命なんて欲しくないっ!』
「くっ……!」
久次さんと福留さんは平行線を辿っていた。俺たちは久次さんが折れてくれるのを祈って、二人の言い争いを見守るしかない。
そんな中、
「何をするつもりでございますか、東郷……?」
ふと聞こえてきたソフィアの声にハッとして周囲に視線を向けると、ソフィアの脇に控えていたはずの東郷の姿がない。
彼は俺たちが言い争いをしている内にソフィアから離れ、霊薬の方へと近づいていた。
「おい、待て……。何をするつもりだ、東郷!?」
「てめぇらの内輪揉めに付き合ってられねぇんだよ! 霊薬が要らねぇってんなら俺っちが有効活用してやるぜ。ありがたく思いなっ!」
「なっ!? やめろ、ふざけるなぁっ!!」
「くそっ……!」
久次さんと俺はほぼ同時に東郷を止めるために駆け出していた。
だが、間に合わない。
霊薬の入った杯を手にした東郷は、俺たちの目の前で一気に飲み干してしまう。
「そんな……っ」
「ひゃははははっ! やべぇ、力が溢れて来やがる! これが霊薬かよ、おいっ! これで俺っちは不老不死だ。無敵だぁっ! この力さえありゃアクリトも勇者も魔王も敵じゃねぇ! 俺っちこそが最きょ――」
ボコリ、と東郷の右腕が歪に膨れ上がった。
「……あ? なんだ、こりゃあ……?」
ボコボコボコとまるでお湯が沸騰した時のように、東郷の体の至る所が膨れ上がる。東郷は呆然とする俺たちの目の前で、急速に人の形を失い始めた。
「お、おいっ! どうなってやがるんだこれはよぉ!? ソフィア、なんなんだこれはぁっ!?」
「……まったく、馬鹿な真似をしたものでございますね。霊薬とは膨大な量の魔力と魂がダンジョンによって濾過抽出されたもの。一口飲めばどのような傷も病もたちまち治り、二口飲めば人は死を超越する。三口飲めば、死人すらも生き返らせることが出来るやもしれませんね。……で、あなたは何口分を飲んでしまったのでございますか?」
「まさか、霊薬の過剰摂取……!?」
どんな薬も飲みすぎれば毒になる。ダンジョンによって濃縮された魔力と魂が、東郷の体を変異させているのか……!?
「ふざけんなぁっ! てめぇ、知ってて黙ってやがったのかぁっ!!」
「ええ。霊薬を巡って彼らが潰しあってくだされば、我らにとっては好都合でございますもの。ですが、まさか身内にこのような馬鹿が居たとは計算違いでございました」
「ソフィアてめぇ何とかしやがれぇ!!」
「まことに残念ではございますが、もう手遅れでございます」
「てめぇふざげ――」
東郷の顔が膨れ上がり、やがて膨張した肉の塊に飲まれて見えなくなった。
「俺は、こんなやべぇもんを結に飲ませようとしてたのか……!?」
「僕は今まで、何のために……!」
霊薬が持つ危険性。それをまざまざと見せつけられ、俺たちはただただ膨張し続ける東郷だった肉の塊を唖然と見つめ続ける。
「ねえ、ちょっと。不味いんじゃない……!?」
肉の塊は膨張を続け、ついには天井にまで到達していた。そのせいで鍾乳洞の一部が崩れ始めている。このまま膨張が続けば、鍾乳洞どころかダンジョンが崩れかねない。
「逃げるぞ!」
東郷を止めるため近づいていたこともあり、すぐ目の前にまで肉の塊が迫りつつある。俺は周囲に呼びかけながら踵を返して出口を目指した。
「立って浪川さん、逃げるわよっ!」
「あ、ああ……!」
浪川さんも新野に促されて出口へ向かい始める。
だが、
『比呂くん、逃げてっ!』
久次さんだけが、その場から動けずにいた。俺よりも肉塊との距離は近く、それなのに膝から崩れ落ちて動けないでいる。
「久次さんっ!」
俺が助けに戻ろうと引き返し始めたその時だった。肉塊から伸びた無数の手のような触手が、久次さんを絡めとったのだ。
そして次の瞬間には、久次さんは肉塊に飲み込まれていた。
『うそ……、比呂くん……!? いや、いやぁあああああああああああああああああっっっ!!!!』
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