第77話 あたしのままで

「なかなか頑丈な玩具ですわねぇ。楽しみ甲斐がありますわ」


 全身泥まみれで横たわるあたしを見下ろして、アクリト・ルーシフェルトは下卑た笑みを浮かべる。その表情からは彼女の性格の悪さが滲み出ているようだった。……というか出てる。絶対に性格悪いわ、この女。


 指先に力を込め、重い体を何とか持ち上げる。


 全身が痛い。爆発する水の槍はあたしを容赦なく吹っ飛ばし続け、何度も地面や木に叩きつけられた。それで致命傷を受けていないのは、アクリトがあたしをいたぶって楽しんでいるからだ。


 アクリトがその気になれば、あたしはとっくに殺されている。


 力の差はある。けれど、絶望するほどじゃない。にもかかわらずあたしが一方的にやられているのは、生身かそうでないかの差だけだった。


 あたしの攻撃はアクリトのダメージにならない。彼女の本体はどこか遠く……もしかしたら前世の世界にあって、意識だけがこっちの世界に来ている可能性もある。どんな方法を使ったかサッパリわからないけれど。


 だとしたら、あたしに勝ち目はほとんどない。


 悔しいけれど、認めるしかない。あたし一人じゃ、アクリトには勝てない。


「あんたの目的は、いったい何なのよ……?」


「あなたに説明する義理はありませんけれど、特別に教えて差し上げますわ。そうですわねぇ……。しいて言えば、世界の救済ですの」


「世界の、救済……?」


「滅び行く世界を救いたい。ただそれだけですわ。なんせわたくしは、リース国教会の聖女ですもの」


「……よくもまあ、そんな心にもない台詞をぺらぺらと喋れるものね」


 あたしだけじゃなく神田君と委員長までいたぶって楽しんでいた奴の台詞とは思えないわ。


「あらあら、信じて頂けませんのね。世界の崩壊はもう目前に迫っていますわ。それはこの世界に住むあなたにも無関係ではありませんのよ?」


「あんたの言葉はどうも胡散臭いのよ……っ!」


 アクリトの言う世界の崩壊がどういう意味なのかわからないけど、それが仮に本当のことだったとしてもアクリトの言葉を信じることはできないわ。


 この女は世界を救おうだなんて考えるタイプじゃない。そんな考え方ができるのは、勇者レインや聖女ニーナのような生粋のお人好しだけなのよ。アクリトは、そういう馬鹿とは真逆の存在としか思えない。


「くひひっ。どうやらあなたにはわかってしまうようですわね。余計なことを言いふらされる前に殺してしまいませんと」


「それがあんたの本性ってわけね……!」


 聖女が聞いて呆れるわ。こんな女が前世の世界で聖女だと崇められているのだとしたら、きっとろくな世界になっちゃいない。あの悲惨な戦争を戦い抜いた結果がこんな奴を生んだなんて、勇者たちが浮かばれないわよ……っ!


「そろそろ魔力も定着する頃合い。お人形遊びも終わりに致しましょう。――〈ウォーターランス・ボム〉」


「――っ! 〈ファイヤランス〉!」


 飛来する水の槍を〈ファイヤランス〉で撃ち落とす。水の槍は爆発し、爆風は軽々とあたしの体を持ち上げて吹っ飛ばした。


 避けたくても避けれない。防ぎたくても防げない。致命傷を避けるために可能な限り遠くで爆発させる。そうすることしかあたしにできることはない。


「がっ……ぐっ……」


 地べたに這いつくばり、惨めに苦悶の息を漏らす。

 痛い。冷たい。気持ち悪い。


 心が折れそうになる。吐き出してしまいそうになる。もうどうでもよくなってしまいそうになって、必死に心を繋ぎとめる。


『何を恐れている……?』


 頭の中に声が響いた。凛とした大人の女性の声。その声を、あたしは嫌というほど知っている。


『我の力を開放するのだ。そうすれば、あのようなエルフの小娘なんぞ簡単に捻り潰せるであろう? わかっているはずだ。お前は我なのだから』


「あんたは、黙ってなさい……!」


 起き上がろうとしても手に力が入らない。歯を食い縛って、溢れ出て来そうになる力を必死に抑え込む。そうしないと、今にも自我を保てなくなってしまいそうだった。あたしが、あたしで居られなくなってしまいそうだった。


「あらあら、もう壊れてしまいましたのね。残念ですけれど、次で終わりに致しましょうか」


 アクリトの右手に、これまでとは桁違いの魔力が集まっていくのを感じる。


「〈ウォーターランス・ストーム〉」


 複数の水槍がアクリトの周囲に展開され、暴風雨のようにあたしに向かって殺到する。


 ろくに力が入らないあたしの体は、身動き一つ取ることができない。


 ここまで、か……。

 せめて最期は、あたしのままで。


「……土ノ日」


 ぎゅっと目を瞑り、痛みに備える。

 けれど、想像していた痛みはいつになっても訪れなかった。


「ごめんな、舞桜ちゃん。土ノ日ちゃうくって」

「……っ!」


 聞こえてきた声にぱっと目を開けて前を見ると、綺麗な金色の髪がふわりと舞っていた。あたしを守るように巨大な影が聳え立っている。それは真っ赤な甲冑を着た巨人で、その肩に腰かけているのは、


「恋澄……っ!?」



「ギリギリ間に合ったみたいで何よりやわ。助太刀するで、舞桜ちゃん。ようわからんけど、あの青い髪の子倒せばええんやろ?」

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