第8話 地道に進めるダンジョン攻略

「おにぃ、そろそろ起きないと遅刻する……って、何やってんの?」


 ノックもせずに部屋へと入ってきた妹は、俺を見下ろして冷めた瞳を向けてきた。


「なにって……ふんっ、見たら……んぅっ、わかる、だろ……はぁっ」

「いや、腹筋してるのはわかるけど声キモイから」


 妹の小春(こはる)はそう言い放つとずかずかと部屋の中に入ってきて、俺の勉強机の椅子に座って問いかけてくる。


「というかなぜに筋トレ?」


 妹の疑問も最もだ。帰宅部で運動もせず家ではぐーたらしていた兄が急に筋トレを始めたのだから、首を傾げるのも無理はない。


 筋トレを始めた理由は単純で、昨日のダンジョンでのていたらくを反省して肉体改造を行うことにしたというだけのこと……なのだが、それを素直に妹に話すわけにはいかない。


 なぜなら家族にはダンジョンに行ったことは秘密にしている。


 というのも、小春は将来冒険者志望で、常日頃からダンジョンへ行きたいと公言している。それに対してうちの両親が猛反対しており、そんな状況下で俺がこっそりダンジョンに行ったなんて知られたら妹にも両親にも非難を食らうのが目に見えているからだ。


「ほら、最近筋トレ流行ってるだろ? 俺もそろそろ体を鍛えなきゃと思ってな」


 なんてテキトーな嘘で誤魔化すと、「ふぅーん。まあいいんじゃない?」と小春は簡単に騙された。小春の将来を心配する両親の気持ちが少しわかった。


「よし、あとは腕立て伏せ100回。終わったら飯食いに降りるから母さんに言っといてくれ」


「ん。……あ、そうだ。おにぃ、筋トレ手伝ってあげようか?」

「手伝い? それは嬉しい申し出だが、手伝うってどう手伝うつもりだよ?」


「ほらおにぃ、うつ伏せになって。それからこうやって……」


 うつ伏せになった俺の背中に、小春はお尻を置いてどかりと座った。


「おいこらテメェ」


「ふつーに腕立てするよりトレーニングになるじゃん。ほらおにぃ、早くしないと遅刻しちゃうぞ?」


「こ、こいつ……っ」


 確かに負荷がかかって効果的かもしれないが、小春のやつ兄を痛めつけて楽しもうとしてやがる……!


「おにぃ、ふぁいとー」

「く、くそっ! やってやる、やってやるぞ俺はぁっ!」


 うぉおおおおおおと気合を入れて両腕に力を込める。か、かなりしんどい! 何とか持ち上がったが、一回だけで両腕がプルプルと震えていた。


 小春は細身とはいえもう中学三年生。そこそこ体も出来上がっているわけで、俺の両腕には相当な負荷がかかっている。この状態で100回はさすがに無理だが、とはいえ一回でへばってちゃ妹に舐められる。兄としてそれだけは許せん!


 やってやる、やってやるぞぉおおおおお!!!!


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!」

「うわすごっ!? おにぃ、結構やるじゃん!」


「ぐぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!」

「ほらおにぃ、がんばれ♡ がんばれ♡」


「ぬぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!」




「……土ノ日、あんた何やってんの?」




 唐突に浴びせかけられた声に、踏ん張りがきかずぐしゃっと崩れ落ちる。


 部屋の入口のところで、妹の尻に敷かれる俺を新野舞桜が冷めた瞳で見下ろしていた。


   ※


「まさか実の妹とあんな爛れた関係だとは思いもしなかったわ」


 通学路で隣を歩きながら、新野は両腕をさすってそんなことを言い出す。


「だから、さっきから妹と筋トレしてただけだって言ってるだろ。というか、どうして俺の家に居たんだよ。ちゃっかり朝ごはんまで食べて行きやがって」


 俺が着替えを済ませてリビングに行くと、新野がなぜか俺の家族と食卓を囲んでいた。俺の分の朝食は新野の胃に納まり、俺の朝食がトースト一枚だったことには未だに納得がいかない。


「朝食に関してはあんたのご両親のご厚意に甘えさせてもらっただけ。あんたの家に行ったのはこうして一緒に登校しようと思ったから」


「昨日の反省会でもするためか? わざわざ俺の家まで来なくても、学校でいくらでもできただろ」


「違うわよ。そうじゃなくて……その……」

「ん?」


 新野はどこか気恥ずかしそうに頬を赤く染めて、両手の人差し指を顔の前でつんつんと合わせる。


「あ、あんたに……ありがとうって、言いたくて」

「ありがとう?」


「ほ、ほらっ! ダンジョンであたしのことおんぶしてくれたでしょ!? それに、わざわざタクシーで家まで送ってくれたし……。そ、そのお礼を早く言いたくて……。あ、あり、がとぅ……」


「お、おう。というか、そんなことのためにわざわざ俺の家に寄ったのか?」


「そ、そうよ! 悪い!?」

「いや、なんつーか……。律儀な奴だな」


 新野はもっと奔放な性格をしているかと思っていた。ただ、俺への感謝は新野にとって相当恥ずかしい行為だったようで、すっかり顔が赤くなっている。なんかちょっと可愛いな。


 ……ところで、ずっと気になっていたのだが、


「どうして俺の住所がわかったんだ?」

「それはダンジョンであんたの生徒手帳をこっそりとね」


「は!?」


 鞄を探ると確かに生徒手帳がどこにも見当たらない。


「返せ」


「……ごめん、コボルドに襲われたときに落としちゃった」


「おいこらテメェ」

「そ、そのことも謝ろうと思いまして……」


 ごめんなさい、と新野は素直に頭を下げてくる。……まあ、反省しているようだから追及はしないでおくが……。


「ダンジョンの落とし物ってどこに聞きに行けばいいんだ……?」


 生徒手帳は別になくて困るものでもないが、いちおう名前と住所が記載されているものなので早めに見つけておきたい。冒険者協会にでも問い合わせした方がいいのだろうか。


「どうせ今日の放課後もダンジョンに行くんだし、その時に探しましょうよ」


「そのアイデアには賛成だが、今のままでまたダンジョンに行くつもりか? 昨日の繰り返しになるだけだろ」


 今の俺たちは前世の勇者と魔王ではない。コボルド相手にも苦戦するただの高校生だ。今のままの状態でダンジョンに行ったところで、成果は昨日とそう変わらないだろう。


 ツルハシを売ったお金でちょっとは装備を買えるかもしれないが、それだけでダンジョンの攻略が出来るようになるとは思えない。


「俺達には根本的にダンジョンに関する知識が不足している」


 俺たちはダンジョンのどこにどんなモンスターが出現するかすら把握せず、ダンジョンの地図すらも持っていない。ネットで調べればそこそこの情報は手に入るかもしれないが、それはあくまで付け焼刃の知識に他ならない。


 俺たちの目的……ダンジョンを攻略し前世の世界への手がかりを手に入れるためには、より専門的なダンジョンの知識が必要だ。


「そうは言ったって、知識なんてどうすりゃ手に入るのよ? 冒険者協会……だっけ? そこの人にでも聞いてみる? 講習会か何かに参加させられるだけよ?」


「それも知識を得る上で必要なら選択肢としてありだが、できれば冒険者に直接お願いした方が手っ取り早いだろうな」


 腕の立つ冒険者に協力を依頼できたなら、ダンジョン攻略はぐっと楽になるはずだ。経験豊富な冒険者から得られる知識ほど、ダンジョン攻略に役立つものはないだろう。


「冒険者ねぇ。そんな都合よく教えてくれるかしら。というかいったい誰から聞くつもりよ?」


「新野は親戚か家族に冒険者をやってる人は居ないのか?」

「居たらとっくに話を聞きに行ってるわ。あんたの方こそどうなのよ?」


「俺は叔父さんが冒険者だった。……過去形な時点で察してくれ。それもあって家族親戚一同、冒険者にいい感情を抱いていない。俺がダンジョン攻略をしているなんて知られたら家族会議だな」


「あっぶな。朝ごはんの時に口を滑らせなくてよかったわ……」

「そんなわけだから、今は居ない」


「じゃあ手詰まりじゃないの。学校にダンジョンに詳しい人が都合よく居たりしないかしら?」


「そんな都合よく居るわけがないだろ」


 なんて会話をしている内に学校に到着した。校門を通り抜けようとしたところで、俺の目の前に小柄な女子生徒が現れる。


 隣の席の秋篠さんだった。


「あ、あの! 土ノ日くんっ! これっ!」


 俺の目の前に秋篠さんが差し出したのは、新野がダンジョンで落としたはずの俺の生徒手帳。


「生徒手帳、落ちてたよ!」


 秋篠さんはそれを俺に押し付けるように手渡すと、踵を返して校舎の方へ早足で去っていく。


「……居たわね、都合よく」

「居たな、都合よく」


 俺と新野は顔を見合わせて頷き合うと、秋篠さんを追って校舎へと向かうことにした。

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