第六話の7

 空間のあり方が異なる高位次元にいて、アキは自分が前を見ているのか後ろを見ているのか、立っているのか浮いているのかも分からなかった。全ては灰色で、途方もなく巨大で、原子の大きさで時間の狭間を漂っている取るに足らない存在そのものだ。

 アキはこの世界のミクロ存在でしかない。たった一つの原子ではなんの意味も持たない。物質界ではあれほど遠くにいても感じられたエーテル生命の力は、彼らの本拠地にやってきて何も感じられない。

 この虚無で、存在しているとはっきりわかるものは、一つしかなかった。

 アキの怒りだった。

 自分の体も認識できない中で、両腕を大きく広げたつもりになって、アキは求める力が全て自分に集約するよう願った。この世界で自分が形を得るための方法、目が見えるようになり、耳が聞こえるようになるための方法は、すでに知っていた。

『炎よ!』

 物質界でレッドカイザーのエーテルを自分の意思で呼び出したように、アキはこのエーテル界のどこかにあるレッドカイザーのエーテルを自分に集中させようとした。

『俺の願いを聞け! 憎きエーテルの王を討滅するために、力を寄越せ!』

 果たして力の実感が生まれ、何処か大地なき地平の彼方から、確かにそれは行われていく。

『炎よ、俺の骨となり、血肉となれ!』

 エーテル界に器の概念はない。アキは自分の精神が許す限りの力を吸収していく。

『アキ……アキ! よせ!』

 レッドカイザーの声がした。今もアキはレッドカイザーの本体からエーテルを吸い続けている。だんだんと世界の有り様が分かってきて、目と耳が効くようになってきていた。

 それでも呼び寄せるレッドカイザーの力は少しの衰えも見せない。一体どれほど莫大なエネルギーを持っているのか検討もつかない。

『まずい、我々はさっきエバログのエーテルの帰還にのってここへ来た、つまりここは、エバログの胎内だということだ!』

『エバログが誰かなんて興味がないし、これをやめるつもりもない! そんなに嫌なら自分で止めてみせろ!』

『君は……ッ、くっ!』

 力の流入に巨大な抵抗がかかった。レッドカイザーはアキの言葉通り、自分のエーテルを元あるべき場所へ戻そうとしている。力の本来の持ち主が本気で抵抗すれば勝ち目などない。

 だがアキは、不思議とこの力の引き合いに勝てる自信があった。

 意識だけで炎の中を泳ぎ、レッドカイザーがその力を我のものとしている本質を探し出そうとした。

 流入する力の中に、一際強く輝く物があった。アキはその真っ白な炎へ向かって突き進む。

『だ、ダメだ……!』

 レッドカイザーの静止も聞かず、アキはゆっくりと、確実に近づいていく。

 濁流の中で手を伸ばし、掴み取った。

 力の流れ込む抵抗は消え、氾濫を危惧するほどの大河となる。もうレッドカイザーが関を作ろうが何をしようが、この流れを止めることはできない。

『き、君は……自分が何をしているのか、分かっているのか! こんなことをすればただでは済まないぞ!』

『レッドカイザー、悪いと思ってるよ。だけどもう無理だ! 俺はもう我慢出来ない! 奪われるくらいなら、奪い尽くしてやる!』

 自分という存在の外郭が殻のようなものに当たった気がした。自分を覆うそれが何であるのかも分からないまま、アキは決して力の吸入をやめない。

 体が……力が大きくなる。殻にヒビが入り、今にも破れようとしている。

『よせ! アキ!』

 力の溢れるままに、アキは自分を覆っていたものを破壊した。

 そして、自分が今一体のエーテル生命の胎内を食い破って、ようやく真にこの世界を目にしたことに気づいた。

 肉の目でみるのではないそこは、光り輝く宇宙のような場所だった。物という物はないが、果から果てまで全てが満たされている。

 かつていにしえの哲学者が夢見、天井の遥かな先にあると信じられた不朽不滅なる神々の世界、エーテル界だ。

 自分を取り囲む者たちがいる。すぐ近くで、あるいは遠巻きから、百を下らない数のエーテル生命が徒党を組んでいる。下位世界に現界するのとは、力の質も量もまるで比較にならない。対面してそれは痛いほどわかる。

 アキは自分に腕があることに気づき、戯れにそれを振った。

 炎が波となって生まれ、エーテル生命の半数がまたたく間に消滅した。

『は、ハハ!』

 反対側の腕を振るうと、残っていたもう半分のエーテル生命も焼失する。

 あれほど苦戦した怪獣の、更に強大な本体をこんな僅かな所作で、それも一度に何百という数を殺せた。かつてない力の実感に、アキは獲物を探して回った。

『アキ、だめだ……それ以上は! アキ……!』

 レッドカイザーの声はすでに遠かったが、いい加減鬱陶しく思えた。アキはレッドカイザーの意識を、自分の体から弾き出した。

 すっと軽くなり、空いた空洞を埋めるように新たな力が充填される。

『ああ、これなら、この力なら!』

 焼いた。

 焼いた。

 焼いた。

 全ての命が、歩く所作だけで消えた。呼吸するだけで消え、振り返るだけで消える。

 形あるもののないエーテル界に、建造物があった。そこへ向かうと、これまでより大勢のエーテル生命が襲いかかってくる。

 誰がどんな能力を持っているだとか、一切の興味がなかった。

 数千数万の大群も、人撫ですれば消え失せる。

『逃げろ! 皆!』

 エーテル生命たちの幾分かが逃げ出していく。アキはものの区別も一切なく、向かうものも反るものもすべて殺した。

 建造物に穴を穿って侵入する。

 見知った気配、見知った力。対峙する一体のエーテル生命が、アキに向き直った。

『父上……そうまでして私の邪魔を!』

 炎の怪物は脱力したまま、踵を返した。外套のように炎が揺らめいて、それが波となって海となり全てを平らげた。

 炎の怪物は衝動のままに宇宙を焼き尽くし、かつて世界だった場所を悠久の光へと還した。

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