第五話の8
エーテル界から侵入してくる怪獣は、下位世界に流せるだけのエーテルを存分に流入させる。そのために実態を得るには大量の質量が必要となり、大地を大きくえぐって怪獣の形をとる。小さなおもちゃと人一人ぶんの質量に入るだけのエーテルを入れるレッドカイザーとは仕組みが逆なのだ。
そしてありったけのエーテルを下位世界に現界させる怪獣の位置は、レッドカイザーには遠く離れていても認識できる。
レッドカイザーは一度エーテル界へ帰って、再度下位世界のエーテル生命の座標目指して限界をする。そうすれば、たとえ宇宙の端から端だろうと瞬時に目標地点へ飛ぶことができる。もちろん、エーテル生命を目標地点に設定しなければ広い宇宙のどこに出るか分かったものではないから、これが使えるのは怪獣が現れた時のみだ。
レッドカイザーが一度エーテル界へ戻るとき、アキとおもちゃも一緒に連れていく必要がある。通常の人類には到底耐えられない負荷で、存在が霧散してしまう危険があったが、アキには上位世界のエーテルが流れているし、おもちゃのレッドカイザーはアキの認知境界では彼の半身だとされているから、レッドカイザーの力を流入させながら一体化し、エーテル界を素通りするのは理論上は可能だった。
五年前に怪獣が崩壊区域外で現れてから、アキはわずか一瞬ながらもおよそ一週間ごとにエーテル界へ来ていることになる。
五感が全く働かない、光とも闇ともない世界で、アキはレッドカイザーがどのように怪獣を座標設定し、異次元の跳躍を行うのかが分かってきていた。
最初エーテル界は不気味なところだったが、今ではすっかり慣れている。目も耳も働かないが、内なる上位世界のエーテルに集中すると、確かにそこに世界と呼べるものがあることが分かる。レッドカイザーのエーテルの浸食は進んでいるが、アキにはそれは大事ではないように思われた。
この力があれば多くの人を助けられる。
そう思っていた。
そして今彼は、持てるものを全てを捨て去ってでも、守るべきただ一人を救おうとしていた。
気が付くと、アキはレッドカイザーの体で怪獣の前に降り立っていた。
空は明るい。
怪獣はずんぐりとしていて黒灰色の丸く大きな体を持っている。殻をもつ生き物が丸まって、その横から太い手足が生えているような姿だ。この手の鈍そうな怪獣は強力な遠距離攻撃手段を持っていることが多いと、アキは経験から知っている。
怪獣の背後には大きなクレーターがあった。エーテル界から物質界に現界するとき、そのエーテルが“肉体”を得るために物質の構成を変化させ自らの血肉とする。目の前の怪獣は現界地点にあったはずの土砂や林木などで構成されているというわけだ。
やや高い場所に出現し着地すると、軽いはずのレッドカイザーの体が地に沈んだ。足元は一見普通の民家だ。広い範囲に素朴で小さな一軒家が建ち、高い建物は見えない。どの家も庭を持ち、多かれ少なかれ緑があるが、裕福な町ではないらしいということは分かる。
足を上げると、民家だったものがどろりとついてきて垂れる。
液化している。
アキは似たような能力の怪獣と以前戦ったことがある。六年前と二年前だ。そして二回とも、レッドカイザーの炎のエーテルを使わずに勝利している。
簡単に倒せる相手だ。
アキにとってはそれがマズかった。
『行くぞ、アキ』
レッドカイザーは勇んでいる。ユイを攫った男との会話は聞いていない。おそらく、アキのために早く戦闘を終わらせようと意気込んでいるのかもしれなかった。
実際は、アキが負けなければユイは解放されない。
アキはとにかくにも前進した。レッドカイザーのエーテルによって、自身にかかる力を取捨選択できるのだから、多少足が沈むことなどわずかにも行動を阻害しない。問題になるのは、限られたエーテルのリソースをそこへ割かなければならないことだ。レッドカイザーのエーテル出力は低い。物質界からの干渉はほんのわずかなエーテルでも断絶できるが、怪獣はエーテルの塊のような存在だ。そしてその力で液化している物質も、エーテルの力が加わっている。一定割合を防御に回していれば、攻撃に回す分のリソースが確保できない。
攻撃の一瞬、無防備になった足元が雑巾を絞るように潰されることもあるだろう。
それでも究極、アキとレッドカイザーはこの能力の攻略法を知っている。
だからアキは、レッドカイザーが対策を講じないように動いた。泥の中をすり足で動くように怪獣へ寄っていく。
『アキ、何をしている、これと似たような能力と以前も戦っただろう!』
アキは無視して怪獣へ無防備に接近していく。
ユイ、ユイを救わなければ。
突然、レッドカイザーの足元が泡立った。アキは足に規則的な刺激を感じる。泡はレッドカイザーを中心に徐々に広がっていき、さらに激しく発泡する。やがて液化した地面から泡が分離し、無数のシャボンのように浮かんだ。大きさはさまざまだが、大きなものはレッドカイザーの半身ほどもある。
浮かび上がった泡がレッドカイザーの体を取り巻くほどに立ち上ったとき、それらが一斉に爆発した。
凄まじい衝撃に曝され、その威力に倒れそうになるが、四方八方を埋め尽くす爆撃はレッドカイザーの体に微塵の自由も与えない。直立姿勢のまま硬直してしまう。
(飽和攻撃系か、威力があって範囲もそこそこだ。レッドカイザーの体重なら軽く吹き飛びそうなものだけど、上からの圧力も強くて逃れられない)
全身に耐えがたい痛みがあるが、それについてアキは慣れたもので、悲鳴もなければ焦りもない。ただ漫然と事態を受け入れていた。
それに耐えられないのが、レッドカイザーだった。
『なんとかこの攻撃から抜け出さなければ!』
『でも体が動かない。これは無理だ』
『馬鹿なことを! ユイという娘が危機にあっているのなら、すぐに怪獣を倒してはせ参じるべきだろう!』
アキはこの言葉には耐えられなかった。
『知ったようなことを! レッドカイザーには聞こえていなかったろうけど、ユイを助ける方法なんてない! ここで自滅する以外はね! 連中は俺がここで死ぬのを見届けるまでユイを開放しないと誓った、ならそうするしかない!』
『君は……馬鹿なのか?』
『なに!』
『ユイという娘を助けるのに引き換えに君が死んでも、その後現れる怪獣がすべて踏みつぶすんだぞ。そんなに意味のない犠牲があったものか』
『何を一番に守るかを考えろって言ったのはレッドカイザーだろ! 俺は自分の命より、この星より、他の見ず知らずの人間よりもユイが大切なんだ!』
『アキ、どうした、妙だぞ! 自分の考えが滅茶苦茶だと、なぜ気づかない!』
そう言ってレッドカイザーは何か知見を得たように言葉を切ると、今現界しているエーテルの構成を改めて審査する。普段巨人形態へ移行するのに使うエーテルのほかに、不純物が混じっていた。八年前から徐々にアキを蝕んでいっているレッドカイザー本来のエーテルだ。五年前に一度大きく成長したこの炎は、この日さらなる進化を遂げている。
いかに強大な上位世界のエーテルといえど、下位世界の人一人の形質に影響も与えず宿れる程度はエーテル生命同士の戦いの役には立たない。現に、レッドカイザーは改めて検査するまでその存在を忘れていた。
だが、アキ個人にかかる影響は計り知れない。
『これは、まさか……エーテルの影響か? 私のエーテルが君を』
『そうだ! エーテルだ! 防御を解いてくれレッドカイザー、はやくやられないとユイが!』
『冷静になれ! 我々が負けて誘拐犯がユイを開放する保証が一体どこにある!』
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