第五話 レッドカイザー、暴走
第五話の1
地下駐車場から車が出ると、車内に外の光が入った。天気は良いが、秋の陽光は午前中でもわずかな赤みを帯びて控えめに見え、ビルの間から切れ切れに街へ差し込んでいた。
街を走る車列に溶け込むその車両の中で、アキはふとバックミラーに移る自分を見た。額に入った縦一筋の傷跡をなぞる。八年前に付いたものだ。この星に初めて怪獣が出現し、アキは異界の戦士レッドカイザーと共に戦い、この傷を負った。それから八年が過ぎたのだ。それはアキの中でとうに折り合いの付いたもので、記憶も褪せつつある。今は額の傷だけが“最初の一回”を確かなものとして、それ以前に日常と呼べる他愛ない日々があったことを語らしめていた。
「アキ君」
運転手はじっと前を見たままで言った。
「知ってると思うが、昨日この街で怪獣教の連中が乱闘騒ぎを起こした。西通りにある教会だ。死人は出てない、殺しはやらないというのが信条のようだがな、このところどんどんやることが過激になりつつある」
「俺とレッドカイザーが同一視されたら、俺が狙われるってんでしょ」
アキは自分のショルダーバッグに目を落とした。地味であまり多くのものが入らないように見えるその中に、今レッドカイザーの玩具が収められている。
怪獣がいつ何時どこに現るとも分からない状況では、アキがレッドカイザーを携行することが最善とされた。この決定にはもちろん反対が多かったが、万が一にもアキのすぐ近くで怪獣が出現してしまったらそのまま殺されてしまうこともある。五年前に怪獣が崩壊区域外で出現するようになって以降、怪獣ははるか遠くからでもアキを認識しているように動くのだ。同じように、レッドカイザーの保管場所に怪獣が出現しないとも限らない。
ショルダーバッグの中には専用の保管器があり、レッドカイザーはその中にある。極めて頑丈で、並の火器でも傷はつかない。
「ああ、気を付けて欲しい。できれば、こんな日課などやめて君の安全を優先させた方がいいと私は思うんだがね」
アキは小さく鼻で笑った。
アキは適当なところで車を降りて、運転手に迎えに来る時間と場所を伝えた。車が走り去っていくのを背後に感じながら歩道へ入る。彼のここ数年の日課だ。
アキの周囲には肌や髪の色が異なる人間、異国人が多く歩いている。中にはアキと同じ国の人もいるようだが少数だ。いたとしてもアキのように一人で歩いている者はそういない。
町には高層のマンションやビルが多く、空が狭いが、まだ多くの建物が建築中だ。少し歩けば道路の工事や配管作業などで小さく迂回する必要のある個所に当たる。
アキが幼いころ住んでいた町は怪獣によって更地にされ、今このような大都市が生まれようとしていた。そこに住もうとやって来る多くは外国人だ。
町の建設が始まったのはこれから六年前、怪獣が初めて崩壊区域外で出現したことが切っ掛けなのは言うまでもない。
崩壊区域外での怪獣出現は世界を震撼させた。これまであらゆる国の人間が対岸の火事だと思っていたのが、すぐ身近に起こりうる恐怖に変わってしまったのだ。その恐怖意識は生涯をかけて財産を築いた金持ちほど強く、自らの人生をたった一体の怪獣によって理不尽にも無意味にされることを嫌った。
彼らが目を付けたのはレッドカイザーだ。海外に出現した怪獣を殲滅したのちそれは“徒歩”で帰国した。国の政治家は普段はいがみ合っているというのに、照らし合わせたようにシラを切り、赤い巨人は国家の保有戦力でないと主張し続けた。他多くの国家や企業からその真偽を問うための諜報員が送り込まれたのは別の話になる。
一部の人間にとって、最も重要なのはその国に赤い巨人が、特に崩壊区域へ帰ったことだった。戦闘機や戦車でも敵わない怪獣を唯一倒すことのできる存在、それは土地の守護神かもしれないし、星の守り人なのかもしれない。だが、怪獣に蹂躙されるのを嫌った多くの金持ちは崩壊区域にこそ赤い巨人が眠ると信じた。つまり、この星で最も安全だと言える場所をそこに断定したのだ。
財ある有力者たちは崩壊区域の復興を手助けすると政府に言い寄り、莫大な資金を投入し始めた。これによって利かせた睨みで自分たちにとって住みよい町をつくることを要求し、またそのための人材も彼らの身内から出された。むろん、彼ら自身でそこに住んで異国でも力を発揮するためだ。
街の復興そのものは公にされたプロジェクトだったが、そのあまりの規模の大きさに一国の事業以上の力が加わっていること、怪獣は例によっておおよそ一週間置きに発生したものの二度と崩壊区域には出現せず、世界を荒らしまわり、それを倒した赤い巨人が必ず決まった国へ帰っていくこととをつなぎ合わせ、有力者たちが経済拠点を移すつもりだとようやく勘付いた一般市民たちは、それから一挙に巨人のいる国へと移り住むことを望むようになった。
永久滞在の申請、亡命、短期の旅行と称して不法に居座り続けるつもりで入国してくる異国人たちの氾濫は物価・地価の高等と共に貨幣価値も釣り上がってしまうという世界規模の経済的混乱を引き起こした。それと同時に国内の治安も悪化の一途を辿り、政府は厳しい入国制限を発令することとなる。
アキはいつものように歩きながらさりげなく周囲を見回した。
この街は事実上の異国街となりつつある。様々な国の文化を感じさせる店舗、広告、商品が並び、雑多で狭い歩道を歩けば慣れない香辛料やお香の匂いが鼻をくすぐっていく。そして、耐えがたい腐臭も。
アキが眉間にしわを寄せて一瞥したのは、道の端に座る浮浪者だ。様々な言語で、“お金を恵んでください”と書いてある梱包資材の切れ端を立て、うつろな目で虚空を見ている。
そんな男が、女が、子供が、老人が、道沿いに列をなして座り込んでいる。全員が異国の人間だ。
彼らの大半は不法入国者だ。独自のルートで自由に出入国を行える一部の有力者を除いて、現在どのような目的であれこの国に入国するには厳しい審査と制限が課せられる。その条件を満たせない、制限から抜け出したいと思う者のために、今度は密入国を手引きする裏社会の組織や業者がいる。彼らに法外な対価を支払い願いを叶えてもらっても、それで財産のすべてを使い切り力果ててしまうのが不法入国者の末路だ。命だけでも救われようとやってきて、その目は今亡者の如く絶望を覗いている。
過ぎる狭い路地裏ではゴミ箱に群がり食料を探すものたちがいた。
アキは彼らのことが気にくわなかった。道が狭くなるし、不潔で、自業自得であるのに時折人を責めるように見上げてくることがある。アキが見るからにこの国の人間だからだろう。しかし、一瞥くれてやるだけでアキはそれ以上干渉しようと思わなかった。
アキは遠くを見るように目を細めたり、喧騒の中で耳を澄ませてみた。早速“獲物”を見つけると、人込みをかき分けてどんどん進んでいく。
人ごみの中から走る女の後ろ姿が現れ、それを追い越してさらに進んでいくと女もののバッグを抱えながら、人にぶつかりぶつかり逃げる男を見つけた。走る男に対してアキは早歩きの要領だが、ぐんぐん距離は縮まっていき、その腕を後ろから掴まえた。男が驚いて振り向くと、それを狙ったようにアキは腕に力を込めて引き寄せ、鼻っ柱に頭突きを見舞った。鼻から血を吹き失神した男からアキはバッグを回収すると同時に、ポケットに手を突っ込んで小銭と少額の紙幣一枚を回収した。
後ろからようやく追いついてきた女が、男とアキを避けて進む人波から現れた。異国語で礼を言われながらアキはバッグを返し、男からとった金を渡した。女は困惑していたが、アキは何も言わずに立ち去った。
これがアキの日課だった。
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