第四話の10

 幻の手に纏わりつかれながら、アキは虚脱した。

『レッドカイザー、炎を出そう』

『アキ、しかし』

『じゃあ、打開策出せる? 分かってるでしょ、しらみ潰しにしても意味なんてない。逃げ場を消すように、一網打尽にするしかない』

『この町にはまだ人がいるぞ』

『そうかもね。でも避難勧告はずっと出てたはずで、つまりまだここにいるのは怪獣の攻撃に巻き込まれてもいいと思って残ってる人たちだ。自業自得ってやつだね。それに、怪獣を逃した方がもっと大きな被害が出る。ここで確実に仕留めないといけない』

『ぬぅ』

『レッドカイザー、迷ってる時間はない。敵は今も逃げようとしてる』

『ぬうぅ……!』

『レッドカイザー』

『……っ』

『さあ、はやく!』

『……くっ!』

 アキは体の芯に絶対零度の氷杭が撃ち込まれたように感じた。それが莫大な熱源であると分かるや、体の内側が細胞の一片、原子の一つに至るまで発火したように錯覚する。アキは急激に意識が希薄になっていき、深淵へ降下していくのを感じる。

 レッドカイザーの体が炎を噴き上げたとき、アキの意識はそれを知覚した。もはや体の自由はないが、今初めて炎の力を使いながら自意識を手放さずに済んでいた。これまで数度、炎の力を使っていたが、アキはその度に意識を失っていた。この炎を使っている間は、深い夢の朧ろげな記憶を覗いているような感覚でいた。

 それが今、初めて力の行使を体感する。それでもまだ、遠く他人事のようだった。

『アバンシュ様!』

 そのような意味の思念を、アキは感じとった。

 アバンシュ! アバンシュと言った。炎の力を使うたび、怪獣はその意味を発信する。

『お考え直しを、アドゥロ様がどう思われるか!』

 レッドカイザーは僅かに佇んでいた。

 炎の巨人が躊躇いがちに腕を振った。

 凪いだ水面に小石を落としたように、その波紋が水面を滑るように、真紅の炎が大地を駆けた。

 怪獣は塵と消え、人の住む町だったものはそうと見える灰の一つもない。

 全てが平らに慣らされ、黒い土の中心に巨人はひとり立っていた。

 炎の巨人の赤い鎧が、燃え上がる体を押さえつけるように動いた。炎がたちまち消えて、レッドカイザーの通常形態がそこに戻る。

 体の主導権を再び手にしたアキは、ゆっくりと首を巡らせた。

『終わったね』

『……あぁ』

『じゃあ、帰ろう』

 太陽の位置を見て、方角を確かめてからレッドカイザーは歩き出した。行手にはまったく無事な別の町が見える。

『アキ、まさか歩いて帰るのか』

『うん、ジャンプしながらなら半日で帰れると思う』

『……そうか』

 レッドカイザーとアキはぽつぽつと喋りながら歩き続けた。レッドカイザーの声は沈んでいたが、アキは溌剌としていた。異国の風景には目をくれず、できる限りの速度を出した。

 大陸の国境で戦車が待っていようと関係なかった。

 戦闘機が頭上を飛んでも気にしなかった。

 アキはそこに何もないかのように、まっすぐ進んだ。




 暗い廊下に明かりが点々とついていて、ジローは明るみと暗がりを交互に通り過ぎて行った。歩幅は広いが、疲れが見える。背後には火器で武装した部下が四人ついてきていた。

 両開きの引き戸が自動で開かれた。そこは基地の末端にある訓練室で、端にはトレーニングに必要な機材があり、組手や格闘術の練習にも使う広いマットがあった。ほの白い明かりは冷たく室内を照らしているように見え、踏み入ったものに緊張感を与える。

 マットの中央にアキがいた。“椅子”に腰かけて何か考えていたようだが、ジローが来たことに気付くと頭を上げた。

「ジローさん」

 アキの口元に笑みが浮かんだ。軽蔑や見下すような笑みではなく、感謝や親愛の念から出る柔らかい笑みだ。

 ジローの表情は硬かった。しばらく言葉を失っていたあと、ようやく口を開いた。

「君に対して、こんな感情を抱くときが来るとは思いたくなかったよ。それとも、僕が愚かだったのかな」感情を押し殺すような声だった。

 武装した彼の部下たちは左右に展開し、アキを逃がさないように角度をつけて照準している。会話の内容には一切の関心がなく、ジローの指示一つでためらいなく引き金を引く用意が彼らにはあった。この基地でともに寝食を共にした人たちのはずだったが、アキにはヘルメットを被った彼らの顔を知ることはできなかった。

 アキは既知の者から銃口を向けられながら、この場にはジローと自分しかいないかのように、少しの注意も彼らには払わなかった。

「独断で怪獣を倒したのは、すみません。でも、おかげでこの星を救えました」

「君は市街地の戦闘でレッドカイザーの炎の力を使っただろう」

「レッドカイザーも人が悪いですよね、あと少し発動が遅ければ逃げられるところだった。どうせ人はもう避難していないのに」

「君が焼いた範囲には三つの病院があり、重症患者や動けない老人などがいて、彼らを逃がすために働いていた医療スタッフもいた。日和見を決めていた多くの市民があの一帯の家屋にいた」

「それ俺のせいですか?」

「なに?」

 ジローは険しい顔でアキを睨んだ。

「怪獣はエーテル特性によっては何万人と死者を出します。そんなのこれまでこの崩壊区域の戦闘で分かっていたじゃないですか、いろんな国でここの様子は報道されたでしょう。なのに逃げなかった人々がいる。今回の怪獣が攻撃的な性質を持っていたんなら、被害はこの程度じゃすみませんでしたよ」

「君にはせめて、崩壊区域での戦闘の感覚でやったしまっただとか、言い訳はないのか」

「怪獣を倒すのに新しい理由を探す必要なんてあります?」

「他には、この基地へ徒歩で帰ってきたことだ。他の国の首脳がそれをどう捉えると思う?」

 ジローは怒りをようやく抑えていた。それを、アキはいつも話すのと同じような穏やかさで聞いている。

「我々は君を守るために、一体どれほどの時間をかけて根回しをしてきたと? この基地が無償で建ったと思っているのか? 我々の背後で力を発揮してくれいてる政治家だって、今回の件で面目丸つぶれだ」

「まさに、そこです」

 アキは後ろに手をついて体をのけ反らせた。天井を仰ぐその顔は、年相応の無邪気さと、大人になるための試練を一つ乗り越えたような達成感を湛えていた。

「弱くいることに、疲れちゃったんです」

 ジローは苦々しい目をアキに向けた。アキが腰を下ろしているのは、基地の隊員たちの山だった。明らかに意識がなく、ぐったりとしている。学生の制服を着ている、大人からすれば小柄も良い所な少年が訓練を積んだ男たちを一方的に無力化したのだ。その中には、ケンもいる。

「これは俺がお願いしたんです、ちょっと付き合ってくださいって。本当ですよ、ここの使用許可はケンさんの名前でとったんですから。カメラの映像を見れば、俺が一方的に襲い掛かったんじゃないって言うのも分かると思います」

 それはジローも確認済みのことだった。ただ、彼が危惧しているのはこれからのことだった。アキほどの幼い子供が自分の力に溺れて何をするか、ジローは最悪の事態を考えずにいられなかった。だとしたら自分がここに出向くのは悪手なはずだったが、ジローはアキは自分になら本当のことを全て話してくれるだろうという望みがった。暴走していても、説得できるかもしれないと。

 アキは、暴走などしていなかった。

 それでいて、完全に制御を離れていた。この国の全ての武力でも、法でも、この子供を縛ることはできないとジローは既に見通していた。

「安心してください」

 アキはジローの内心を悟ったように言った。

「俺、ただ思いだしただけなんです」

 何を、とジローは聞かなかった。疑り深い目をアキに向けて、それでも少年は心地よさそうに言葉を滑らせた。

「正義の味方になりたかったんだって」

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