第四話の8

 男たちは一瞬戦慄して、すぐさま攻撃を再開しようとした。

 アキは彼らの肩を粉砕し、前腕を折り、足を踏み砕き、耳を削ぎ、目を潰し、顎から蹴り飛ばし、それらの片手間にずっと左手で首を掴んでいた金髪のリーダー格を最後に見た。

 アキの周囲には男たちが転がり、年甲斐もなく泣き声をあげて血と涙とに体を濡らしていた。

「最後に、言うことは?」

 金髪の男はバットを持っていた腕がひしゃげていて、その痛みにもう何かできる状態ではなかった。涙を流し、小刻みに呼吸して脂汗をにじませていた。

「ごめ、な、さ」

 アキは呆れずにいられなかった。くだらないプライドのために乗り込んできたくせ、命がかかっていると分かれば簡単にへりくだる。首から手を放した直後、アキは男の喉仏を指で潰した。男は目を丸くして地面をのたうち回り、血を吐いた。男が血を詰まらせて死のうが、アキにはどうでもいいことだった。

 アキはとても清々しい気分でいた。返り血まみれの体で腕を大きく広げて、深呼吸した。白い校庭に散った赤い模様はさながら魔法陣で、呻く男たちは生贄のようだった。膨れ上がっていた赤い炎は今、綽々と蒼く燃えている。

 校門前にパトカーが一台停まり、警官が二人下りてきた。校庭の惨状を目の当たりにして、ただ一人立っているアキに声をかけた。

「君……」

 大丈夫かい、と言葉を続けるつもりだった若い警官は、そこで詰まった。

 少年の晴れ晴れとした表情と、自信に満ちた目が警官に向いた。初夏の晴れた陽ざしに照らされた少年の笑顔は屈託なく、年相応だった。彼がこの惨状を作り出したのだと、警官はどうしてかすぐに理解した。もう一人は倒れている男たちに駆け寄って、息を確かめている。

「兄貴!」

 校舎から三人の不良が走り出てきた。

「あ、来たね」

 アキは三人に向かって歩き出すと、彼らは蛇に睨まれたカエルのように硬直してしまう。嫌な予感を感じ取った警官は彼らの間に立った。

「やめなさい」

 その言葉が咄嗟に口をついて、警官は自分で驚いていた。

「いや、そいつら犯罪者ですよ。悪。人から金を巻き上げて、三対一でリンチしてたんです。あげく、こいつらを俺に寄越した」

 アキが手で指したのは校庭に転がる男たちで、やはりこの少年がやったのだと、警官は確信した。

「ダメだ。君は……暴行の現行犯で」

「逮捕?」

 アキは食い気味に言って両腕を差し出した。

「じゃあ手錠かける?」

 警官はやや躊躇ってから手錠を取り出した。校舎からは多くの生徒たちが、教師が静かに校庭を見ていた。こんなに目のある中で同じ年ごろの子供に手錠をかけるのは非常な気がしたが、こんな体格の違う男たちを一方的に半殺しにした子供が危険であることは疑いようがなかった。

 アキは手錠をかけられて、手と手の間にかかるチェーンを見た。そして、簡単に引きちぎって見せた。思わず後ずさった警官の前で、まだ手首に残っている金属の輪を指でむしるように取る。

 アキは自分の手を見て、穏やかに微笑んだ。

「逮捕、できないね」警官の後ろで固まっている不良三人を覗く。「今は他に用があるから、俺が帰ったら“罰”を受けてね」

 それだけ残して、アキは校舎へと歩き始めた。

 何を迷っていたのだろう。最初からこうしていればよかった。

 ジローやケンはアキを守りたいと言っていたし、アキも彼らの庇護がなければ自分は危ういと漠然と思っていた。しかし、実際問題アキを止められる戦力などない。あれだけバットで打たれても痣の一つもなかった。誰かに守ってもらう必要などなく、政治や法の問題も今や些末なことでしかない。

 アキは今ようやく、怪獣が現れる以前に思い描いていたような力を手に入れていたことを知った。それは悪を許さず、正義の道を貫き通せる力だ。今、その力の最も効率のいい使い方を知ったのだ。

 アキは純然たる使命感のもと、怪獣のもとへ行かなければならなかった。自分に困惑の目を向ける用務員に向かって、言った。

「基地に戻りましょう」




 アキの纏う異様な空気に流されるように、男たちは基地へ帰って特別資料室を開けた。

「ジローさんはまだ帰ってないみたいだね、ちょうどいい」

「いやアキ君、ジローさんがいないんじゃ、キミをレッドカイザーと接触させることはできない」

 ケンの言葉に、アキは得意げな顔で振り返った。レッドカイザーの納められているこの資料室は、扉側と奥側とが分厚い強化ガラスで隔てられている。レッドカイザーと接触するには、部屋の側面にある扉から短い連絡通路を通り、ガラス壁の向こう側にある扉から出なくてはならない。この二つの扉はそれぞれ異なる錠で施錠されて、一つはジローが、もう一つは当直のスタッフにランダムでジローが貸す。誰が鍵を持っているかは機密事項で、ジローの許可なしには自己申告も許されない。

 アキは、ガラス壁に素手を叩きつけた。ガラスに大小のひびが入って、アキの手はガラス壁の向こう側に到達する。長柄のハンマーを使っても小さな穴をあけるのに途方もない時間がかかる代物のはずだった。

 ケンたちが絶句する中で、アキは手を引き抜きがてら穿った縁に手をかけて、缶詰の蓋を剝がすような動きをした。

「やめないか!」

 一人がアキに組み付いてやめさせようとしたが、びくともしない。

 ガラス壁は細かいヒビが入りながら分断されていき、アキは人一人分がようやく入れるまでに穴を広げると、中のレッドカイザーを手に取った。

「この、ガラス壁は、ロケットランチャーだって防ぐんだぞ」

「へぇ、じゃあ高かったんだ。壊してごめんなさい。でも今は人命がかかってるから」

「だがアキくん、現地までどうやって行くんだ。怪獣を倒した後も、帰還には我々の支援がいる。君の独断で決めてはならいことが数多くある」

 ケンは言いながら、アキを止めることはできないだろうと分かっていた。大人が何人いようと、どれだけ自分たちが訓練を積んでいようと、彼には関係ない。

 人型の怪獣さながらだ。

『行きには伝手がある』

 レッドカイザーの言葉がその場全員の頭の中に響いた。

『現界の要領でアキの肉体とこの器を我が一部としながら、エーテル界へ戻る。ふつう、現界する先の座標は選択できないのだが、怪獣がいる場合はそのエーテルを指標に降りることができる。理論上は宇宙の端か端までだろうと一瞬で移動できる』

「帰りは?」

「帰りは俺が考えますよ。それより、エーテル界に俺が行っても大丈夫なんだよね?」

『下位世界の物質は本来エーテル界では霧散する危険がある。意思のあるなしに関わらず、存在としての根拠が成り立たないからだ。だが、君の中には今私のエーテルが混在しており、この器は君の認知境界で君の体の一部として扱われる。ほんの一瞬であれば大丈夫だろう』

「いいね、行こう」

「おい!」

 アキはケンを見て、不敵な笑みを浮かべた。

 レッドカイザーのおもちゃが黒く染まり、それがアキの体へ伝播していく。思わず後ずさったケンたちは、完全に黒色に染まったアキの体が虚空へ消失するのを見届けるばかりだった。




 ぽっかりと穴が開いた心地だった。体に、心に。重量は無限に希釈され、世界が自分の存在を拒絶しているのを感じる。

 そして自分を自分たらしめるあらゆるものが燃え上がるように熱を帯びた。苦痛の炎であり、母のように安らかな炎でもある。強大な――太陽よりも――銀河よりも――宇宙に匹敵するような――炎。

 降下が始まった、そう思った時にはアキの目の前には町が広がり怪獣がいた。

『成功だ』

 見下ろす町並みは、アキの知っているものとは違う様式であるのが分かった。

 怪獣は赤紫で、子供が粘土で成形したような、のっぺりとした体と四肢を持っている。

 アキは怪獣を見つめながら、自分が先ほど体験したものを思い出していた。

 あれがエーテル界なのだ。そしてあの巨大な炎、溢れんばかりの力。あれは恐らくレッドカイザーの本体。

『レッドカイザー、炎の力は』

『すまないが、真に必要とされる場合以外は使えん』

 なるほど、とアキは適当めに返した。

 今回の怪獣は初めて戦った怪獣に似ている気がした。おそらく遠距離攻撃手段は持たず、初見で看過し辛いエーテル特性を持っているのだろう。

 なんにせよ能力を見なくてはならない。レッドカイザーは攻撃の瞬間無防備になる。相手の体のどこを無力化すれば安全に、かつ確実に倒せるかを知るには、能力の把握は絶対だ。

 変化があった。紫一色だった怪獣の体に別の色が浮かび始めた。大腿より下が緑色になり、肩から上が青くなる。すると、重ねていたカードを一枚二枚と引くように、全く同じ姿の姿の怪獣がたちまち三体に増えた。

『分身かな』

『そのようだ』

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