第四話の7
アキは肩を落とした。連中がこのような手段に出ると思っていなかった、しかもこんな早くに。メンツを潰されたのがそんなに大事だったかと呆れ、どうやら暴走族だか珍走団だかの兄に簡単に泣きつく根性を哀れんだ。
「さっさと帰れ! 警察を呼ぶぞ!」
体育教師はさらに声を張り上げた。リーダーの男はようやく大柄の教師を見やって、仲間に何かを言った。バイクに乗ったままの四人がエンジンをふかし、自分たちに向かってきていた三人の大人に向かって走り出した。下手に当たれば大けがを免れない速度で突っ込んでくる鉄塊に、三人はたまらず逃げ出す。それから四台のバイクは鋭くカーブして、何度も三人を轢くために突っ込んだ。
校舎からその様子を見ていた生徒たちがどよめいた。バイクが教師に迫るたび小さな悲鳴が聞こえる。
アキの心臓は鼓動を早めていた。いつでも体を動かせると本能が訴えていた。動きべきだ、やるべきだという内なる叫びを理性で抑圧する――なにを、どうやって? またおちょくって見せて、この観衆の中でプライドを折ってやって、今度は何をするだろう。アキには想像がつかなかった。ただ兄弟が面子を潰されただけでこんなことをする連中の思考など分かるはずもなかった。
廊下の向こうから誰かが歩いてきているのにアキは気付いた。人波が割れて、知っている三人組の顔が彼の目に入る。三人とも顔に殴られた跡があり、湿布を貼っている。
「アキィ!」
怒声が走り抜けた。クラスメイトの不良少年が名前を教えたのだろう。周りには人が大勢いて、以前のように攻撃を避けるのは難しいようにアキには思えた。連中は殺意に似たものをアキに向けて放射している。校庭に連れていくのが不良たちの役割だろうが、ここでこのままぶちのめしてやろうという意思を控える様子は微塵も感じられない。
アキは片目を細めて嫌そうな顔をすると、窓の手すりに手をかけてそのまま校舎二階から飛び降りた。
「おい!」
悲鳴にも似たカズキの声を置いて、アキは校庭に難なく着地する。
バイクの集団の目が一点に注がれた。教師たちは相変わらず追いかけ回され、プレッシャーと戦っていることもあり既に息が上がっていた。
「アキくーん、こっちー」
金髪のリーダー格に呼ばれて――呼ばれなくてもそうするつもりだったが――アキは彼らの方へと歩き出した。
アキは背後から名前を呼ばれたが、一瞬足を止めただけだった。アキはまっすぐ悪に向かって歩いて行った。
アキの頭の中でケンの言葉が反芻される。殴ってはいけない、暴力を振るえばアキは弱者になる。社会的弱者に。そうなればジローたちが自分を守りづらくなる。金髪の男に向かって歩きながら、アキはその後どうするかを全く考えていなかった。
バットでも折るか?バイクを潰すこともできる。アキにはそれが比較的穏便な手段に思えた。ただ、それが最善策だとは信じきれなかった。もっと良い方法があるはずだと一歩進むごとに再考する。アキは息を細く吐いて、クリアな視界でリーダー格の男を見る。体は熱気を抑えているが、いつ爆発的な威力を放つか誰にも予想できなかった。
走り回っていた教師たちはようやく一人の生徒が歩いてきていることに気付いたが、戻れと叫ぶ気力も余裕もなかった。
三人の教師と四台のバイクが戯れる校庭の中頃を何もないようにゆっくりと抜けて、アキは校門の側へと近づく。
「アキくーん?」
金髪の男は、アキに微塵の興味も持っていない顔だった。今目の前に立ってみても、むしろ一層退屈そうに脱力する。アキの体格はいたって平均的だが、中学一年生ではずっと小さく見えただろう。目に力がこもっているし、一切の迷いもなく歩いてきた胆力もあるが、男は自分の経験してきたあらゆる喧嘩の中でのワーストをこれから更新するのだと確信していた。あるいは喧嘩にもならないだろうと。校舎二階から降りてきたときは期待したが、近くで見ると何の迫力もない、ただの生意気な子供でしかなかった。
「俺の弟がさ、お前に負けたって言うんだけどさ。マジ?」
「そもそも喧嘩してない」
「は?」
真っ当に返事して返って来るのがそれかとアキは思った。眉根を上げて目を開いて、見下すように顔を上げて、気に入らないことがあれば耳を塞ぎ、相手が全て間違っていると決めて自分を肯定して、プライドのもとに暴力を振るってきたのだろう。
うめき声と倒れる音がした。アキが振り返ると、社会科の教師が転んでしまっている。
「来たんだからバイクを止めろ」アキは金髪の男に言った。
男が瞬間的に逆上し、金属製のバットを容赦なく振り下ろした。膂力は伊達じゃなく、通常であれば決し避け切れない速度に乗った十分な威力は子供の骨を易々と折れただろうが、アキは正面から片手で受け止めて相手の手からバットを引き抜き――バットを振った勢いとそれを強引に奪い取られたことで態勢を崩した男に――逆に振り返してやろうとした。完全に頭をとらえたスイングが当たる直前、アキは冷静さを取り戻して自制する。
こんな男にも、やり返すわけにはいかない。この力は怪獣を倒すためのもので、レッドカイザーにも使わないよう止められている。社会の敵になってはいけない。
常に正しく。
これは、正しくないのか?
……。
……っ。
アキは逡巡して無呼吸状態から息を吐いて、バットを落とす。男の顔は固まっていて、何が起きたか理解できていないようだった。
振り返ると、倒れた教師に向かって今ターンしたバイクが走り向かっていた。アキは異様な加速で十メートルを詰め、教師の前に立つとバイクを両手で受け止めて乗っている男ごと横倒しにした。その様子を見た別のバイクが軌道を変えて、さらに速度を上げてアキの脇に突っ込んだ。またこれを受け止めて、いくらか後ずさった。生身の人間なら、あるいは死んでいたかもしれない。それを一切の容赦もなく行う卑劣さ、あるいは思慮の浅さに、アキは今度は投げるようにバイクを倒した。乗っていた男は地面に倒れると同時、バイクに脚を潰され声を上げる。
また我に返って、アキは拳を握るように爪を手のひらに立てた。
今のは、平気か?
防衛の内に入っているはずだ。
だが酷い怪我を負っただろう。
それがなんだ? 情と言うものがない連中に痛い目を見せて何が悪い。
いや、そうではなく……。
試行回数によって賽の出目の乱数的な期待値が変化するように、アキの抱える熱気は爆発へと近づいているように思われた。
「てめえ!」
金髪の男がバットを拾い、早足でアキに寄っていた。その後ろで待機していた十人近い男たちも、一斉に得物を持って彼に続いている。教師たちをバイクで追っていた二人もそこに加わって来る。
今のを見ていなかったのか?
力の格が違うのに、なんでこうも挑んでくるんだ。
自分たちより体が小さいから、何か勘違いをしているのか?
それでいて、そんな大勢で襲い掛かるわけだ。
アキは眉尻を下げた。こんな男のために、一体どれほどの人が不幸な目にあったのだろうと考えずにいられなかった。その後ろに続く男たちも同類だ。人の人生を侵すことこそを自らの存在証明としている。怪獣と同じだ。
無抵抗のアキにバットが振り下ろされた。
「ザコが!」「バカが!」「なめてんじゃねえぞ!」「どうしたオラァ!」
校舎の方で悲鳴が上がっても、アキには聞こえていなかった。タコ殴りにされて早くも朦朧としていたからではなかった。体中に痛みがあったが、怪獣の攻撃と比べればあまりにも些細だった。
アキからすれば彼らは皆見上げるような背の高さで、筋肉の質も量もまるで違っていた。そんな彼らが第二次成長期ををまだ終えていない、素での子供に集団で、バットを持って四方八方から殴りつける。彼らの中にそのことについて疑問を抱いている者はいなかった。
彼らはアキよりも長く生きているはずで、その分多くのことを経験してきたはずだった。考えることや後悔したことなど、ないはずがなかった。そうした人生の集積における“現在”という“暫定的な終点”における出力が、この理不尽な暴力なわけだ。
なぜ、誰もそれが悪いことだと彼らに教えなったんだ?
誰が、暴力こそすべてを解決するマスターキーだと彼らに教えたんだ?
法とは? 正義とは?
警察は呼ばれているはずだったが、まだ来ない。彼らが校庭に現れてからまだ十分と経っていない。アキを半殺しにして、早々に立ち去る気だろう。
そうしてまた、新しい標的を探し、今度こそ再起不能の大けがを負わせられる。
果てなく繰り返される攻撃に、アキはあの時のことを思い出していた。何もできなかった、あの時。
走馬灯のようにイメージが走った。アキがこれまで見聞きした悪と、彼がかつて信じた正義と、ケンとジローという大人たちと、怪獣という絶対悪その暴力の権化を。
今も世界のどこかで、怪獣は人々を恐怖の底に陥れている。かつてアキが最愛のもの全てを失った時に持たなかった力は、今その手の中にあった。
アキは何度目かに振り下ろされたバットを、それを掴む手から止めた。そのまま、握りつぶす。
のどを枯らすような野太い悲鳴が響いた。金属とゴムバンドと骨と肉が複雑に絡まり合って、校庭の白い砂地に赤い血が雨のように垂れた。
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